神奈川ビジネスUp To Date
ゲスト
株式会社中萬学院
代表取締役 中萬隆信さん
【プロフィール】
1957年横浜市生まれ
学生時代はミュージシャンを目指す傍ら、中萬学院の教壇に立つ
中萬学院入社後、スクール室長、学院本部副部長を経て1996年に代表取締役社長に就任
神奈川の地で半世紀を超える伝統と12万人の卒塾生を送り出してきた実績を持つ学習塾、中萬学院を特集。「進学指導・学習指導を通した人創り支援」を企業理念に掲げ、革新し続ける学習塾の教育への考え方や企業哲学、今後の展開などについて伺います。
内田
中萬学院は、神奈川県を地盤とした学習塾で、創立から60年以上経っていらっしゃると。
中萬
今年で、創立63年になります。
内田
63年されていて、卒塾生が12万人を超えているということ。長い歴史の中で、神奈川県で教育産業をされてきているわけなんですが、塾を始めたきっかけ、その時の想いとか理念はどういうものだったんですか?
中萬
もともとはうちの会長(中萬学院創立者・中萬憲明氏)が、中学校の学校の教員だったんですね。教科は、英語を担当していたということで。ただまだ、若干26歳でありながら自分のやりたい教育をやりたい、特に戦前の教育を受けていますので、やはり戦後、ドラスティックにいろんなものが変わっていって、戸惑いもあったと思うんですね。英語指導を通して自己流の人創り支援をやりたいということではじめたのがそもそもでした。
内田
それから今、12万人の卒塾生ということで、規模を大きくされてきた歴史ですけれども、それぞれ転機といいますか、どんなことがありましたか?
中萬
塾が開設された当初は、高校受験で英語が入試科目ではなかったんです。その後、徐々に進学率が上がりますよね。昭和30年代、40年代一気に上がっていくわけなんですが、高校受験で合格を期待する生徒が沢山いる中で英語1教科では十分でないということで、受験対応の塾に徐々に変貌していったということなんです。それが一番大きなきっかけだったと思いますね。
内田
今、少子化ということで、子どもの数が激減しているといわれる中、「塾」という産業にとっては、ある意味逆風といいますか、そういう風に見えるんですけれども、1988年というところを起点として子どもは半減しているが業績は、ずっと右肩上がりで伸びていると。これはいったい何故なんですか?
中萬
日本の人口の規模というのは、この小さな島国にしては非常に規模が大きいですよね。1億2000万人を超えるというのは、世界第10位の人口規模でもありますし。子どもの数は、まだまだ十分、沢山いらっしゃると。
内田
少子化と言っているけれども、比較的減ってはいるけれども、他国と比べると十分だと。
中萬
それと大きなベッドタウンの駅に行きますと、うちの本社(横浜市港南区)がある辺りでも、10~20の学習塾というのは、ひしめき合っていますよね。その意味でまだまだ淘汰には至っていなと。
内田
塾産業はまだ盛況であると。産業としてはまだ右肩上がりであると。
中萬
もう一つは、私たちが高校受験専用の塾だった。そして中学受験も対応するようになった。最近では、大学受験もやるようになった。あるいは業態を変えて、集団指導だけではなくて、個別の対応もするようになった。ビジネスの形、モデル、指導の形を変えてきた、対象を広げてきた。あるいは、エリアを広げてきた。という形でなんとか成長を維持できるように、我々自身の工夫もあったと思いますね。
大学進学を目指す高校1・2年生を対象に、能動的な学習、いわゆる「アクティブ・ラーニング」を実践するための場として、シンガポールでの海外研修も行っています。
内田
海外研修という、これはあまり学習塾がやってきたことではないと思うのですけれども、あえてこれを導入していると、この狙いは何ですか?
中萬
当然、受験がゴールではないですから、その先どう生きるんだということを見据えた上で納得のいく大学受験をして欲しいと。ですからその部分では、少しキャリア教育的な視点というんでしょうか、一つの特徴として取り組んできた部分ではあります。
内田
それは、どういったところから必然性を感じられましたか。
中萬
これは必ずしも私が必要性を訴えたのではなくて、社員の方から、特に大学受験の事業部の責任者から「自分たちなりのキャリア教育をやってみたい」ということで、どちらかというと現場から工夫を出してくれたんですね。今、シンガポールで行っているんですけれども、シンガポール国立大学、これは日本でいうところの東京大学に匹敵するような非常に優秀なレベルの高い大学なんです。こちらの大学生の方との交流プログラムであるとか、異国のしかも力強い国のリーダーたち、若い人たちがどういう視点で、どういう希望を持って勉強をしているのか、今のうちの高校生たちとコミュニケーションしていただいたりして、非常に感動して帰ってきます。
内田
それを体験した子どもたちというのは、何か変化は見られますか。
中萬
何のために大学に行くんだろう。どうせ行くならどういう学部であり、学科を選んだらいいんだろうと、主体的に我がこととして考えはじめる。それはやはり、シンガポールの若い方々というのは、「危機感」で勉強しているんではないんですね。「チャンス」であると。これからは希望を持ったり、自分たちが努力したり、頑張ることでいくらでもチャンスがあるよ、夢があるよと。なかなかそういう学生には日本では、ひょっとしたらお会いする機会が少ないのかもしれませんね。同じような世代の人たちがまったく違った意欲を持って頑張ろうとしている、その刺激が貴重だと思います。
内田
あともう一つ面白いのが、「MyET」という教材をお作りになられたということなんですけれども、これはどういうものなんですか?
中萬
この「MyET」というのは、厳密にいうと我が社だけが単独で作ったものではありません。もともとは、台湾の優秀なIT会社が作ったものなんです。簡単にいうと、英語の音声分析ソフトです。人それぞれに合ったスピーチ、あるいは音読ですね、これが通じるかどうか。正しい英語で伝わっているかどうか。というものを個人個人に診断してくれるシステムなんですね。
内田
これを世に出そうと思われた背景というのはどこにあったんですか?
