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神奈川ビジネスUp To Date

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12月24日放送分
「そごう横浜店30周年〜これからの百貨店とは」↑メニューへ戻る

ゲスト
株式会社そごう・西武
取締役執行役員横浜店長 岡田正俊さん

【プロフィール】
1980年 株式会社西武百貨店入社
株式会社ナチュラルローソン代表取締役CEOなどを経て
2013年 そごう横浜店店長に就任


1985年9月30日に開業し、「東洋一の売り場面積」として大きな話題となったそごう横浜店。現在では1日平均6万人、休日には10万人もの買い物客が訪れます。「お客様に寄り添った店づくり」を進めるそごう横浜店の今を岡田正俊店長に伺いました。

内田
実は私、その(30年前の)オープニングに駆けつけたんですよ。

岡田
ありがとうございます。

内田
この30周年を迎えるにあたって、どんなお気持ちですか。

岡田
はい、あの30年間、本当に皆様の、特に神奈川、横浜にお住まいの方、そして勤務されている方、皆様に支えられてなんとかここまで来たなと、いう風に思っております。

内田
百貨店の命は何かと言うと、品揃えはもちろんそうなんですけども、やっぱり売り場の「人」だと思うんですね。売り場に立っている人たちが百貨店の特色を出してくると思うんですけども、そのあたりの人材の教育であるとか、モチベーションをアップしていくとか、そういう部分というのはどのようにされていますか。

岡田
会社で今取り組んでいるのが、「気づき」を持とうということなんですね。お客さんが何か動かれて、例えばコートに手を触れたと。それは一体どういうことだったのか、お買い求めになったのか、それとも違うところへ行かれたのかと。お客様が何を考えていらっしゃるかというのを考えようと、つまりお客さんの立場に立って常に売り場を作っていこうじゃないかという運動が今、全社的に進んでいますけども、その一端を私どもは担っていきたいという風に思っています。

内田
そのお客様という部分も地域性があると思うんです。千葉なら千葉のお客さんの特徴、横浜なら横浜の、池袋なら池袋という風にそれぞれ多様だとは思うんですけど、岡田店長から見た横浜のお客様っていうのはどういう特徴があるんでしょうか。

岡田
横浜のお客様はですね、皆さん横浜が大好きなんです。横浜に住んでいらっしゃることを誇りに思ってらっしゃると思うんですよ。そして横浜で楽しんでらっしゃると思うんです。そして代々重ねてお住まいになるところだと思うんですよ。

内田
次の世代、次世代、その次の世代もずっと住み続けていく場所であると。

岡田
そして、みなとみらい地区の開発が進んでたくさんのタワーマンションですとか、そういったものできていますよね。住むところが増えています。そういうところに住むことを一つの憧れに思っていらっしゃる方も多いんではないかなと思っています。

内田
百貨店の生き残り方、もう非常に厳しいわけですよね。小売の世界全般にものすごい競争があって、百貨店というのはある意味その規模を縮小してきたという業界ではありますよね。でもちょっと揺り戻しと言いますか、底打ちをして挽回していくんだというタイミングにあると私は見ているんですね。

岡田
そうですか。

内田
そういう中で、百貨店というものが、これから生き残っていくためには、どういうことをしていけばいいんだろうと岡田店長はお考えですか。

岡田
地域密着だと思っています。地域、地域によってニーズが違いますので、やはりその地域に寄ったニーズをきちっと我々が勉強して、それに合わせたものを開発したり、提案をしていくというのはとても重要になってくると思います。

内田
そごう横浜店にしかないものを置くというのは、言うは易しですけれども、実際にそういう品揃えを常にキープすることってなかなか簡単ではないだろうという風に思うんですけども、そこはどういう風に?

