神奈川ビジネスUp To Date
ゲスト
株式会社総商
代表取締役社長 青木秀泰さん
【プロフィール】
1982年 川崎市出身。
2005年 駒澤大学卒業。
2010年 総商入社。
2016年12月に代表取締役就任。
1976年創業の「総商」は、ガラスフィルムがまだ日本で製造されていなかった1979年にアメリカからフィルムを輸入、施工販売する会社として歩み出します。2004年には、防犯性能の高い建物部品にのみ付けられる「CPマーク」使用が認められた「防犯フィルム」の販売を始め、また、新幹線など高速列車の窓ガラス表面保護のための「ガラスカバーシート」をメーカーと共同開発、JR西日本やJR東海の多くの車両に採用されます。2010年6月には、上海に事務所を設け、国内外を問わず、世界を舞台に高機能多機能化したフィルムを施工・開発しています。
内田
総商さんは建築用・自動車用のフィルムを扱っていらっしゃる会社ということなのですけども、そもそも、このフィルムというものを扱うきっかけになったことは何なのですか?
青木
現会長(青木克眞さん)が、当時まだ日本にはフィルムがなかった時に、アメリカに行ってフィルムというものを初めてみつけたのですね。ナイアガラの滝の見学に行った時に、物凄い瀑布で滝の勢いが強かったのですけども、その雨除けでガラスがその前にあって、そこにフィルムが貼ってあって。そのフィルムを見た時に、会長が「これだ!」と思ってアメリカから輸入し、始めたのがきっかけなのです。
内田
きっとそれは、日本ではパイオニア的な存在で、それを皆さんに紹介していったということだと思うのですけれども、例えばどういうことがフィルムで解決されるのですか?
青木
我々が扱わせていただいているフィルムというのは、窓に貼って、ガラスが割れた時に飛び散らない様にしたりとか、はたまた防犯で割れた後の侵入を止めたりとか、あるいは紫外線とか赤外線の熱を入れない様にしたりとかですね。いろいろな機能があるものを、お客様からのオーダーをいただいてガラスに貼る、という仕事をメインでさせていただいております。
内田
様々な機能があるフィルムを開発する、企画する、ということですか?
青木
お客様のニーズによって、今無い商品があれば、そのものを我々とメーカーさんと一体となって作らせていただくこともあります。
内田
お客さんのいろいろなニーズを訊く。「ではそれを形にしよう」といって動くわけなのですけども、フィルムができあがっていくプロセスというのはどういうものですか?
青木
まずはじめに、お客さんから困った、という問題をいろいろいただくのですね。そのいただいた問題で、この世に無い商品というのがあった場合は、我々が形にするために我々と一体となっているメーカーさんで、その製品の開発の方と話をして「こういったものを作れないか」「技術的に難しい」とか「効率的に難しい」といったところで、「ではこういう風にしたら作れるのではないか」と形にできそうなものは作るのですね。ただメーカーさんも、まだこの世に無いものを出すというのは、ものすごいリスクになりますので、「そのフィルムを作った暁には総商さんが責任を持ってこのフィルムの販売の量やルートというのをしっかりと設けて」というお話をいただきますので、我々はそのフィルムの販売のルートだったりとか量だったりとかというのは「責任を持って出します」ということで、一体となっている様なところでございます。
内田
問題解決、ソリューションという部分に立って、付き合いのあるメーカーさんにそういったニーズを叶えるものを作ってもらう。でも、その商品は全部総商さんの責任において販売していく、施工していくという。こういう関係なのですね?
青木
そういうことになりますね。我々の方から、積極的に時には大学さんと。産学の方にも連携を取ってやっている商品もあります。
内田
本当に技術の知識もあって、ニーズがどういう風にしたら叶うだろうという、そういう知見はもう総商の中にある?
青木
そうですね。この商品というのはガラスに貼って初めて商品になるものなので、そういった意味では我々が貼る部分で、商品になるための責任をしっかり取っていくところでございますね。
内田
そのフィルムというもののニーズ、需要というのはどの様な感じですか?
青木
ある一面ではものすごく注目をしていただいているのですけども、まだまだ普及率というのは浸透していない部分もあるかな、という風に思いますね。
内田
総商さんの中での売り上げの推移はどういう感じできていますか?
青木
着実に、今40年経っていますけども、フィルムの需要というのはありがたいことに少しずつ伸びているので、右肩上がりではあります。
「ガラスフィルムでより良い生活へ。」という言葉を企業理念に掲げ、事業を進める「総商」。断熱やUVカットなどのエコ対策から、プライバシー保護、ガラス飛散防止や防犯など様々なニーズに応えられるよう、多種多様な機能を持つガラスフィルムを施工開発しています。
内田
「ガラスフィルムでより良い生活へ」というのが、総商さんの企業理念ということで、様々な生活を良くする機能を持ったフィルムを扱っていらっしゃるのですけども、一番のコアコンピタンスと言いますか、売りの部分というのは何になりますか?
青木
「遮熱フィルム」ですね。
内田
「遮熱」に一番ニーズがある?
青木
ニーズが高いですね。
内田
その背景は何ですか?