中萬
まさに日本の英語教育というのは、変わろうとしていましてね。昔は大学受験に縛られていましたから、大学受験そのものが文法中心であり、そして長文読解であったり。即ち、文法と読解に相当シフトしていましたから。それが最近言われます4技能ということで、聞く力、話す力、書く力、読む力。この4技能に関してバランス良く、まさに実践的な総合の英語力が必要だと、そういうことになりましたね。
内田
この「MyET」なんですけれども、塾生だけでない広がりを持つ教材になっていくのですか?
中萬
今現在、私どもの直営の学習塾はもちろんですけれども、我々の関連会社の株式会社エドベックという会社がありまして、こちらの方で全国の力のある塾には販売を始めました。3月から正式な販売をはじめました。
内田
どうですか、反響は。
中萬
おかげさまで、ちょうど時代にあっているということと、もう一つは、タブレットとか、あるいはスマートフォンとか、ICTのデバイス自体が非常に発展しましたよね。これも非常に英語教育にフォローになっていると思います。ちょうど時代に合っているということで、おかげさまで3か月で約2万名以上のアカウントをいただけるようなりました。
内田
こういう塾が開発した教材を対塾に売っていくというのは、ちょっと面白いなと。また、新しさを感じるんですけれども。
中萬
私どもの直営の塾というのは、東京都のわずか2教場。あとはほぼ神奈川県ですから、全国の学習塾とは共存できますので。
内田
そこはライバル関係ではないのですね。
中萬
できるだけ日本の広い範囲で、今のこういう先進的な勉強をしてもらいたいなと。一人でも多く英語ができるようになったというのを全国の塾を共有できた方がいいだろうということですね。
内田
せっかく勉強するだったら使える英語になる、それこそグローバル人材の基本ですよね。
中萬
おっしゃる通りですね。
内田
神奈川県の教育環境についてお伺いしたいのですが、神奈川はすごく学校も多いですし、生徒さんも多いという中で、様々な教育の変化も他県に比べると多いように伺うんですけれども、こういう環境というのは、中萬学院にとってどういうものなのですか?
中萬
神奈川の場合ですと、伝統的に公立の学校はもちろん元気だったわけですよね。昭和30年代、40年代、50年代にかけて。私学は私学で、ミッション系の女子校などは一番歴史がある神奈川の学校ですから、もともと名門、あるいは個性豊かな非常に力強い学校があったわけなんです。ですから私学も公立も元気だというのが、この神奈川の歴史でもあるわけです。その意味で我々にとってみれば中学受験の豊かな市場があり、高校受験でも選べると。これは生徒さんにしてみれば、なにも中学で進学しなくても高校で頑張ればいいじゃないかということで、選択の幅に多様性が維持できているということでしょうね。そして大学進学は、もちろん神奈川にも大学はありますけれども、首都圏全体で魅力的な学校が沢山あるということですから、進学あるいは学習という環境については、恵まれた県だということが言えると思います。
内田
子どもたちにとっても、良い環境ですし、塾経営にとっても非常に良い環境だと。
中萬
いろんなニーズに対して幅広く対応がしやすいということがいえると思います。
内田
そういう流れの中で、変化が生まれてくるんですよね。学校教育というのはこれまでも変化してきた中で一番大きなポイントになってくるのがセンター試験が廃止されると。これは大きな転機といいますか、考えなければならない課題がると思うのですけれども。そういった大きな改革の中で塾としてもいろいろあり方、教育の仕方を大きく変えていかなくてはならないと思うんですよね。いろいろなものを読む、暗記であるとか反復性というものに頼りがちだった教育から思考力、判断力、表現力というものも、これから大学を入試するにあたり求められてくる。真の学力というような言い方をしていますが、これに対応していくというのは簡単でないと思うんですけれども。
中萬
一つは学校教育が変わっていくというのが一番大事なんですね。今までは身に付けなければならないことを、ただ先生が言われた通り吸収していくという一方的な勉強であったわけですね。どちらかというと受け身的な勉強といいますか。そうではなくて、思考力とか判断力ということになりますと、自分で考えなくてはならない、自分でいろんな情報を編集しなければならないということですから、その為に今よく言われています「アクティブ・ラーニング」というのが重要になってきたわけなんです。それを土台にして、どういうテストをしたらそういう力を見ることができるのかということが問われているんですね。
内田
塾ビジネスとしては、受験の為の勉強をしてとくにかく希望の大学に送り込むというのがミッションであり、そのためにフィーをもらってやっていたと。じゃぁ、これからは今までの暗記をさせて合格させるということではないやり方が必要になってくると。そうなってくると課題になってくるのが講師のあり方だと思うんですよね。
中萬
一言で説明するのはなかなか難しいのですけれども、新しい入試になれば、それに対して対応する施策というのは、これは今も昔も変わらない。入試がどう変わるんだということが分かりさえすれば、それに対応するというのは塾としては当たり前のことですから。まさにポイントをしっかり外さないように我々の指導改革というのを一生懸命やるしかないんですね。これは今まで以上に熱心にやっていく必要があると思います。
内田
中萬社長がお考えになる今後の「中萬学院」の未来の姿というのは、どのようなものなのでしょうか。
中萬
世に中の教育の姿が随分と変わってきましたよね。ただ、ここで気をつけなくてはならないのは、ゆとり養育の時に基礎知識とかこういうものも軽視されました。基礎知識とか基礎スキルを軽視した上で、きちっと本を読む力、あるいは計算をしっかりする力とか、語彙力をきちっと身につける力とかこういうものを軽視して思考力というのはなかなか付かないんですね。判断力も。ですから、今までの学習のあり方がダメなのではなくて、むしろ基礎学力というのは重要なんですね。基礎学力をつけた上で、ただ知識をため込むのが目的ではなくて、それをどう使うかが問われていますよと。
内田
これまでやってきたことを否定するのではなく、きっちりとした暗記、基礎学力確固たるものを築いてプラスαその応用をいかにできるかというようなところの部分を追加していくんだと。
中萬
今までもそうなんですけれども、これからの時代というのは、うちの講師だけではなくて、一般企業に勤められている方々も、次の世代を担う新しい人たちも、ある程度の共通性としては、機械にやってもらえるところは機械にやってもらう時代になりましたよね。あるいはロボットにやってもらう、コンピューターにやってもらうとすれば、最後に人間に求められるというのは、「極めて高度なアナログ性」だと思うんですね。それは論理、あるいは感性、感情、いろんな情報、そういったものを統合できるか、インテグレートできるか、そして新しい価値を生み出せるか、伝えられるか。そういうことですから、極めて高度なアナログ性だと思っています。そういうことが、努力する中で一歩でも身に付いていくような、学校も塾も同じだと思いますが、そういう指導のあり方が極めて重要だという風に思います。
tvkのYouTube公式チャンネルの「見逃し配信」では取材VTRも含め、インタビュー全篇をご覧いただけます。(視聴無料です)
ゲスト
横株式会社ニットー
代表取締役 藤澤秀行さん
【プロフィール】
1973年横浜市出身
横浜国立大学工学部卒業後、日本発条を経て1997年にニットー入社
2006年代表取締役に就任
横浜で金属加工・金型製作を手がける「ニットー」を特集。工程ごとの分業が多数を占める製造業において、設計から量産までを担う一貫生産で躍進を続けるニットー。同社を形づくったM&A成功のポイントとなった「企業理念」や、現在注力する自社製品の開発について伺います。
内田
中小企業の製造業というと、どうしても分業というイメージが強いのですが、ニットーは一貫でものづくりができる。これはやはり特殊なことなんですか?