岡田
そごう西武としましては、自主商品というものの開発を急ピッチで進めております。今ちょうど「エリアモード」という自主商品をやっていまして、7割が本部から商品が来ます。残りの3割を私たちがきちっと地元のメーカーさんと連動したり、それから地元の歴史を考えて新たな提案をするとかいうことをやっておりますけど、そういう中でもやはり非常にこだわった横浜ならではの商品というのが売れております。


そごう横浜店が取り組む地域に根ざした商品展開。プライベートブランドである「エリアモード」のほかに、新たに立ち上げた横浜店限定のブランド「YOKOHAMA GRAND」では、地元横浜の企業や産業とコラボレーションした商品を開発しています。

我妻
一流のブランドとコラボレーションした商品もあるようでとっても魅力的だなと思ったんですけれど、この「YOKOHAMA GRAND」デビューにあたっては、どんなプロセスがあったんでしょうか。

岡田
みなとみらい地区にですね、たくさんマンションが建っておりますよね。ますます増えると思うんです。横浜のお住いの方、その多くの方がこの地域をすごく愛していらっしゃって、そのマンションの開発の方にお聞きしたら、そこに住まわれる方の75%が在横浜であるということだったんですね。ですから横浜の方が横浜を選んでそして1つ上のクラスの生活をなさりたいんだなということがわかりましたので、そうするとそこに私たちもサポートさせていただきたい。私たちは「ポートサイドライフスタイル」という風に名付けたんですけど、そう言った新しいライフスタイルを何か私たちは提案できなければいけないなと思ったんですね。その中で、横浜の方にとって一番いい響きがある言葉が「GRAND」だと。ホテルニューグランドさんがグランドですし、ヨコハマグランドインターコンチネンタルホテルさんがそれを使ってらっしゃるように、やはりレベルの高い何かを提案するには欠かせないキーワードなのかなという風に思いました。それで私たちはその「YOKOHAMA GRAND」という商標をとって提案させていただくと、もしかするとお客様の生活がよりもっと豊かになっていくのではないかと考えました。

内田
これからまだまだそういった商品は増えていく可能性がある。

岡田
今日あのお持ちしたのはバカラのグラスなんですが、こちらに港横浜のですね…

内田
綺麗ですし、おしゃれですね

岡田
はい。私たちが本当にあの考えていた以上にご好評いただいておりますので、今増産体制になっております。

内田
何個くらい売れたんですか。

岡田
600個販売させていただきました。

内田
すごい。

岡田
ありがとうございます。本当にここまで売れるとは思っておりませんでしたし、手応えを感じておりますので、逆に言うと責任が増したなという風に思っておりますね。


この他、横浜の人が好きな「売れ筋カラー」や横浜ならではの売れ筋商品、そしてセブン&アイ・ホールディングス全体で進める「オムニチャンネル」についても伺いました。


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12月17日放送分
「神奈川が持つ観光の可能性」↑メニューへ戻る

ゲスト
株式会社小田急トラベル
代表取締役社長 小柳淳さん

【プロフィール】
東京都立大学法学部卒業後、1981年に小田急電鉄入社
旅客サービス部長、執行役員CSR・広報部長などを経て
2012年より現職 VIST JAPAN大使もつとめる


年間1億8000万人以上の観光客が訪れる神奈川。近年大幅に増加した外国人旅行者から高い人気を誇るサービスや横浜・鎌倉・箱根に続く新たな観光地について、小田急グループの旅行会社・小田急トラベルのトップをつとめる小柳淳社長に伺いました。小田急グループでは1999年という早い時期に他社に先駆けて「外国人旅行センター」を小田原駅と新宿駅に設けています。

内田
まず驚いたのは、90年代という早いうちから外国人を受け入れる体制をとっていたということで、どうしてこういう気付きを得ていたのですか?

小柳
一つはですね、鉄道とか旅行業には最前線ってあるんです。そこでなんとなく外国の方が多いというイメージを持っていたのと、私自身が旅行が大好きで香港とか東南アジアへよく行ったんですね。そうすると90年代ってどんどん街が豊かになっていく感じがしたんです。そうすると自分が旅をしているのと同じように周辺の人たちが(日本に)来るだろうなと、なんとなく勘で思ったんですね。それで始めてみようと思いました。

内田
その頃、同じような外国人向けの窓口を持っていたところはありましたか?