青木
やはり環境で、「省エネルギー化の建物にしたい」というニーズ。皆さん「なるべくエネルギーを出さない様な家造りをしたい」という方が多いので、建物のガラスにフィルムを貼ることによってエアコンの空調を良くしたり。そういった「出費を抑えたい」ということで、企業様も一般の方も、非常に遮熱フィルムというのは好評をいただいていますね。何より「貼るだけ」というところで簡便さがありますので導入がしやすい、といったところも非常に魅力・メリットになっていますね。
内田
私も先ほどフィルムの効果というのを体感させていただいたのですけども、熱をガラスの向こうから送って手をかざすと、フィルムがあるものと普通のガラス、全然違いましたよね。
青木
そうですね。仮に、その光のエネルギーが100だとすると、約70くらいカットします。
内田
70パーセント省エネに繋がると。これはもう、時代の流れですよね。
青木
やはり、国内外でエネルギーというのはなるべく縮小していこうという動きがありますので、そういった意味では、よりこのフィルムというのは普及していかなければと思っています。最近ですと、赤道直下の、常に春夏秋冬真夏日の国というのもありますので、そういったところは、よりこの遮熱フィルムを貼ることによってエネルギー効果というのが高まると思います。国内だけではなくて、国外でもこういった普及というのは目指していきたいところだと思っています。
内田
御社に引き合いのある、「こういうフィルムが欲しい」という様なニーズには、他にどのようなものがありますか?
青木
例として挙げさせていただくと、鉄道用のフィルムというのがあります。日本というのは山国なので、トンネルが多いのですね。そのトンネルに新幹線が入る時に、ものすごい衝撃波があるのです。その衝撃波の「ドーン!」という音を経験されたりしたことはありますか?
内田
はい、経験したことあります。
青木
そういった時に、コンクリートが段々と剥げてきてしまって、ガラスにコンクリートが当たって割れてしまったということがあってですね。幸い、その時に怪我人はいらっしゃらなかったのですけど、これは何とか新幹線の安全神話というのを守っていかなければいけない、という思いで。鉄道会社さんからオファーが来て、外側に貼って、ある程度の衝撃であれば跳ね返す、あるいはガラスが仮に割れたとしても飛び散らない、という様なフィルムをオファーいただいて作らせていただきました。
内田
内側にあったもので、それを外側に貼る、ということは相当耐久性を高めるであるとか、工夫が必要であったと思うのですが?
青木
そうですね。新幹線というのはものすごいスピードで走っていますので、フィルムが外に貼ってあるものが剥がれて、それが電線に引っかかったり、走行に支障をきたしたりということがあると一大事だということで、絶対に剥がれない様な工法、施工の工夫という様なところはリスクであります。実は我々以外の会社さんでもそういったオファーがあったらしいのですけれども、そのリスクがやはり難しい、ということで皆断られたということでしたね。
内田
皆断ってしまった?
青木
今の会長というのは、頼まれたら断れない性格なので、「何とか解決してあげたい」という思いで、いろいろ四苦八苦して、外側に貼れるフィルムというのを作らせていただきました。
内田
そういう見えないところに、いろいろな工夫があるのですね。
青木
そうですね。ガラスというのは、パッと見ると注目されにくい。透明であって当たり前、割れていなくて当たり前、というところなので。そういった意味では、少し皆さん、ガラスにフィルムが貼ってあるかを見ていただくと、結構面白いと思いますね。
内田
確かに本当にあんなに薄い、厚いものもありますけれども、あの中にいろんな機能を埋め込む、というか、持たせるというのが不思議ですね。
青木
我々も、次にどんな需要というものが世の中で生まれるのだろうと。一つとして同じ建物もないので、毎回毎回、お仕事をいただく時に新しい気持ちで取り組めるというのは、この仕事の魅力だなという風に思っていますね。
中小企業経営者の抱える「事業承継問題」。経営者の高齢化、後継者不足に加え、相続税の増税もあり、今後10年で全国の中堅中小企業(小規模事業者を含む) およそ385万社の半数が存続の危機を迎えるといわれています。この「事業承継問題」を、昨年末に2代目に就任した青木社長は、どのように捉えているのでしょうか。
内田
青木社長は後を継がれて二代目の社長になられているのですけども、「事業継承」という問題は多くの中小企業が抱えている問題です。ここはどの様な意識でいらっしゃいますか?
青木
今の日本の産業を支えているのは団塊の世代の方々が始めたのが中心だと思うのですが、銀行さんからお金を借りて事業をやっていくというところでは、中長期的な計画が必要になってくる。60歳半ば・後半になってくると、融資というのが難しくなってくるという風に思いますので、そういった意味では、事業継承というのを会社が世に見せていかなければいけない。後継ぎというところでは、番頭さんというか、今までずっとやってきたけれども経営者一族ではない人がやるというと、資金的な問題で事業を継承できないというところもあると思いますので、そういった意味では、企業が合体していったりとか、中小・零細のM&Aというところも需要があるのかなという風には思います。
内田
金融面でも、もう少しいろいろなルールというか、緩和して融資が受けられるであるとか、そのまま番頭さんが事業を継承できる様な仕組みになるとかということがあれば、もう少しいい流れが?
青木
もう少し活路が見出せてくるのかな、という風には思います。
内田
青木社長が二代目になって、何か会社の雰囲気というのは変わりましたか?
青木
私としては、そこをガラっとは変えたくないと思っているのです。会長がやってきたいいところはいいところで伸ばしていきながら、少しずつ私のカラーというのも肉付けしていく様な会社にしていきたいという風に思っています。
内田
どんなところを肉付けしていきますか?
青木
1つは、私は学生の頃に海外に、シンガポールと上海に2年ずつおりましたもので、このフィルムの良さというのを、日本だけではなくて、海外でも知っていってもらう様な活動をしていきたいと思っています。
内田
海外には、ライバルになる様な会社というのはあまりないですか?