藤澤
そうですね、まだまだ日本の中では一貫生産というのは少ないと思われます。
内田
それができるようになった理由がM&Aであったと。
藤澤
ちょうど2004年、12年前ですね。その当時、今でも多いのですが、製造業で後継者がいないとう会社があって、そこで会社を解散してしまえばいいのですが、その会社自身が借金もあったので解散することもできないという状況でした。
内田
やめるにやめられないと。
藤澤
それでニットーに相談があって、その時私は専務で父が社長でした。それで引き継いでくれないかという話があって、父は知り合いからの頼まれごとに対しては「じゃあやろう」という意気込みの方なので、その会社を引き受けようということがM&A、会社を一緒に経営するきっかけでした。
内田
その時に専務でいらした藤澤社長はどう感じていましたか。
藤澤
私が今後会社を引き継ぐという立場にあったので、なんで借金のある会社を引き受けるのかと、最初は反対でした。
内田
そうですよね。引き受けた側はそう簡単ではないわけですよね。
藤澤
でもニットーにとってメリットがあったんです。それまで金型メーカーとしてずっとやってきて、プレス加工とか部品加工、機械加工など少しずつ事業の幅を広げていこうという時だったんです。一緒になったことで、ニットーの技術の幅が一気に広がったんですね。
内田
(ニットーが)持っていない技術を持っていた?
藤澤
通常そういう技術を獲得しようとした場合、例えば設備を買って、人を雇い、そこで技術を鍛錬して、その技術に見合ったお客さんを見つけてきて初めて事業として成立しますが、M&Aによってすぐにその全てを獲得することができました。それでニットーの新しい販路として金型を提案したり、機械加工を提案することができたので、販路も広がりました。
内田
引き受けた借金は、思っていた以上に早く無くなったんですか?
藤澤
そうですね、仕事が回っていって相乗効果で借金も早く返すことができました。もう一つ、技術を残すことは大事だなと思いました。日本には資源が無い中で、「ものづくりの技術」というのは日本にとって大切な資源だと思います。それをニットーが引き継いで、どんどん若い世代に引き継いでいくことも大事な仕事かなとも思います。
内田
製造業としての責任感とか心意気、情熱というところで、一緒になってシナジーを生み出すというのはどうだったんですか?
藤澤
ちょうど6年前に大きな土地を買って4社(2004年以降,M&Aで3社を買収)を集約して工場として、一つ屋根の下でやっていこうということになったんですけど、そこでトラブルというか大変なことがありました。今まではそれぞれの屋根の下で自分のスタイルでやってきて、一箇所になるとそれぞれの会社自身は、良い悪いじゃなくて多少文化が違うのでどうしても人と人との摩擦というかストレスがありました。
内田
どっちが悪いとか、間違っていることではない、だから難しい。
藤澤
一つ一つで見ると正しい、でも全体で見るとちょっとチグハグな状況があったと。
異なる技術・文化の中で仕事をしてきた従業員を一つにまとめるため、会社を再構築するという決意のもと、社員が一丸となって「企業理念」を策定。毎朝の唱和も自主的に始まったと言います。
藤澤
従業員と一緒に、まず最初は「自分たちは何のために生きているのか」と。
内田
生きているかと。
藤澤
「生きているのか」から始めて自分たちはどういうことをしたら幸せなのかという観点から意見交換をして、生活とか、自分たちの人生の幸せとは何かというところから落とし込んで、そこで働くニットーはどういう目的で進んでいくか、ニットーの存在意義は何かというところで皆で話し合って、半年かけて企業理念をもう一度作り直しました。
内田
その中でいろいろな意見が出たと思うんです。何のために生きているんだ、何のために働いているんだという時に、どんなぶつかり合いがありましたか?