小柳
ないです。おそらく鉄道企業では日本初だったはずですし、あの頃は「訪日」という言葉を日常で聞かなかったでしょう。

我妻
長い間インバウンドの最前線に立ってきた小柳社長から見て、箱根の魅力を教えていただけますか。

小柳
ものすごくシンプルな答えで言うと、東京から近いんですね。外国の方はまず首都に着陸してそれからいろんな観光をします。そうすると新宿からロマンスカーに乗っていただくと「はい、終点で降りてください」と言えば済んでしまうくらいですし、1時間半で着きますから。そこから先はエリア内の移動になりますよね。ですから近くてわかりやすいというのが大きいと思います。もう一つは乗り物がたくさん走っているんです。乗り物って移動するために「仕方なく乗る」という要素を「乗ることによって楽しい」というのがあるじゃないですか。箱根の場合は昔からそうですけど、芦ノ湖には観光船が浮いているし、ケーブルカーやロープウェイがあるし、登山電車も楽しいですよね、坂を上って行って。そういったものがすでに、90年代に外国で売っているガイドブックを調べたのですが、そこに書いてあるんです。それがひとつの大きな魅力だと思います。

内田
いろいろな乗り物を乗り継いでいくというのはわかりづらいというところもあると思うのですが、外国人が利用しやすいような工夫をされているのですか?

小柳
駅のナンバーリングというのがあるんですが、小田急線の場合はOHに数字を付けるんですが、新宿がOHの01なんです。そこから一駅ずつ、ずっと番号振っていて、普通(終点の)小田原で一回切るんです。それで箱根登山鉄道の駅でまた1・2・3…と数えるんですけど、わかりにくくなるんですよ。OHって「小田急・箱根」なんです。なので、小田原から先もずっと同じナンバーを足していって、箱根登山鉄道の終点が強羅、強羅で終わるとつまらなくて、そこからケーブルカーの駅も通しナンバーで、ロープウェイも通し、最後は芦ノ湖の観光船の船着場まで新宿から通しナンバーで打ってあるんです。日本人には仙石原とか大涌谷とか言えば済むんですけど、外国の方だとわからない人もいるじゃないですか。そうすると同じナンバーにしておいた方が親切なのでそういう風にしたんです。

内田
箱根でも外国人観光客の対応は急務だと思うのですが、というポイントがありますか?

小柳
いくつかあるんですけれども、日本の人は皆な真面目なので、中国語だ、英語だというと完璧にしゃべらなければいけないと思ってしまうんです。我々が観光旅行でシンガポールとかパリに行ったときに日本語を流暢に言う人なんてあまりいないじゃないですか。デパートに行ってもなんとか通じるんです。逆に言うとその程度のノリで英語で答えたり、中国語で答えたりすると、学生ではないのでお互いに通じればいいわけですから、あまり緊張しないでやった方が勝ちだなと。最近見ているとそういう英語や中国語が増えてきました。旅館さんでもともと英語が専門でない方が「Have a nice trip!」と朝チェックアウトのお見送りをしている風景ですとか、果物をお土産で売っている人がものすごくシンプルな言葉で通じているんです。そっちの方がいいですよね。すごく流暢にしゃべれる人が一人よりもそういう人が十人にいた方がずっとウェルカムになります。


神奈川県の新たな観光地として注目を集めている伊勢原市・大山。ミシュランの旅行ガイドブックでも阿夫利神社からの眺望が二つ星を得ています。増加する来訪者を見込んで、2016年3月から伊勢原駅にロマンスカーが停車します。

内田
大山を鎌倉・横浜と並ぶ観光地にという気持ちがあると思いますが、そうなるためには何が必要と思われますか?

小柳
鎌倉や横浜に並ぶ必要はないと思います。日本の誰でもが知っている観光地に富士山・京都・箱根ってありますが、みんながそれになる必要はなくて、大山は大山の素敵さがあって、鎌倉は鎌倉の素敵さがあるわけで、大山は大山らしくあればいいと思うんですけど、ビジネスですからもっと人が来ればいいなとは思うんです。もともと昔からの観光地、観光地と言うよりは、江戸時代からお参りに来るところだったのでベーシックな観光資源としては非常に充実しているんですね。宿泊施設もあるし、山の上にはお宮さんもお寺もあるし、それから眼下には相模湾が全部見えるというような風景もすばらしいですし、加えてお豆腐料理が充実していますからお豆腐尽くしということもできるので、魅力を地域から発信する量を増やすだけですごく良くなるなという気がします。変にいじってしまうと、むしろみんな同じになってしまうとつまらないですよね。だからそれぞれの地元の良さという、大山って本当にベーシックに魅力が高いですから、小田急グループもそのPRをずっとやってるくらいですから、少しずつ(観光客を)増やしていけばいいのかなと思います。

内田
かなり小田急としては本気で大山推しでいくと?