青木
これはありがたいことなのですけど、やはり「日本製」ということで結構皆さん、最初にお話を聞いて下さるので、そういった意味では、先人の皆さんの歩んでこられたところがプラスになっているというのはあります。もう1つは、まだまだ普及率というところでは、皆さんご存知ない方が多いと思うのですね。そういった意味で、より一般的に広く普及していきたいということで、DIYの市場です。今インターネットで商品を直接購入される層のお客さんというのが増えてきていますので、インターネットのEコマース事業部を新たに立ち上げて、フィルムのガラスのサイズと、どういうフィルムを貼りたいのか、そしてそのフィルムの貼り方というのをきちんと説明した上で、お客さんにインターネットで気軽に買ってもらえる様なサービスというのを普及していって、それでフィルムを貼っていって「あ、フィルムってこんなものなのだ」と思ってもらったら、我々が施工でやらせてもらっている市場というのも、一緒に底上げされていくのではないかな、という風に思っています。
内田
青木社長から見えている総商の未来というのはどの様なイメージになっていますか?
青木
うちの会社で働いている人一人一人が、うちの商品を楽しく商品説明ができる様な、自社製品を愛している人を広めていきたいという風に思っています。もう1つ、フィルムというのは段々と需要が変わっていきますので、いい意味で期待を裏切る様な需要というのが出てきて欲しいと感じています。
tvkのYouTube公式チャンネルの「見逃し配信」では取材VTRも含め、インタビュー全篇をご覧いただけます。(視聴無料です)
自動車の技術発展を支える企業
コンチネンタル・オートモーティブ(横浜市神奈川区)
ゲスト
株式会社サン・ライフ
代表取締役会長 竹内惠司さん
【プロフィール】
1936年 東京都世田谷区出身。1957年 群馬県立診療エックス線技養成所(現 群馬県立県民健康科学大学)入学。放射線技師として勤務後、1965年 サカエヤ代表取締役社長就任(現・会長)。1970年 サン・ライフ代表取締役社長就任(現・会長)。任
平塚市に本社を置く「株式会社サン・ライフ」。1933年に、葬具、葬式、造花を手がける「サカエヤ」として創業以来、湘南・県央・西東京エリアを中心に結婚式や葬祭事業で大きく発展してきました。近年では、介護サービスや保育園など、多様なライフステージに関わる事業を展開しています。
内田
サン・ライフは様々な事業をやっていらっしゃる、冠婚葬祭だけに留まらないということなのですけども、これは時代と共にニーズに合わせて拡大してきたということですか?
竹内
はい。元々私が始めた時には、職員が3人くらいしかいなかった。
内田
最初は3名から?その時は何から始められたのですか?
竹内
お仏壇の販売のお店と、ご葬儀、それから、平塚は七夕祭りが有名ですから、七夕祭りの街の飾り付けとか。もう何でも、頼まれたことは全てお手伝いしました。
内田
元々は放射線の技術者でいらっしゃったところから、平塚で何でもやりますよ、というビジネスになったというのも、なかなかユニークな転換ですね。そういう流れの中で、様々な事業を展開していく、でもやみくもにいろいろな事業を始めても上手くいかない中で、それぞれがしっかりとしたビジネスになっているというのは、何がポイントであったのですか?
竹内
いろいろ成功した、というそういう気持ちではなくて。
内田
そうですか?
竹内
いろいろなことを試みまして、最後に、ものを売る商売はどうしても向かないなと。それから製造、ものを作り出すことも無理だと。そうすると、人が人にお手伝いできる、それぞれのお家のご希望に合わせた仕事をしていく。こういう様なお打合せの中で汲み取りながら、そこのお家で希望することをさせていただく、ということに徹してからは、ある程度順調に。
内田
今でこそ、「お客様の要望に応えて、オリジナリティのある提案を」ということはよく聞かれますけれども、昔はもう少しマニュアルで押し付ける様なビジネスが主流だったのでしょうね。その中で、それぞれのニーズを汲み取るということができた?
竹内
逆に、私が途中から参入して知らなかっただけに、一番根本になることはお客さんがご希望することなのだなと。それぞれのしきたりにも適合しながら、お寺さんにも、同業他社にも聞きに行って、いろいろ教えてもらって、何よりも、ご依頼して下さったお家のご希望を最優先に考えながらやって、分からないながらに、それが良かったのかなと思っています。
内田
それがきっと御社の強み、それをしっかりやってきた、ということが他の会社とは違うところなのかと?。
竹内
ありがたいですね。強いて言えば、そんなことかもしれません。
内田
様々な事業をやられている中で、シェアとしては葬儀が一番で、これからある意味成長分野ですね。
竹内
ご葬儀の方は、少子化で家族だけのものが多くなってきたので、件数は増えていきますけれども。
内田
件数は増えるけれども、一つの収益というか、ビジネスという観点で見たら、こちらは小さく?
竹内
売り上げというのは、決して増えない。
内田
ずっとこの長い期間、葬儀というものの変遷を見られてこられたし、作ってこられたというところもあると思うのですけども、どんな変化が見られますか?
竹内
ご家族でお送りするということで、そのご家族なりの大切にする形を、現実にホールでどう受け止めて暖かくお送りするか。これは、逆に海外へ行った方が、私は30年くらい前に、ご葬儀というのは日本だけのものではないと。
内田
そうですね、人は亡くなりますからね。
竹内
そうしたら、もう目からウロコが落ちる。
内田
目からウロコ?
竹内
それぞれ、お家のご希望に沿った形で。それぞれホールでも、食器まで、お茶を飲むカップまで、そこのお家のご希望を聞いて、取り替えて。
内田
そんなに皆さんオリジナリティを追求して、ある意味自由に葬儀を?それはアメリカですか、ヨーロッパですか?
竹内
アメリカとかカナダとか。
内田
目の当たりにされて、「これだ」と?