藤澤
職人肌の人は技術を高めたい、また仕事は生活のためにやっているから、それなりに給料もらえて時間を持ちたいという人もいるわけです。お互いを理解し合いながら、会社の向かうべき道を企業理念として決めていきました。
内田
その企業理念ができました。バラバラであった皆の見ている方向、ベクトルが一致していった。それは見るからにわかる変化だったんですか。
藤澤
できたらからすぐ、というわけにはいかないです。でも方向性として「まとまる」というのはこういうことなんだなと、ということが分かって私自身もすごい勉強になりました。
内田
皆で企業理念を決めるという作業は、ある意味M&Aを成功させる一つのポイントでもあるわけですね。
藤澤
ポイントですね、はい。
内田
で、ようやく固まって決まったと。
藤澤
そこでもう一つ、転機というか気付いたことがありました。工場を集約して、工場見学してもらうと、「あれニットーさんは金型屋さんだと思っていたのに機械加工もできるの」とか、「機械加工屋さんだと思っていたけどプレス加工もやるんだ」ということで「それだったらもっとこういう仕事も頼んだのに」と言われたんです。
内田
逆にお客様から。
藤澤
そこではたと思って。ニットーが技術を持っていても、それをお客さんにアピールしていないと、せっかくの技術も持っていないのと一緒だなと思ったんです。培ってきたいい技術をもっといろんな人に知ってもらわなければいけないということで、私自身マーケティングの勉強をしたり、どんな会社であるかをいろいろな人に知ってもらうために情報発信をしていこうということをやっていきました。
内田
本当におっしゃる通りですよね。ものづくりの会社に何が足りないかというのは、自分たちの技術を発信する能力ですよね。でも社長自らがマーケティングを勉強された。それでトップセールスもされているというのは、すごいことなんだろうと思います。皆やりたくてもできない。
藤澤
この会社をなんとかしなきゃいけないという危機感と、せっかく皆一緒になったのに仕事が来ないんじゃどうするんだと。藁をも…ではないですが、自分の中で何かしなければいけないということからそういうことをやりだしたんです。
現在ニットーが力を注ぐ「自社製品」の開発。現在開発を進めている製品がウェアラブルチェア「アルケリス」。藤澤社長自らも千葉大学の特別研究員として企画・製造をリード。板を複雑に曲げる板金や、部品の精密加工や組み立て、金型など、ニットーが培ってきた技術力とアイディアが詰まった製品です。
内田
アルケリスはまだ開発中なんですね。
藤澤
はい、製品化までもう少し時間がかかります。
内田
これは最終的にはどういうものになるんですか。
藤澤
まずは医療向けということで製品化をして、実際にお医者さんの立ち仕事を楽にするということを実現したいです。そしてお医者さん向けだけでなく、いろいろな発展というか他にも用途として使えるところがあります。例えば製造現場とか農業とかですね、立ち仕事をするのを楽にするということで、そちらの方のバリエーションも増やしてですね、 この「アルケリス」、ウェアラブルチェアの仕組みを使っていろいろなことの手助けができればと思っています。
内田
いろいろ発展した姿がイメージできるのでぜひ実用化してほしいですが、自社製品を作っていくという流れがニットーの中に起こっている。この自社製品を作るメリットというのはどういうところにありますか。
藤澤
一貫生産をどういう風に伝えるかというときに、自分たちで製品企画をして製品化すればよりわかりやすいんじゃないかと。
内田
なるほど。その自社製品を作り、自分の会社はこんなものも作れます、それは一貫生産だからですよ、ということで、お客さんは随分変わりましたか?
藤澤
変わりましたね。自社製品をやると、まずその製品を欲しいというお客さんが集まってきて、その製品を買ってくれる。次に、自社製品をやっていく中で必ず「ニットーが作っている」という説明をするんです。そうすることによって製品は必要ないけれどそういう技術は欲しいというお客さんが結構いるんです。それを見てくれて別の開発案件が来たりとか、そういうことで仕事も広がりました。
内田
社員の方達はずっと分業でやられてきた世界の中で、ある意味どこの仕事もできるようになってきているという方向なんですか?
藤澤
そうですね。「多能工」というのがうちの教育方針としてあって、例えば設計の人が実際に加工をしたり、量産加工する人が試作を作ったりというのをわざとやれるように、会社としても推奨してやってもらっています。そうするといろいろな工程がある中で、いろいろな知識も身に付けられて、会社の中に先輩のエキスパートがいる中で勉強になるわけです。あとは仕事がこっちが忙しいけどこっちは暇という時に、移動してやれるという大きなメリットがあって、いろいろなことに対応できるようにスキルを上げていく。そしてスキルを上げるということは、会社もそうだと思っていて、会社としてもこれしかできないという会社はどうしても厳しくて、これもできるし、あれもできる。ニットーが得意ではなくても知っている技術であれば協力企業にお願いするときにも意思疎通がしやすいんです。そういった意味では会社自身もいろいろなことに固定観念なくチャレンジしていこうという体制です。
内田
これから何年も会社をつないでいくという意味では、どんな会社にしていきたいですか。未来の姿として。
藤澤
まずは一つ働いている人たちが楽しいというか、誇りを持てる職場にしたいと。あとはものづくりですね、ものづくりの楽しさを伝えていきたいという中では自社製品をより一層作っていきたいと思います。
内田
例えば次の自社製品というのはどんなアイディアがありますか。
藤澤
まだここでは言えない。内緒ですけど、いわゆるIoTのものですとか、あと今回はウェアラブルチェアですけど、身に付けるものですとか。こうじゃなきゃいけないという固定概念をなくして、柔軟な発想の中でやっていくとまた新しいアイディアとか、ヒット商品につながるかなと思っています。
tvkのYouTube公式チャンネルの「見逃し配信」では取材VTRも含め、インタビュー全篇をご覧いただけます。(視聴無料です)
ゲスト
株式会社トヤマ
代表取締役社長 遠藤克己さん
1959年東京都生まれ
1982年東京大学工学部卒業後、三菱重工業を経て1990年にトヤマ入社
2006年4月代表取締役社長就任3年に卒業、薬剤師国家試験合格
1954年、遠藤製作所として産声を上げた「株式会社トヤマ」。創業時から大学や国の研究機関などから依頼を受けて科学機器を製造してきました。山北町の恵まれた自然環境の中で行われる最先端の「ものづくり」と地域とのつながりについて伺いました。
内田
「サイエンスをかたちにするテクノロジー」というスローガンを掲げていらっしゃいますが、いったい何を作っている会社なんですか?