小柳
はい、これは前からです。前からずっと丹沢・大山をやっていますから。

内田
今度はロマンスカーも伊勢原駅に停まる、これは大きなエポックですよね。

小柳
そうですね。やはり新宿から乗ってくださいという思いもあるし、そうするともう少し広域から誘致しやすくなるというのはありますね。急行に乗っても一時間ちょっとですけれども象徴にはなるわけですよね、停まるということが。


この他、小田急線の沿線以外も含めて「神奈川県が持つ観光の強み」について伺いました。


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松村鋼機(綾瀬市)
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12月10日放送分
「横浜商工会議所会頭に聞く 横浜の経済の未来」↑メニューへ戻る

ゲスト
横浜商工会議所
会頭 上野孝さん

【プロフィール】
1944年 神奈川県生まれ 1967年 上野運輸商会入社
2009年 上野トランステック会長兼社長に就任
今年11月に横浜商工会議所会頭に就任


11月に第25代横浜商工会議所会頭に就任された上野孝さん。横浜で屈指の歴史を誇り、石油・石油化学製品の輸送では国内トップクラスの実績を持つ上野グループのトップを務めています。明治2年の創業、石油輸送のスタートの経緯、そして現在まで続くシェルグループとの関係について伺いました。

我妻
横浜で創業されたのはどういう経緯があったのですか。

上野
上野グループの創始者とされていますのが私の曾祖父の上野金次郎という者で、松山藩におりまして開港の時に松山藩が幕府から命じられて海上警護の任に当たった。明治維新になりまして侍としての仕事は勿論無くなってしまいましたので、何をしようかということを思ったんでしょうが、当時の横浜は100戸の漁師村のような本当にひなびたところであったものが、人口が日本の各地から流入する、外国からも人がやってくるということで食料も欠乏してきたというようなことがあったようで、曾祖父は千葉からお米とか農産物とかそういうもの運んでくる、また人も乗せて運んでくるということで、船宿といわゆる廻船問屋を兼業して仕事をしていたようです。

その中で上野グループがどんどん発展していった大きなきっかけになった、石油を運ぶというビジネスに巡り合うわけですが…

上野
明治33年ですが、今の昭和シェルの前身のライジングサン石油が日本に上陸しまして、インドネシアあたりから大きな船で横浜港に運んで、それを小さな船に乗せかえて陸揚げをして、そして馬車を使って横浜・東京の輸送所に移送する。その時に大きな本船から小さな艀にモッコを使って灯油のブリキの缶を降ろすんですけれども、100缶降ろすと20缶くらいが潰れてしまったそうです。それを曽祖父と祖父がいろいろと考えて、モッコの下に戸板を敷いてその上に石油の缶を並べて降ろすということをライジングサン石油に提案しまして、100缶の内、1缶か2缶くらい潰れるというような存亡率を下げることができて、それをライジングサン石油に認めていただいて、「上野を使おう」ということになったと聞いています。

内田
そのような事をやり続けて150年近く、石油とともに生きてきたということだと思いますが、振り返ってみて、どのようなことが言えますか?

上野
考えてみますと、イギリスの巨大な石油資本であるシェルグループ、そして極東の小さな島国の、また小さな船会社、輸送会社が100年以上変わらずに取引を続けてこれたということは、自分たちで考えても奇跡のようなものがあると思います。よくぞ我々を信頼していただいたなと、また我々もやはり危険物というものを扱っていながら、顧客の信頼を一度も失わずに今日まで来れたなと。荷主の信頼を勝ち取る努力を我々の先輩たちがしてきたということが一番大きな要因になっているのではないかと思います。


11月の商工会議所の就任会見で上野会頭が掲げた3つのターゲット。①「地域経済を支える中小企業の支援」②「将来に向けての都市基盤の整備」③「オール商工会議所での運営体制」。中でも大きな課題となっているのが会員数の減少です。会員サービスの強化や積極的な勧誘の成果もあり、会員数のマイナスに歯止めをかけ、今年は10月末現在で181件のプラスと好調に推移しています。