竹内
日本よりも、ものすごく心遣いができているなと。それで、それにはちゃんとフューネラル・ディレクターという、ご葬儀のいろいろ介助する人がそれぞれのホールにいて、教育制度がきちんとあって、各州で専門学校または大学があるわけです。それでびっくりして、日本へ帰ってきて、当時は厚生省、労働省に働きかけて、その制度を作ったわけです。
故人・遺族に寄り添った葬儀を提供する「サン・ライフ」が注力しているのが、「人材育成」。2000年に日本初の葬儀教育機関「日本ヒューマンセレモニー専門学校」を開校。葬祭ディレクターを養成する「フューネラルディレクターコース」では、2年間の在学中に実際の葬儀運営から心理学、マーケティングなどを学び、業界を担う人材を育成しています。また、卒業制作ではユニークなエンディングを提案し、新しい形を表現しています。
現在、年間3万人以上が施術を受けているという「エンバーミング」。「遺体衛生保全」とも呼ばれ、亡くなった方の体を生前のように修復し、殺菌・消毒や防腐処理を施すことにより、自然な状態で長期間保存できるという技術です。「サン・ライフ」は2005年に施術を行うための会社、「SEC」を設立し、新事業を開始。業界団体・日本遺体衛生保全協会の設立にも参画し、自主基準をもうけながら普及に取り組んでいます。
内田
「エンバーミング」ということが、今少しずつ日本でも行われている。これは海外では一般的なのですか?
竹内
アメリカ・カナダ・ヨーロッパの諸外国は、もう一般化されています。特に、アメリカ・カナダは大学まであって、それらの技術、「エンバーマー」という職業と、それから「フューネラル・ディレクター」を、両方一緒に学んで、そして卒業する訳です。
内田
日本では今までなかなかそういうものはなかった。これは何故ですか?
竹内
そのことを実際にやる人がいなかった。確かに、きれいにお化粧したり、清浄にしたり。しかし、ドライアイスでただ冷やすだけです。ですから、カチカチになって、本当に親しく触れるということは到底ありようもなく、そういう状況がずっと続いてきた。20年くらい前に、大学の解剖学の先生とか、病理学の先生とかいろんな方と我々と、共同で開発して、何度もアメリカ・カナダへ行って研究してきて、それでそういう技術・制度を開発して実施したわけです。そうすると、一気に喜ばれて。
内田
技術を「開発した」と。元々あったものを「輸入した」ということではなく、やはり日本は日本で何か違うのですか?
竹内
最初は外国のエンバーマーの技術者を招聘して、それでエンバーミングをやっていたのです。ところが、自然なお顔の仕上がりとかいうのは、どうしてもメイクの仕方とか、何か違うのです。ですから、うちでもそういう学校を作ったりして、それで「エンバーマーコース」で毎年、20人から30人養成しています。
内田
「エンバーミング」というものに注目される理由は何ですか?
竹内
これはもう、向こうへ行って見て、日本のお別れの仕方が、本当に冷たくなって痩せて、特にいろいろな病気のせいで。それが子供さんや孫とか親族に最後の印象になってしまう。それでエンバーミングで処置させていただくと、元気な時そのままになるということで、一回したお家からは、「おじいちゃんの時はあれだったから、おばあちゃんもしてくれ」と全部向こうからお頼みされます。
内田
いろいろなニーズに応えて、多様な葬儀にこれから対応していく、という道を取られていると思うのですけれども、竹内会長がずっとこの「葬儀」というものに関わってきて、ご自身「葬儀というのはこうあるべきではないか」という、何か一つの理想の形というのはありますか?
竹内
いろいろ今、自然葬とか海洋葬とかNASAのあれに乗せて宇宙に…
内田
宇宙葬ですか?
竹内
そういう仕組みもあって。これはこれで、もっと自由に葬送の形が、しかも暗いものではなくて終えるならば、100%その人のご希望を叶えた形を取る、ということもいいかな、とは思います。
内田
これからの日本の葬儀の事情というのはどんな風になっていくと思います?
竹内
家族だけ、というのが今の「家族葬」という形になってきたのですよね。だけども、私は地域の方、また職場の方とも無縁で生きているわけではないので、一番繋がりがあった人たちは、やはり自然に来ていただく、慰め合う、お祝いし合う。こういうことが、諸外国に比べても、今の日本は少なくなってきてしまったわけです。そんなに派手に華美にしなくてもいいですから、やはり人と人との繋がりというものの原点、思いやりとかお手伝い、ということを大事にする社会になっていってほしいと思います。
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国産の地域材を利用し、森・地域との共生を重視したハウスメーカー
日本の森と家(東京都港区)
ゲスト
横浜高速鉄道株式会社 代表取締役社長 鈴木伸哉さん
【プロフィール】
1955年 川崎市出身。1978年 東京大学卒業後、横浜市入庁。建設局長、副市長などを経て、2016年6月に横浜高速鉄道・代表取締役社長就任
横浜駅から元町・中華街駅を結ぶ「みなとみらい線」の運営と、長津田駅からこどもの国駅を結ぶ「こどもの国線」を保有する横浜高速鉄道株式会社。1989年に横浜市や神奈川県などが出資し、第三セクター方式の鉄道会社として誕生しました。みなとみらい線の開業から13年。今では、渋谷から先の東京メトロ副都心線などとの相互直通運転が行われ、横浜の中心部、沿線の地域と連携しながら、年々利用客数を増やしています。
内田
横浜高速鉄道は、1989 年に横浜市と神奈川県などが出資した、第3セクターという形を取っている鉄道会社ですが、この設立の経緯を教えていただけますか?