遠藤
「サイエンス」というと、ぼくらも理解できないようないろんな理論が確立されていて、ある意味「宗教」と対局にあり、人類が得ている大きな果実の一つと思うんですが、これは理屈だけではダメで「検証する」という行為が必ず必要になってくるのです。例えば、ビック・バンというものが、宇宙の最初の始まりだといいますが、「じゃあ誰か見た人いるの?」ということになると誰も見た人がいないわけですよね。ですから必ず実験検証してはじめて次のステップにいけるという行為がありまして、そのためには実験のための道具立てが必要になってくるんですよ。我々の会社というのは、実験装置を手作りでひとつひとつオーダーメードでつくっている会社なんです。
内田
様々な実験が世の中で行われていて、(装置製作の)オーダーがある会社・研究所はノーベル賞を目指しているようなところですよね?
遠藤
例えば、7、8年前になりますけれども、小林(誠)先生と益川(敏英)先生が「CP対称性の破れ」という理論でノーベル賞(2008年)をとっていますけれども、その時にも、高エネルギー研究所という筑波に研究所があるんですが、そこにリング型の加速器があって実験検証が行われたわけです。我々はそういったところに装置を納めています。
内田
加速器のどの部分に、(トヤマの製品は)使われているのですか。
遠藤
「シンクロトン」という加速器から特殊なX線が発生するということが知られています。これは放射光というものなんですが、そういったところの放射光の光、これはX線で、それを使うビームラインという系統、システムがあるのですが、これが今一番我が社が仕事をさせていただいているフィールドですね。これが今、一番使われているのがたんぱく質の構造解析なんです。これによって、製薬会社の新たな新薬の開発が過去に比べると100倍ぐらいスピードアップしているんじゃないですか。それがもの凄く有効ですよね。
内田
そこまで特殊な特別なものを1個ずつ、受注生産でそのためにつくると。そんなに難しい、しかも精密なものが求められるものを、「これ作ってくれ」と言われて、作れちゃうんですか?
遠藤
やはりいろんな技術要素がありまして、それを一つ一つ積み重ねて絶えず「READYな状態」しておかないと、なかなかそういったものは作れないですよね。だから、技術の蓄積というのを常に「いざ鎌倉」という時のためにやっておくという必要があって、そのためにはやる気のある若手というのをどんどん入れて教育訓練しておかなくてはならないということになるんですね。だから、すぐ簡単に作れるかというとそんなことはないです。作れないですよ。その教育訓練のためには場所もいるし、お金もかかるし、大変な時間がかかると、こういうことなんですね。ですから、昔からそういった装置作りをやるときに、大学の偉い先生とかが自分のアイデアをかたちにしたいということでいろんな業者に頼んできたりしてきたわけです。そういった気持、情熱にほだされた経営者なり職人さんが作ってきたわけですよ。それは一過性のもので、それで終わってしまうんです。それを会社組織みたいな形でやるというのは、採算性の面から、良い人材を採って育成するという面からしても、凄く長い時間とお金と情熱がかかるものですから、何代も続いてやってきたという会社は日本国内にも何社もないですよね。その1社が我が社ということだと思います。
内田
量産して儲けようというビジネスではないわけですよね。一生懸命投資して作っても、失敗したらアウトじゃないですか。そこで、このビジネスをずっとやり続けようと、ここまで成長できた理由は何ですか?
遠藤
僕が社長をやってから10年目になりましたけれども、まぁ失敗続きですよ。その度に大きな損をこさえていますから。「なんでこんな苦労をしてまでやるのか」ってみんなから言われますけれども、この会社は私の父親がつくった会社ですから、私なりに使命感を感じてやらざるを得ない仕事だなと自覚していますので。
内田
使命感。自分たちには使命感があるというのは、最先端の科学をサポートするという人類の究極の好奇心?
遠藤
宗教でも、サイエンスでも、何でもそうなんですが、「自分が何者なのか、これから何処へ向かっていくのか」、みんなが考えていることですよね。そういったことを追い求めていく人は、別にその人にロマンを感じるわけではないですが、やっぱり光って見えますよね。僕等もそういったものを何らかのかたちでサポートしていけたらということを当然考えますし、父親もそれでこの会社を興したようなんです。それを彼は職人気質だったので言葉には上手にできませんでしたが、それを受け止めて言葉にしていくと、今我が社が掲げている企業哲学に結実していったということなんですかね。
昨年完成したトヤマの新社屋・工場は山北町にある山の頂上に建てられました。最先端の製造業の企業が都心では無く、あえて自然豊かな場所にある意味を遠藤社長に伺いました。
内田
社屋の回りが大自然で大変ロケーションが素晴らしいところなんですけれども、ある意味、山のてっぺんにあるというのは、非常に特殊といえば特殊。なぜ、ここに社屋を造られたんですか?
