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神奈川ビジネスUp To Date

神奈川ビジネスUp To Date

神奈川ビジネスUp To Date

7月25日放送分
「歴史的建造物を商業施設として運営」

ゲスト
株式会社横浜赤レンガ
代表取締役社長 上松瀬能秀さん


【プロフィール】
1971年 埼玉県出身
1996年 早稲田大学商学部卒業、三菱商事入社
ホーチミン事務所、シンガポール支店、関西支社 機械・新産業金融事業部などを経て、2016年5月に横浜赤レンガ代表取締役社長に就任


横浜のシンボル「横浜赤レンガ倉庫」を商業施設として活用し、運営する企業、株式会社横浜赤レンガを特集。商業施設としての運営の状況や自主イベントの効果、今後の展開などについて伺います。

内田
上松瀬社長は、(横浜に)お越しになって2か月ということなんですけれども、横浜の印象はいかがですか?

上松瀬
想像していた以上に、まず一つは「大きい街だな」というのが直感ですね。あとは私自身は埼玉の出身で、海のないところで育っていますので、職場もまさに海の横、やはり港というか、海の横というのは思っていた以上に爽快感があるというか、心がゆったりするな、という意味でやはり海の偉大さみたいなものを日々感じながら仕事をしています。

内田
横浜のシンボルである赤レンガ倉庫の社長ということになって、最初に言われた時にどういう印象でした?

上松瀬
最初は月並みですけど「非常にびっくりした」というところはあります。ただ赤レンガ倉庫という建物自体、私もそれまでにでも来たことありましたし、名前も知っていましたので、「そんなところに行っていいのかな」というのと「しっかりやらないといかんな」というこの2つを最初は感じました。

内田
(施設の)現状について色々と教えていただきたいのですが、テナントの構成であるとか、運営状況というのは今どうなっていますか?

上松瀬
まずテナント構成ですけれども、ファッション・雑貨・インテリア等の物販、こちらが33店舗、それから飲食・食物販の飲食系で16店舗、合わせて49店舗のテナントさんに現在ご入店いただいています。それから運営状況ということで、来館者数ですけれども、2012年以降は一貫して年間600万人を超えるお客様にご来館いただいておりまして、昨年2015年の来館者数は623万人となっています。また、今年の7月には創業以来の来場者数が8000万人を超える予定になっています。

内田
創業累計で8000万人を超えてきていると。非常に建物としての価値、見ていていい景色といいますか、素晴らしいですよね。

上松瀬
ありがとうございます。

内田
何かこう人が吸い寄せられていく、という部分もあると思うのですが、上松瀬社長から見て、あの赤レンガ倉庫、あの風景の価値というのはどんな風に認識されていますか?

上松瀬
やはり当館建設以来でいくと100年を超える歴史ある建物ということですので、これをどうやって活かしていくのか。単純に壊して建てるというのはある意味簡単だとは思うのですけれども、やはり昔の良き建物を残して現代風にアレンジして使い続けていくというのは、ある意味、新しく建てるよりも難しいことかもしれないと思っています。実際、日本ではそういう建物は少ないと思うのですが、それを先人たちが、建てて、残して、脈々と使い続けてきた建物を、今は私どもが商業施設という形にして運営させていただいていますので、それをしっかり活用して残していかなければいけないということで、難しいですけれども、非常にやりがいのある仕事だと思っています。

内田
「難しい」という言葉が出ましたけれども、新しい建物がどこにでもあって、できた当時はみんな喜んで注目するけれど、(次の)新しいものができたらそちらに移ってしまうということもある。そういった中で、歴史があって、そこに色々な物語があって、という赤レンガ倉庫みたいなところというのは、改めて今、再評価するというか、こういう歴史があるものっていいな、大事にしなきゃいけないな、という価値観が生まれてきているように思うのですけれども、そうお感じになりますか?

上松瀬
そうですね、はい。

内田
そういう歴史的なものでの難しさ、守らなければいけないからこそ自由に何でもやっていいという訳ではないですよね。建物を運用・運営するにあたっての悩みとか、課題とか、お感じになっていることはありますか?

上松瀬
どうしても元の造りが古いということもありますので、耐震性をいかにキープするかとか、あとは空調ですとか、電気ですとか、そういう設備工事ですね。何かの改修をするにしても当然、今の赤レンガの造りを残していく中でバックヤード側をどうやっていくのかというのはかなり難しいというか、非常に気を遣ってやっています。


商業施設として活用されている「赤レンガ倉庫2号館」。その運営は2013年にキリンホールディングスから三菱商事へ。その後、三菱商事都市開発へと移り、現在は、三菱商事都市開発の子会社である「株式会社横浜赤レンガ」が商業施設の運営を行っています。

内田
株主がキリンから三菱商事、三菱商事都市開発に移ってきた。このような変化の中で、赤レンガ倉庫がどんな風に変わってきたのかをお聞かせいただきたいのですが。

上松瀬
まずキリンさんの時代から、当時横浜市が公募した中で基本となる事業コンセプトというのがありまして、それが「賑わい」です。これを創出するという中で、そこの事業コンセプトは変わっていないと思います。ただ株主が変わってどうこう、というよりも、みなとみらいを取り巻く環境というのがこの15年間で大分変ってきていると思います。その中で先ほどのお話じゃないですけども、残すべきところ、それから時代の変化に合わせて変わっていかなければいけないところがあると思います。いいところは残し、変えるべきところは残していく。この辺りが一番難しいところなのかなと考えています。

内田
みなとみらいを取り巻く環境が随分変化してきたと。具体的にはどんな風に変化しているんですか?