内田
オール横浜でやっていく、チームになって動いていく、その中で組織率、会員数が減ってきているという現実があります。

上野
組織率というのは10.7%ということなんですが、全国に514の商工会議所がある中で最下位なんです。商工会議所の中核の事業の一つは、行政や関係機関・団体へ意見具申をするということが大事な仕事になっているんですけれども、やはり一人でも多くの会員の加入を得て、その総意を反映するということによって発言力も増すわけですし、商工会議のプレゼンスも高めることができるということで、これを一番の課題の一つとして考えていかなければいけない。

我妻
「将来に向けての都市基盤の整備」の中で気になるのが統合型リゾートの招致、そしてドーム球場の建設ということなんですが…

上野
やはり横浜経済を活性化していく、そして国の内外から企業を呼び込む、観光客を呼び込むということによって消費や経済を活性化していくということが非常に大事になっていると思います。ドーム球場に関しては商工会議所としても、「オール横浜」として、このようなものが必要なんだという合意形成、これをやっていかなければいけない。そのための「横浜ドームに関する検討会」を設けて検討するということにしています。それからIR(統合型リゾート)の問題ですが、これも地域経済に大きな変革をもたらすビックプロジェクトであると思っていまして、まだ国の法制度の審議動向の行方というのが最終的にはわかっていませんから、この動向を踏まえて地元市民との合意形成ということが非常に大きな問題であると思っています。


この他「統合型リゾートの誘致とカジノ構想」、そして上野会頭が抱く横浜経済の未来「横浜ルネッサンス」についても伺いました。


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お好み焼きとご飯の組み合わせ。お味噌汁はいりこと昆布ダシで。お話好きのお母さんが作る本場大阪に味です!

12月3日放送分
「再生する団地とコミュニティ〜住宅供給公社の新たな役割」↑メニューへ戻る

ゲスト
神奈川県住宅供給公社
理事長 猪股篤雄さん

【プロフィール】
1975年ドイツ国立シュテットガルト芸術大学建築学部修士終了
黒川紀章建築都市設計事務所・ドイツ銀行・明和地所などを経て2012年10月神奈川県住宅供給公社理事長に就任


1950年に設立され、高度経済成長期に急速に増加した産業従事者のための「団地」の開発・供給を行った神奈川県住宅供給公社。当時から電線の地中化や歩道と車道の分離、住宅ローンの先駆けになるシステムなど先進のアイディアで生活の質の向上を提供しました。バブル崩壊後の負債や住宅の老朽化という課題と少子高齢化に伴う新たな「団地」の役割について伺いました。

我妻
いわゆる普通の賃貸住宅と住宅供給公社が手掛ける賃貸住宅というのはどのように違うものでしょうか?

猪股
もともとはですね、国の政策により住宅供給公社ないし公団ができたものですからその政策上です。まず公営住宅というのがありましてそれから公社、それから住宅公団、今のURですね、これがあります。それは収入によって、ある一定の収入の方は公社に入っていただく、それから公団に入っていただくような分け方になっています。

内田
会社に勤めていらっしゃるサラリーマン層が対象だったけどいう風に思ってよろしいですか。

猪股
神奈川県は、もともと住宅難の次の時代、高度経済成長期に産業の誘致に大成功した県だと思います。そこで産業誘致して…というと次に必要なのは住宅ですから、そこで我々が団地を作っていったという流れになっていきます。

内田
設立が1950年、この時の団地というのは、どんなイメージで見られていたんでしょうか?

猪股
まずその頃の住宅のスタンダードというのが木造長屋で共用のトイレだったんですね。それに対してその我々公社が何をしたかというとコンクリート造りです。さらに水洗トイレ。ですからスタンダードどころではなくてその数倍もいいもの作っていったということ。逆に言えば非常に経費がかかって、木造長屋の3倍近い経費がかかってしまったと…

内田
でも世の中のニーズとしては、もう一刻も早く住宅がほしいっていう流れですよね

猪股
確かに批判が大変多かったと聞いています。ただなぜRCかというというのは不燃、燃えてはいけない、この強い意志ですね。なぜ水洗トイレかというと将来の文化的住宅とはこうあるべきという強い意志、この意志でスタートしています。5年後に公団が作られて組織化されて広がっていくんですけど、そのモデルになったと言われています。