遠藤
僕は、こういった仕事をしていく上では、人間の感性というものを育んでいくことが極めて重要だと思っているんですよ。私自身も東京の丸の内にサラリーマンとして8年勤めていたんですが、そういった時に再三感じましたけれども、毎日が疲弊する、消耗するようなそういった気分だったですね。ですからいっそのこと、新しい工場を建てる時は自然豊かなところと思っていたんですよ。この山の上というのは、外来要因といいますけれども、いろんな精密な機器の性能確認をする上でこの外来要因というのが悪さをするんですが、それからフリーなんですね。例えば振動なんていうのは、近隣に道路があると、そういったところから伝わってくるんですね。人間が住んでいれば、そこの空気が淀んだり流れたりするんです。そういった意味からすると、ここは極めて岩盤も安定ですし、空気も清浄ですし、外来要因がない環境なんです。自然が豊かで、外来要因がない、ものづくりをする上で理想的な環境だということなんですね。
内田
自然豊かで集中できるということだけではなく、作っているものの精密度を要求するときに悪さをしないところであると。
遠藤
第一は感性豊かな人材を育てたいということですよね。何にも無いところだと、例えば、ピュアな子どもたちを何もない自然のところにおくと、そこにはスマートフォンもサッカーのボールも何もなくても彼らは、そこら辺にあるものを眺めて、川で遊ぼうとか、木の棒でゲームしようとかするでしょう。アイデアがどんどん生まれるでしょう。それと同じなんですよ。何にも無いというところは、ぼくは神様に近いところだと思っているんですよ。例えば、宇宙空間に行ったり、エベレストの頂上に立ったりすると神様を感じるとか言うでしょう。あの感じ。だから何も無いところだと神様近いような、そういったところで自然に静かな気持ちでいるとインスピレーションが湧くというのは僕自身感じていることなんですけれども。そういうのを若者にも体験させてあげたいというか、若者にもそういった環境を用意してあげたいという気持ちだったんです。だから僕は、この新しい工場を造った時に、潜在自然植生の鎮守の森を宮脇昭(生態学者・横浜国大名誉教授)先生も言っていますが、これを再生するということをアイデアとして持って実際に実施したんです。みんな社員総出でやりましたよ。
内田
素朴な疑問なんですが、山の上にきて、五感が研ぎ澄まされるというようなことで、インスピレーションが降りてくるということだと思うんですが、自然があるという中に工場があるということが、そんなに人間を変化させるんですか。
遠藤
それは、僕が期待しているだけかもしれない。ただ、社内をぐるっと回ってもらうと、窓を大きくしています。晴れた日にブラインドを開けると富士山がどかんと見えるでしょう。反対側を見ると湘南の海がドンと見えるでしょう。大島なんかもくっきり見えるでしょう。そういったものをちょっとでも目にするだけ。外に出て空気をちょっと吸う。それだけ。ちょっとの差なんですが、違うと思いますよ、僕は。違いの分かる人間になって欲しいな、みんな。多分、なると思いますよ。
6月中旬発売の書籍『「ういろうにみる小田原』(新評論刊)。県内最古の企業・外郎家から見た小田原とは。小田原市観光協会の副会長も務める外郎社長に地元への想いを伺いました。
内田
地域の方との交流もやっていくんだと言われていますが、何故それを必要とするのですか?
遠藤
自分は生きているということではなくて、生かされているという考え方が常に根底にあるんですよ。それが企業哲学にも反映されているんですけれども、そうすると、お金儲けとかじゃなくて、世の中に貢献するというのがまず最初なんですよ。「貢献ファースト」なんですよ。お金は後からついてくればいい。そんな乱暴なことをいうと金融機関の方に怒られちゃいますけれどもね。でも、創業者の父親は、「徳は天の蔵に貯めておけ」「そうすれば後から芽が出る」「心配するな」と。その精神で行けと子どものころから散々言っていたんです。それも考え方なんですよ。こういった地域の宝とも言える見晴らしの良い、お城を建てるような、丸山というところなんですけれども、ここに工場を建てさせていただいたということは、それ以上に地域に貢献しなければならない義務というのを負っているというのに等しいんです。まず、お客さんですけどね。お客さんのご要望を満足させる。そして地域にも良くなっていただく。その次に僕等があると。こういった位置づけ、これは変えられないですよ。だから何ができるのかということを地域の人たちと考えながらやっていくということなんですね。
内田
様々な地方自治体が生き残りに懸命になっていて企業誘致をやっているんですけれども、「トヤマさんが来てくださった」ということで、そうとう嬉しかったんじゃないですか。
遠藤
随分歓迎されましたよ。手洗い歓迎も受けましたしね。飲めや歌えやと。
内田
それだけでも、地域に貢献しているかと思いますけれども、もっと深く地域と繋がっていこうとですよね。
遠藤
「トヤマファーム」という子会社をつくって、実は今日は田植えの日です。僕等が借りた田んぼで田植えをやっていますけどね。
内田
山北町のどこかに、ファームをつくられたんですか。
遠藤
山北町のある方から「(うちの)田んぼの土地を使っていいよ」ということで、お貸しいただいて、そこで今日、まさに田植え。これは(神奈川)名産のキヌヒカリというお米を植えていますけれども、ここの社員食堂も地産地消、安全な食材、地域の人たちといっしょになって美味しくて健康にいい食事を作って、社員に提供するというコンセプトではじめているんですけれども、その発展形として、地域の人たちに集まってもらってパーティー使っていただくとか。社員食堂というか「森のレストラン」という形で一般の方にも入っていただくとか、そういった方々に自然学習室とか、天体望遠鏡とか、この(建物の)中に地域のお子さんにも教育に良い設備がありますので、そういったものを使っていただいて。いろいろ考えていますけれどもね。お互いにウイン・ウイン・ステーションをつくりたいというつもりなんです。
内田
今後の「トヤマ」の姿。未来の姿というのは、どのようなものなのでしょうか。
遠藤