鈴木
みなとみらい地区というのは、元々造船所だったり、埠頭の地区であったり、また埋め立てをしたり、というところでございますから、交通アクセスという意味では、その基盤になる様な施設がないというところで、大量の輸送機関がまず必要だ、ということがありました。また、横浜地区とみなとみらいと関内を繋ぐという意味合いがありますから、市・県主導の形で平成元年、1989年に会社が設立されて、その後、色々な手続きや工事を経て、2004年(みなとみらい線)開業ということになったわけでございます。
内田
そこから20数年が経って、当初の計画と現在にどの様な変化がありますか?
鈴木
鉄道事業自体、開業当初というのは、まだみなとみらいも開発の初期段階というところでしたから。
内田
何もなかった頃ですよね?
鈴木
そうですね。お客さんの数は1日で12万くらい。そういう時代だったのですね。ただ、みなとみらい線ができ、それをきっかけにいろいろな開発も進みましたという中で、現在1日20万人の方の利用というものが出てきている。まちづくりとセットで鉄道ができ上がってくるという中で、開発を促進し、それがまたお客さんを増やす、ということの循環の中で、今の状況ができているということかなと思います。
ルーツである山梨県にある主力工場では、様々な種類の焼き菓子やケーキなどが生産されており、お菓子作りのこだわりは原料選びまで及びます。通常は商社などを介して輸入する原料も、自社内にある貿易・調達部門が現地まで赴いて買い付けています。
内田
今の経営状況というのは、どのようになっていますか?
鈴木
おかげさまで、お客さんは着実に増えている。業務系・観光系、定期・定期外、いずれも増えてきている。営業の収支については、初年度から黒字の状態を保ってきているのですが、経常収支の方はやはり多額の借金がありますから、そういう中で、経常収支は今まで赤字だったのですけども、このまま行けば、今年度末の段階では経常収支も黒字化という方向に持っていけるかな、という期待を持っております。
内田
鈴木さんは、元々横浜市にいらっしゃいましたよね。それで、計画もずっと遠目で見ていた。それが、今度ご自身が社長となって運営をしていく、となった時に、見え方というのは変わりましたか?
鈴木
実は、私が横浜市にいた時、係長時代から当初、みなとみらい線の計画当初の段階で直接関わっていた人間でもありますし、またその事業を進める途中の過程でもみなとみらい線に関わることができたということなので、そういう意味では、3回目の関わりを持てるという立場になりました。そういう中では、昔から狙っていたことが今まさに具現化されてきていて、それを日々の仕事の中で実感できるというのが、自分自身にとっては有難いことでもあるし、沿線の皆さんといろいろ、みなとみらい線をどうやって盛り上げようか、あるいはそれが地域にどういう風に反映されていくか、まさに「まちづくり」全体を議論できるというのは本当に幸せなことだと実は思っているのです。
横浜高速鉄道のみなとみらい線と、東急東横線、東京メトロ副都心線、西武有楽町線・池袋線、そして東武東上線の5つの路線が一本で結ばれ、まもなく4年。乗り換えなしで、埼玉県西南部と横浜市の中心部を行き来できる様になった広域ネットワークの誕生は、横浜市内に大きな経済波及効果をもたらしていると言います。
内田
「第二の開業」と言われました「相互直通」、乗り入れしていくという中で、埼玉と繋がったという流れなのですけども、これでどの様な変化が起こったのか?
鈴木
確実に埼玉方面から来られるお客さんが増えましたね。それだけではなくて、やはり横浜の魅力というものが外に向かって伝わっていくという中で、来街者全体ですね、観光客とか、全体がやはり増えてきた。横浜市の方でいろんなデータを整理しているのですが、例えばみなとみらいの中の来街者数とか、事務所の数とか、就業者の数とか。それまでと比べると、やはり増え方が全然違うわけです。一気に増えると。それで観光客、横浜市全体の観光客の数。平成24年~25年で3割近くアップしているわけです。当然、当社のみなとみらい線のお客さんも、それまでは大体(年間で平均すると)2~3パーセントくらい。それが、25年度は1割くらい増えていますから、そういう意味では、やはり相直の効果というのが、非常に大きいということは言えるのだろうと思います。
内田
埼玉の方たちにとって、一本電車に乗れば中華街へ行けるというのは、新鮮で、結構楽しい?
鈴木
「乗り換えなしで一発でパッと来られます」と言ったら、やはり違いますよね。
内田
じゃあ行ってみようかな、と思うということですね?
鈴木
思うと思いますね。それでそこに、いろいろなPRをすることで、今まで知らなかった方にも知っていただく。去年、「飯能まつり」というのがありましてね。11月だったのですが、そこへ私もお邪魔したり。そういうところへ行くと、皆さん興味を持っていただけるということもあったりして。やはり知っていただく、ということもやりながら。
内田
そういうことが重要ですよね。それから、3月25日に、有料座席指定列車というものが導入されるということなのですけども、これはどういうものですか?
鈴木
西武鉄道さんが新型の車両を作りまして。普通の電車はロングシートと言って、電車の中で向き合って…
内田
横に、長い…
鈴木
それが前方向に、一般に言うと特急電車みたいな座席配置ですよね。今回は特急ではないのですけれども、座席指定ということで、席の形がそうなる。やはり、ゆったりと座れますよね。そういう車両が、横浜側にしてみると、土日の観光客の方々に来ていただくという部分で、土日の朝と晩とですね。私は横浜の都心部の活性化というものを考えた時に、移動というのは必ず出てきますけれども、移動が障害になってはいけない、負担になってはいけない。移動そのものを楽しめる、そういう環境を作ってあげないといけないという想いがありまして。以前から、横浜の都心部は「交通のテーマパーク」にしようではないか、ということを言ってきているのです。その流れで考えると、今回の「S-TRAIN」が運行されるというのは、アトラクションが一つできあがる、追加される、ということなので、とても歓迎すべきことだと思いますし、本当に期待しています。
内田
「交通のテーマパーク」、これはどういう構想なのですか?