内田
そういう中で高度経済成長も頭打ちになって、住宅が足りないという時代からだんだん供給が過剰になってきてバブル崩壊という流れがある。そこで全国各地で負債が表に出てきたっていう時代になってきたわけですよね。

猪股
まず一番大きいのはプラザ合意なんですね。プラザ合意で一年のうちに255円が187円位になってしまった。

内田
大変な円高が起こった。

猪股
そのとたんに産業の空洞化、要するに企業がどんどん神奈川県を離れていってしまう。先ほど言いましたようにサラリーマンのための住宅ですから、そうすると働く人がいなくなるということは住宅も当然のことながらだんだん…

内田
売れなくなっていく

猪股
というのがやっぱり神奈川県の場合大きな要因になっていると思います。そして負債を抱えて…というプロセスですね。

内田
負債を返していかなければいけないっていう現実がある。存続していかなければ借金を返していけないし、かといって値段を民間並みに上げると公社の意味がないですよね。

猪股
そこの部分は簡単にこの道だっていうことはありえなくて、やはり両方の面を持っていますから、一つは公共的な意味、 もう一つは経済的な意味。それをどこまで折り合いをつけながらやってというかというチャレンジになると思うんです。

内田
私は公社の役割はこれからますます大きくなってくると思うんですよね。

猪股
高齢者の話をしても、もう少しで神奈川県の場合、超高齢化社会に入っていきますし、逆に言えば私どもの1万3,500戸の60パーセントの世帯主の方が60歳以上なんです。ですからそこにおいての高齢者対策というのはしっかりこれからやっていかないといけないです。


団地住民の高齢化の対策として「生きがいを持てる」サービスの提供を進めています。公社の介護付き有料老人ホームでは平均年齢84歳のコーラスグループを結成して活動。また地域コミュニティの活性化策として団地内の商店街にコミュニティカフェをオープン。さらに子育て世代の若い入居者のために親子で参加できるスペースも設けています。

我妻
子育て世代としては、自分の住んでいるところの近い場所に子どもたちどうしだけじゃなく、お母さんどうしが気軽に相談しあえる場所があるというのは、すごく心にも健康になれるし、いいなと思いました。


猪股
ただですね、これはもっともっと進化していかなければいけない。というのは子育て世代って簡単にいいますけども、4ヶ月目から保育できる、それは朝の8時から夜の10時までやってくださっていますかというと少ないんですね。ほとんど無いんじゃないかな。やはり夜の10時までやってくださるところがないと、女性の方の社会参加っていうのはなかなか厳しいと思っているんです。ですからその子育て世代に対しての、本当の意味でのソフトを作っていかないと子供は絶対増えないと思いますし、大変な作業が全部女性に関わってしまうので、これをもっと具体的に、団地で、これから是非団地の高齢者の方に参加していただいて、そういうようなシステムが作れればいいなと思っています。

内田
働いてるお母さんがいますけども、公的なところとか、民間のところに子供さんを預けるとやっぱり安くないじゃないですか。そうすると何のために働いてんだろうって考えるお母さんも大勢いると思うんです。そういう中で、団地のコミュニティというのがあって、助け合い、 昔の、それこそ長屋の世界で起こっていたような地域住民たちどうしの自然な助け合いが、ある意味高度経済成長の中で失われてきたわけですよね。

猪股
団地というのはその可能性があるわけですね。戸建て住宅が集まっていて隣の人ぐらいはわかるけどその先の人はどなたか、という世界とは団地の場合、違っていましてね。団地の中でのコミュニティの結束力というのは、非常に強いんです。


この他、「団地内保育園の設置」、「ソーシャルエンタープライズとしての公社」、そしてかつて誰もが憧れた「夢の団地のその続き」について伺いました。


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驚きの冷凍技術で美味しさを封じ込め「凍眠」
テクニカン(横浜市都筑区)

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「キッチン・カフェ ばる」(横浜市中区花咲町)

「鯛のかぶと煮」(1000円)
迫力ある鯛がなんと2匹。味も染みて身はプリップリッ!毎日変わる充実のランチメニューです。