ご質問にお答えする前に、今この時点では、多少やっぱりぼくらは苦労しているんですよ。300人のキャパシティーのところで半分強ぐらいの社員でスタートしています。だから一人当たりの固定費がまだ大きいので、まだ生みの苦しみで苦労しています。ただ僕は、2年後にどうだとか、3年後にどうとか、近未来、ショートタイム的な考えで回収して儲けようという発想がぜんぜん無い。基本的にもっと中期的、長期的に人を育てるということをやりたいんですよ。僕等みたいな感じで人を育てようとしている会社というのは沢山あるでしょうけど、日本の多くある企業の中からするとマイノリティー、少数派なんですよね。でもそういった会社が中期間、長期間かけて着々と人材育成をやってきたら、10年後、30年後、50年後どうなっているというのを見せてあげたらね、そうすると考え直すムーヴメントというか、機運がまた起こってくると思うんです。メイド・イン・ジャパンの素晴らしさとか、日本人のものづくりに対するスピリットとかね。日本の若者は、実はこんなに才能があったんだと。それをやっていきたいですね。周りに「平成の森」という森づくりをしたでしょう、あれもそんなに簡単にはちゃんと自然の状態には育たないんです。20年とか、30年とかかかるんじゃないですか。その成長の度合いと僕等の若い人間が成長していく度合いと競争ですね。いずれにしても、「Long and Winding road」。そんなに簡単にできるもんじゃない。でもそれを成し遂げて、やっぱり日本に行ったら、日本のものづくりというのは凄い、日本人の心というのはとても温かい。そういったところにお願いして作った実験装置というのは、世界ナンバー1。やっぱり、サイエンスを国際協力、国際協調の中で切り開いていくというようなお客さんが沢山出てきてくれればいいですね。
tvkのYouTube公式チャンネルの「見逃し配信」では取材VTRも含め、インタビュー全篇をご覧いただけます。(視聴無料です)
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ゲスト
フランス料理HANZOYA
オーナーシェフ 加藤英二さん
【プロフィール】
1970年横浜市生まれ
渋谷「ラ・ロシェル」やフランス・ディジョン「ティベール」などで修行
2007年にフランス料理「HANZOYA」を運営するドリームカムトルゥー企画代表取締役社長就任、オーナーシェフを務める
新横浜でフレンチレストラン「HANZOYA」とブライダル事業を手がけるドリームカムトゥルー企画を特集。直接産地に赴き食材を仕入れるという徹底したこだわり。オーナーシェフ、経営者として加藤英二社長が持つ独自の視点と「美食の街・横浜」の実現に向けた挑戦、そして「地産地消」への思いに迫ります。
内田
加藤シェフは料理の世界を目指し、「HANZOYA」というフレンチレストランをやられた。今ではドリームカムトゥルー企画という会社の経営者、従業員が80人以上いらっしゃるという会社を経営されているということですが、ここまでに至ったというのはどういう理由からなんですか
加藤
もともとそれをやろうと思ったわけではないんです。僕は見ての通り料理をやる人間なので、フランスに渡って、フランス人になる予定でいました。でも僕が就労ビザを取りに日本に帰ってきた時に、タイミング悪く兄が事故で他界してしまいました。それで親戚の方や様々な方に「お前がやるんだ」と言われまして。それでも「嫌だ」と…
内田
そのときは嫌だったと。
加藤
嫌でしたね、やるつもりはなかったので。
内田
「自分がやる」と決意させたものというのは何だったんですか?
加藤
一番はお客様だと思います。ある時に結婚式をやるお客様で、透析をやっていらっしゃるお父様がいました。成分表とか、アレルギーのこととかカロリーのことの本を買って勉強して、お医者さんとも何度もやりとりをして、料理を作りました。それで披露宴が終わって、最後にご挨拶したいと言われました。僕はさっき言ったように別にここの仕事が僕の仕事じゃないし、みたいなものがどこかにあって。ご挨拶したいと言われた時もいいですと、そんな大したことじゃないんですと言ったんですが、どうしてもと言われて行ったんですね。そうしたらお父様が本当に嬉しそうな顔で握手をしてきたんです。「本当に加藤くんありがとう。娘に恥をかかすことがなかった」って言われました。それでご新婦さんも感極まる感じになっていらっしゃって。そのときに、うちらがやっている仕事ってすごいなと。別に東大に行かなくたって、博士にならなくたって料理さえできれば人を感動させられることができるんだと。それが多分一番の、この仕事は本当にいいなと思った瞬間のような気がします。
内田
その中でフランス料理、26年前に作っていたものと今提供しているものは全く違うものになっているんですか?
加藤
違います。基礎はありますけど、全く違いますね。
内田
そこの大きな転換点になった、お店として何か転機はあったんですか。
加藤
僕は日本全国、食材探しで仕入れに廻っていて、田舎に行くとホテルを取らないんです。いつも行ったら生産者や農家さんの家に泊めてもらうんです。「ホテルを取っていない」と言えば「じゃあ泊まって行け」と大体言うので、「わかりました」と。そうすると夕ご飯と朝ごはん食べさせてもらうんです。贅沢はしないんですけど、本当に素朴なものが出てくるわけですね。そういうものから、俺のフランス料理だったらこんな風にするなとか、このやり方面白いとか、そんなものがあって。それをどんどん表現してきたら、上手く合ったんじゃないかと思います。
内田
加藤シェフが持っている「フランス料理とは何だ」という哲学、その時のいい食材に遭ったらこうかなという臨機応変さ、クリエイティビティが素直に料理の形にできた、ということがすごいなと思います。
加藤
それはフランス料理の流れなんです。
内田
それこそがフランス料理なんですか。
加藤
僕の大先輩にミシェル・ブラス(フランスのオーベルジュ「ミシェル・ブラス」オーナーシェフ)という方がいらっしゃるんですが、その方が大きくフランス料理を変えた方だと思います。「ガルグイユ」という料理があるんですけど、野菜だけで40種類使うような料理なんです。本当に綺麗な料理なんですけど、それでも僕がフランスにいる当時、世界からその野菜の料理を食べるために人が集まるんです。
内田
世界中から来ると。
加藤
世界中から来るわけです。
内田
フランス料理ってすごく懐が深いというか、何をやっても受け入れられる、イノベーションでありクリエイティビティというものを非常に歓迎する料理ですね。
加藤
そうですね。
内田
そういうところがチャレンジしがいがあるというか。
加藤
そうですね、とにかく面白いです。
内田
自分のスタイルを作るっていうことができるわけですよね。
加藤
本当にそうです。