鈴木
それは私が勝手に言っているのですけど、いろんな乗り物が、単なる移動手段に限定されるということではなくて、乗っているということが楽しめる様なことですよね。
内田
「みなとみらい線」が発信できるように…。
鈴木
みなとみらい線も、これからそういうことを考えていきたいと思います。4.1キロの路線ですけども、その4.1キロというのは他の鉄道会社と比べたらとても短い。駅だって6駅しかないわけです。それしかないけども、他の大きい鉄道会社ができない様な、きめ細かいこととかというのはできるはずだと思っていて、それは駅という「空間」を活用することもあるし、10分なのですが、乗っている10分の間でどういう楽しい体験をしてもらえるか。そういうことができると、みなとみらい線自体も、一つの「交通テーマパークのアトラクション」の一つになる、ということが言えるのではないかな、ということを考えています。
内田
それは社員の方達がいろいろなアイディアを出せるという仕組みがあるのですか?
鈴木
会社に、社員の提案制度というのがあるのですが、今まであまり使われていなかったみたいなのですね。それを、もう一回改めて活用しようということで、社員の人たちからもいろんな提案を出してもらったところなのですよ。今言っているのは、「楽しい」という視点だけではなくて、日々の仕事をどうやったらやりやすくできるかであるとか、どういう改善をしたらもっと良くなるか、お客さんに喜んでもらえるか、いろいろな視点で今議論しているところなのですけども。そういうことをやる中で、お客さんも喜んでもらえるし、社員一人一人も、やはり仕事に対しての想いというか、「よし、頑張ろう」という気持ちにも繋がっていく部分もあるし、達成感に繋がったりですとか、そういうことで、組織・職場の活性化にも繋がると考えているのですけど。
安心・安全を第一と考える横浜高速鉄道。一昨年の3月に、横浜駅で可動式ホーム柵を設置しましたが、駅ホームの更なる安全性向上のため、2020年までに、みなとみらい線全駅で可動式ホーム柵を整備することを発表しました。
内田
やはり、鉄道会社というと「安心・安全」というところが第一になると思うのですけども、みなとみらい線は全駅に可動式ホーム柵、ホームドアですね。これを2020年度までに整備するということなのですが。
鈴木
やはり、鉄道を運営していくという中で、利用される方の安全というのは、一番最優先で考えなければいけないことです。しかしながら残念なことに、例えば車いすの方が転落されたり、目の不自由な方の転落、いずれにしても安全をどうやって考えるかといった時に、ハードとソフト両面ありますが、ソフトだけでは限界があります。やはりハードである程度対応しないとまずい。今ホームドアについては鉄道各社さんで対応を始められている。それでみなとみらい線も、「横浜駅」は東急さんと一緒の駅ということで、そこだけは終わっているのですけれども、それ以外の5駅ですね、2020年に全て完了させようということで、今取り組んでいます。一方で、2020年までの問題というのもあります。できあがるまではどうするのだと。ここは、駅の職員一人一人がやはり注意をしながら、そういうお客さんが来られた時には積極的にお声掛けをしながら、安全にご利用いただける様に、ということを今、徹底を図っているところです。
内田
そこは一つ、設備投資、投資が必要な部分ということなのですよね。今まですごく経営努力をされて、乗客数がこれだけ増えた。赤字からも脱却して黒字に転換していくのであろう、というものが見えてきた。更にまだまだここから先、成長していかなければいけない。会社として、伸ばしていきたい、乗客を増やして行きたい、という部分があると思うのですけども、そのために、これからどういう様なことをやっていこうか、やりたいという風に思っていらっしゃいますか?
鈴木
みなとみらい線自体は、やはり「まち」と一緒に発展をしてきたし、これからもやはりそうだと思いますので、そういう意味では地域の方々との連携強化というものは、今まで以上にやりながら、逆に、どういうことができるのだ、というのは、いろんなアイディアを出し合いながら、その中でできることについて積極的にチャレンジをしていく。
内田
まだやりようがいくらでもある、というイメージですか?
鈴木
それは多分、あるのでしょうね。やはり何をやっても「100点満点でそれでお終い」ということはないではないですか。特に社会の環境が段々変わっていけば、それに合わせてまた変えていかないといけない、という部分もあるでしょうし。
内田
更なる地域との連携でいろいろ意見を吸い上げていく?
鈴木
安全対策であるとか、経営面については、会社で「地域経営計画」というのを一昨年の暮れに作りまして。それは6年計画としてあるのです。その中に、安全の問題、あるいは経営の安定化の問題、あるいはサービスの質の向上であるとか、そこにいろいろな具体的なメニューも取り揃えているので、それはそれできちんとやりながら。ただ、その計画自体がやはり硬直化してはいけないですから、絶えず社会の動きを注視しながら、我々としては柔軟に対応して、これはもっとこうした方がいいかな、というのがあれば、それはどんどん意識を変えながら、その経営計画をやっていく。
内田
スピード感、変化、というのは大事ですか?
鈴木
大事だと思いますね。やはり変化に対応できない者は生き残ることはできない、ということもあるではないですか。
内田
皆さん、その変化に付いてこられますか?鈴木社長のスピード感に。
鈴木
私の前にいかない様に、私が付いていく。
内田
なるほど。鈴木社長がお考えになる、横浜高速鉄道のこれから、ということを言葉にしていただくと?
鈴木
やはり「沿線と共に発展し続ける鉄道会社」。それと、4.1キロの中で、いろんな新しいチャレンジができる、そういう鉄道会社で「4.1キロのキセキ」。「キセキ」とは「ミラクル」ではなくて、乗っている間も楽しめる、ということで「喜ぶ」「席」です。
内田
いいキャッチコピーですね。それは鈴木社長が考えられた?
鈴木
今、思いついたのです。
tvkのYouTube公式チャンネルの「見逃し配信」では取材VTRも含め、インタビュー全篇をご覧いただけます。(視聴無料です)
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ゲスト
株式会社ちぼり
代表取締役会長 樋口 浩司さん
【プロフィール】
1946年 山梨県出身。
慶應義塾大学を卒業後、日本菓子専門学校へ入学。スイス、ドイツでの菓子修行へ。
1973年にドイツ・バイエルン州にて日本人初の製菓マイスター取得。
1991年 ちぼり・代表取締役社長、2011年 代表取締役会長に就任。
2016年にバイエルン州より日本人初の永世マイスター称号を受章。
1946年に山梨県で創業した「和泉製菓」をルーツに、1969年、湯河原町で設立した「株式会社ちぼり」。「贈答用アソートクッキー」でお中元やお歳暮需要を背景に大きく発展、現在、国内で生産量トップシェアを誇ります。設立から経営をリードする樋口浩司会長は、ドイツ・バイエルン州から、製菓技術を世界に広めた功績を称え「永世マイスター」の称号を受章した菓子職人でもあります。
内田
1946年創業ということで、大変歴史があるお菓子屋さんなのですけども、樋口会長はスイス・ドイツに菓子修行に行ったということですが、どういう目的でヨーロッパに行かれたのですか?
樋口
一言で言いますと、「大量生産からの決別」なのです。
内田
同じ様に大量生産で焼き菓子を作る会社がいっぱいあったという中で、差別化をするということですか?
樋口
そうですね。ドイツの「マイスター制度」というのがありまして。これは伝統的な技術と新しいものを取り入れながら、一人のマイスターが優秀になるだけではなくて、後輩や社員に組織的にどう繋いでいくか。こういう制度の「マイスター」なのですね。
内田
単に自分が手に職を付けるものではない、ということなのですね。
樋口
量産の対局でありながら合理性がある、というところに目を付けました。
内田
そこでどの様なものを学んでこられたのですか?
樋口
そこで学んだことは、やはり「原料」が美味しさの99パーセント。それで「技術」というのは、その原料が他の原料と出会ったり、熱をかけたりして加工するプロセスで更に美味しくなるのを手助けする、という考え方なのです。それをある程度の量産・中量生産の中で実現・ドッキングしてできたらいいなと。こういうところを見つけたのです。
内田
どの様にしたらうまくラインに乗せられて、でも手作り感をしっかり残すか?
樋口
そうなのです。高級な焼き菓子、いわゆるクッキーですね。当時は特にバターの多いものが多かったですから、普通の機械で形が作れない。あるいは普通の鉄板で焼いていると形がだれてしまう。ですから、これは1枚1枚手でやらないとできない、という時代にそうやって乗り切った。
内田
反響というのはどうだったのですか?
樋口
これは非常に大きかったですね。
内田
売れました?
樋口
売れました。ちょうどその時分はお中元・お歳暮というのが今に比べるとはるかに盛んでした。それと同時に、そのお中元・お歳暮の中身が、宅急便が今ほど発達しておりませんから、生ものとか産地のものがまだ扱いに乗らなかった時代で、日持ちのするお菓子というのは非常に重宝がられたわけですね。
内田
そういうものをまず原点として持ち、今となっては様々なスイーツを作れる会社となっていった。
樋口
はい。
内田
スイーツの流行はすごいですよね。流行り廃りがあって、なぜこの流行の中でしっかりと売れる商品というものを作っていけるのか?
樋口
例えば詰め合わせ。「アソートクッキー」と言いますけれども、この「アソートクッキー」は、例えればお正月の「おせち料理」。いろんな色があり、味がある
というところですね。やはりこの強みがある。時代の流れが変わって、特に今は情報がものすごいスピードですから、「流行」とか何とか出てきますね。それはそれで一方ではありますけれど、もう一方ではそういう「定番」というものはやはり廃れないである。しかしその「定番」も、同じではやはり飽きられます。「去年贈ったものを贈るわけにはいかない」とか。変化や流行への対応と定番の掘り下げを上手く調和していく、というのが課題です。
ルーツである山梨県にある主力工場では、様々な種類の焼き菓子やケーキなどが生産されており、お菓子作りのこだわりは原料選びまで及びます。通常は商社などを介して輸入する原料も、自社内にある貿易・調達部門が現地まで赴いて買い付けています。
「ちぼり」の代表的なヒット商品は、年間約200万個製造されている焼き菓子の詰め合わせ「赤い帽子」。国内だけでなく海外20数か国でも販売され、特に台湾などのアジア圏を中心に「幸せの赤い帽子」と、縁起の良いお菓子として人気を集めています。
内田
非常にお菓子作りにこだわっていらっしゃるという表れとして、自社で材料を調達している。この「自社調達」というのはいつからやっているのですか?
樋口
そうですね、25年くらい前からやっておりますね。
内田
そこには何かきっかけがあったのですか?