旬の食材にこだわったフレンチとともに、強い支持を集めているのがウェディング事業。創業間もない頃から「レストランウェディング」を手がけています。レストランとウェディングの両輪が相乗効果を生み出していると加藤社長は話します。
内田
食材に大変こだわっていて、産地に自分でも行くと。直接農家に行って仕入れていると。こんなに手間暇かける意味があるんですか。
加藤
畑に行ったり、港に行ったり、漁に出たり、酪農家さんのところに行ったり、お酢屋さんとか、みりん屋さんとか色々なところに行って、産地を廻ったんですね。そうしてみると色々なものがたくさんあって。そこで、例えば僕はウェディングやっている店だとは言わないんです。言うと結構皆構えるんです、ロットも大きいぞとか、これは儲けられそうと言われるのも嫌ですし。単純に「これ美味しいですね」とかお話をして、実は、ちょっとこのくらい送って欲しいと言うんですね。そうすると「結構多いねと、でも大丈夫」と。
内田
ブライダルのことを最初に言わないから。
加藤
そうです。「半ケースとか3個とか10個とかでしょ」と言われますが、実は結婚式をやっていて、何百人前とか、何十キロとかですというと「結構多いね、でもそのくらいだったら大丈夫」と。こういうことが、今HANZOYAができている一番の理由、「(お店の)サイズ」です。
内田
それはすごい話ですね。それ以上キャパが大きくなってしまうと、そういういいもの一生懸命作ってらっしゃる農家さんには多過ぎるんですね。本当にレストランで美味しい新鮮な食事をいただけるのは、ブライダルをやってくださっている方達のおかげと。
加藤
両方が引っ張り合いながらうまくできています。
内田
そこはレストランでいただける美味しいねって言われているものをちゃんとブライダルの披露宴でもみなさんに同じものが出るんですか。
加藤
同じものに本当に限りなく近いものを作ります。
内田
それはなかなか大変ですね。
加藤
レストランというものは安定しないんです。(例えば)車を作る、そのためにF1に出る、そのF1がレストラン。実車として安心して車に乗れる、というのはウェディング。そのための研究開発をするのがレストランなんですね。ここにもやはり投資をします。もちろん人も、食材も、やっていてこれでいいのかどうなのかと。それでその一人前、二人前、三人前と、一人のための料理を作ります。これが「120人でもできますか?よし、120個分の手をかければいい」という感覚がフィードバックされる。120人前の料理作るからこうするではなく、一人前を作ってこれを120個作ろうという感覚をスタッフ間でずっとやってきているので大変だという感覚がないです。
内田
それが普通になっているんですね。
加藤
それが当たり前になっているので、本当にちょうどいい「サイズ」なんですね。
内田
ある意味この規模でずっとやることがベストチョイスになってくるわけですね。
加藤
ベストですね。
横浜市内で行われたイベントに「横濱グルメラバース」としてブースを出店、地元の野菜を使ったメニューを提供しました。加藤社長はこの取り組みの発起人も務めています。そこには飲食店が抱える、ある問題を提起したいという思いがあります。
内田
「横濱グルメラバーズ」の発起人、飲食店の方たちが集まって何かやろうということですが、この目的は何ですか。
加藤
変な話ですが、僕が「フランス料理をやっています」と名刺を出すと、フランス料理のシェフですか、と受け入れてくれます。でも例えばうちのスタッフが、「HANZOYAというところでマネージャーをやっています」というと、ああ、フランス料理屋さんね、とちょっと温度が違うんですね。これは多分接客員がいる価値というものが一般の方に対してちゃんとダイレクトに伝わっていない、これはやっぱりよくない。それが一番の理由です。
内田
これだけ自分たちはこだわりがあって、いいものを召し上がってもらって、という「食文化を向上させるんだ」という情熱が伝わります。一方で、飲食業界の目として伺いたいんですが、農業が非常に見直されている。国策でも成長産業とされている中で競争力も大変あるんだという力強い部分。それと地域をもっと大事にしよう、見直そうという地産地消という言葉がすごく流行っていると思いますが、この地産地消というのは加藤シェフとしてはどのようにご覧になっていますか。
加藤
この言葉はすごく難しいというか、矛盾だらけで皆さんが理解されているんだろうと思います。そもそも地産地消というのは、日本国内でできたものを日本人が食べましょうという、これ国策なんです。いわゆる内需の拡大、ちゃんと育てていきましょうと。本当はそうなんですが、なのにそれが経済とうまくリンクさせるときにどうしたらいいのか、地産地消を消費者に伝えたいと各自治体でやりました。そうすると、横浜の中でも横浜市の中にある農家さんや水産物、畜産物を横浜の中で消費しましょう、これが地産地消の考え方です、アイラブヨコハマみたいになるんです。少し語弊がありますが、ちょっと待ってくださいと。横浜市民はいったい何人いるのか、その横浜市民の胃袋を満たせるだけのものが横浜の中で作られていますかというと、絶対できないです。日本全体で考えた時に、北海道から沖縄まである中で、本当に専業農家でこれが無くなったらその人の人生が無くなりますというだけでなく、この地域が無くなりますという農産物、畜産物、海産物を生産する地域がたくさんあります。そもそも大都市はそういったものを消費する地である、横浜はそういう機能を持った街なんだと。そういう意味で横浜や東京、大阪などの大都市は、消費する街だと思っています。HANZOYAでは横浜のものもたくさん使っています。ただ、横浜以外の産地のものもこぞって使う、そんな意味で捉えています。
内田
なかなか新しいというか、おっしゃっているように地産地消に意味の取り違いは起きていますよね。大消費地、横浜は役割が違うと。日本中でどんどん国産のものを作ってもらって、俺たちが食べるぞと。
加藤
そこに何故、他の海外のものが安いから…と。ちょっと待ってくれと。こんな素晴らしいものがいっぱいあるのに、なぜそれを見ないんですかと、やはりちゃんと言うべきだと思います。
内田
美味しいものをちゃんと仕入れて、自分たちが美味しい料理を提供すれば国産のものってやっぱりいいねって啓蒙活動になっていくわけですよね。
加藤
なっていきます。本当にそう思います。
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