樋口
当時、今よりも海外のものはそんなに多くなかったのですね。やはり自由化ということで関税下げとか、一番話題になったのは、「オレンジ戦争」というのがあります。
内田
ありました。
樋口
そういうことで、お菓子もたくさん海外のものが入ってくる様になった。そうすると、特に洋菓子・焼き菓子の原料はチョコレートとかアーモンド、あるいは小麦粉も大半はそうですから、それが豊富にある国に負けてしまうだろうと。
内田
その通りですね。
樋口
そういうわけにはいかない、ということで、まず現地に行って、それから原料に入っていった。ですから、「リスク」が「チャンス」になったのですね。
内田
いつ手に入らなくなるかということが分からないという意味では、自分達のルートをしっかり持っているというのは、リスクヘッジになる?
樋口
そうです。リスクヘッジになりますね。世界の状況が分かりますよね。
内田
非常に面白いと思ったのが、「赤い帽子」という御社のアソートのクッキーセットが海外で人気であると。この「海外市場」というのは、これからまだ伸びていきますか?
樋口
GDPが皆さん非常に伸びて参りますね。そうしますと、それだけの余裕が生まれてきますから、このお菓子・焼き菓子だけとっても、ニーズの広がりというのは非常に大きい。そこへ世界企業や地元の企業さんが皆やってきますが、そういう中で我々の独自の道を築いていくために、今までのものをもっと磨いていけば、と思っています。
内田
市場が拡大するという見通しの下、どんどんチャレンジしていくところであると?
樋口
そうですね。今、日本政府の方針もそうでして、食糧の輸出ですね。お菓子業界も「全日本菓子輸出組合」というのが強化されまして。それは官民一体となって進んでおります。
内田
一方、日本市場を見ると、よく言われることは「人口減少」「少子化である」。更に、お中元・お歳暮というところの文化というものが、なかなか続いていかない。この部分はどういう風に捉えていらっしゃいますか?
樋口
正におっしゃられる通りでありますね。特に大震災直後から、お中元・お歳暮という習慣でお菓子を使っていただくのが減ってきたのも事実ですね。
内田
大震災が大きなきっかけになっているのですか?
樋口
「減った」というのは何が減ったかというと、「儀礼で」贈るのが減った。
内田
なるほど。
樋口
そうであって、「本当に心をこめて」というプレゼントは、逆に増えていましてね。手土産だとか、「ライトギフト」と呼びますけども、訪問する時だとか、いろんな時のプレゼント。或いは、特に女性はご自分への「プチ贅沢」。
内田
ご褒美?
樋口
こういう分野は非常に伸びていますね。
食品業界に大きなインパクトを与えるのが「食品表示法」。2020年4月から、一般用加工食品の表示基準が一元化。製造所固有番号を使用せずに、製造所の所在地及び名称が表示されます。これにより、グループ傘下の各ブランドの商品などに、これまで表示されていなかった「ちぼり」の工場名などが表示されていきます。3年後の大きな変化を前に、今年秋には本社工場としての複合施設「TIVOLI(チボリ)湯河原スイーツファクトリー」をオープン予定。地元密着を軸に、消費者に開かれた生産体制の構築へと改革を進めています。
内田
「食品表示法」が施行されるということなのですけれども、これはちぼりにとっては非常に大きなチャンスにもなる、というお考えですか?
樋口
そうですね。私どもの今までの販売が、お客様の買い方、例えば、デパートで買われる動機、コンビニエンスストアで買われる動機、専門店で買われる動機、それぞれ違いますので、その販売チャネル毎の販売会社を立ててやってきたのですね。ところがこの法律の施行によりまして、全部私どもが出てくる。そういう状態は、一部OEMもありますので、お客様も驚かれるし、供給する我々も「一体どうなるのだ?」という心配があります。
内田
今までは、様々なお菓子のブランディングの戦略として、敢えて「ちぼり」と言わなかったりして、お客様のニーズに合わせてきた。でもここからは「ちゃんとちぼりが作っていますよ」ということを全部表示しなければいけなくなる。そうすると、お客様は「これはちぼりさんが作っていたのか」という風に気が付く。これが、ピンチなのか、チャンスなのか、ということですね?
樋口
今年の秋に向けて、本社を建て替えていましてね。「TIVOLI(チボリ)スイーツファクトリー」というのが完成します。その時には、消費者のお客様に工場も見ていただきますし、直接ご案内もできるので、そこで「ちぼりとは何か」という、一つのご提案ができる。そういうことによって、そういう混乱も逆に言えばチャンスとして、納得いただける様な道があるのだと思っております。
内田
これからは全て、トレーサビリティーではないですけども、「見える化」というものがさらに進んでいく。そうなった時にお見せする「ちぼり」というものをどうしようかと?
樋口
はい、そうですね。それは、お客様にとってみれば完全に「見える化」ですから、いいことなので。いいことに対して、我々は積極的にそれをきちっと納得していただける様に展開していく。
内田
「ちぼりとはこういうものだ」ということをここで見せるとおっしゃいましたけれども、一番大切なポイントというのはどこだお考えですか?
樋口
「焼き菓子メーカーである」と。単なるクッキーだけではなくて、チョコレートも、また湯河原ですからみかんがありますので、そういうものと上手くドッキングした、「こういうお菓子が、こういう流れで、安心にできているよ」と見ていただいて、作ることの楽しさを味わっていただきながら、また持って帰って皆さんにも自分でも喜びを分かってもらいたい。こういう風に思います。
内田
「日本のお菓子文化」というのをお伺いしたいのですけども、これはどんな風になっていく、その中で「ちぼり」はどういう会社になっていくのか?
樋口
「お菓子文化」そのものは、お客様の喜びと共に、あるいは悲しみの時にもお菓子はありますので、いつも一緒に寄り添ってきたし、これからも寄り添っていけるものだとまず思います。その中で、日本人の心で生まれた「五感を大事にする」こと、それから「きめ細かい技術」、それを更に更に進めていくことが我々の前に揚々と広がっている、という風に思います。
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