上松瀬
当社創業の2002年からでいきますと、このみなとみらい地区に、来街者から就業者数、共に当時から比べて倍になっています。それだけみなとみらいの街が大きくなり、発展してきたということかと思っています。

内田
集まる人自体が増えてきて、その流れを赤レンガ倉庫に持ってくるという、そういう工夫を更にしているということですか?

上松瀬
そうですね。当社自体がみなとみらいを大きくする一つの基軸にもなっているとは思いますし、みなとみらい自体が発展することによって、中の回遊性が高まり、当館にご来館いただく方も増えていくという相乗効果がお互いにあればいいな、いう風には考えています。

内田
確かにみなとみらい周辺を見渡すと三菱グループの施設が集まっている訳ですよね。こういうことで全体を底上げしていこう、盛り上げていこうということだと思うんですけども、その戦略というのがあったら教えていただきたいのですけれども。

上松瀬
我々三菱商事都市開発グループということでいきますと、横浜赤レンガの隣地に「マリンアンドウォーク」という商業施設を今年の3月にオープンさせていただいていまして、先ほど申し上げたみなとみらい地区の回遊性の向上・発展ということに寄与していると評価しています。これから更にこのみなとみらい地区の発展を不動産開発を通じて行っていくことで、また皆さんが「来たい」と思える街にしていくということで貢献したいと考えております。

内田
回遊性を強化ということは、そういう流れはなかったものを作り出そうということなんですね。これは横浜市に住んでいる、周辺に住んでいる住民の方に対してなのか、それとも今すごく増えている観光客、インバウンドも含めて、という部分なのか、その辺りはどんな風に設定されているんですか?

上松瀬
当然両方考えていかなければいけないと思っています。特に普段使いしていただく、横浜市に住んでいらっしゃる方にも魅力的でなければいけないという風に思っています。今、横浜赤レンガだけでいくと、かなり地元の方にもお越しいただいているんですけれども、観光客の方、インバウンドの方にもお越しいただいていますので、ともすると観光客向けの施設みたいなところもあるのかな、という風に思いますので、やはり横浜市の地元の皆さまにとっても、また行きたくなる、何度も行きたくなる施設であり続けるように、日々色々なところで努力していかなければいけないと思っています。

内田
赤レンガ倉庫があって、お客さんが増えていて、新しい施設「マリンアンドウォーク」ができて、その流れというのは今出来上がりつつありますか?

上松瀬
そうですね、大分増えてきているのかなと。私自身、土曜日とか日曜日とかも含めて、両方の施設界隈を歩いて「どんな感じかな」という風に見ているんですけれども。

内田
そうなんですね。

上松瀬
結構皆さん行き来していただいているので、そういう意味での回遊性の一助にはなっているという風には考えています。

内田
先ほど社長がおっしゃっていた「更なる努力が必要だ」という、その努力という意味で言うと、回遊性を高めていってお客さんに楽しんでもらおう、「また行きたいね」という風にリピーターを増やしていこうという部分にはどんな工夫がありますか?

上松瀬
当然テナント構成をより魅力的なものにしていくという質的なところもですし、1・2号館前の広場での自主イベントの開催という、「催事での魅力発信」ということもあると思います。


横浜赤レンガ倉庫はショッピングや食事などが楽しめる商業施設としてだけではなく、一年を通して季節を楽しむ様々な自主イベントを開催、赤レンガ広場で行われる「フラワーガーデン」や「オクトーバー・フェスト」など、多くの来場者が訪れています。

内田
この赤レンガ倉庫で自主イベントを非常に積極的にやることになったということで、それがすごく成功していると思いますけれども、自ら乗り出して行こう、自主イベントをやっていくんだ、と思ったきっかけというのは何だったのですか?

上松瀬
はい。当館ですが、駅から遠いということで若干立地的には不利であるという認識の下、「それでも行きたい」という場所にするためには何が必要か、というスタッフの当時の悩みの中で、そういうイベントを開催して、より魅力を発信して集客力を高めていくという戦略で自主イベントを始めたという経緯があります。

内田
イベントを始めて、手応えといいますか、「あ、これはいけるな」という風に思った、成功のきっかけとなったイベントというのはありますか?

上松瀬
やはり「オクトーバー・フェスト」という「秋のビール祭り」ですね。これが一番、今でも認知度が一番高いイベントで、この成功というのが、我々に自主イベントをもっと力を入れてやっていこうという風に思わせてくれた成功例かな、という風には考えています。

内田
どうしてお客さんは皆喜んで来たんだと思いますか?

上松瀬
今でこそですね、そういう「オクトーバー・フェスト」とか「ビール祭り」というのはかなり多くなっていますけども、当館で最初にやったオクトーバー・フェストが「走り」だったという風に認識しています。

内田
そうなんですね!

上松瀬
そういう「オリジナル」というところが今でも皆さんにご評価いただいているのかなと考えています。

内田
横浜の観光、経済にどう貢献していきたいというか、影響を与えていきたいと思っていますか?

上松瀬
そうですね。当社は商業施設ですので、商業施設の普段の活動を続けて横浜市全体を元気にする、みなとみらい地区に活気と潤いということで横浜の経済に貢献していきたいと考えています。

内田
上松瀬さんから見て、賑わいを創出しよう、もっと人を呼ぼう、という風に思う動機というか使命感の裏側には、そこにはまだまだその盛り上がりが足りていないというところがあるんですか?

上松瀬
もっとできるんじゃないか、というところはあると思います。やはりゴールを決めてしまうと、それ以上頑張れなくなってしまうので、そこは常にもっと良くできるんじゃないか、ということは考え続けたいと思っています。

内田
収益、ビジネスとしてイベントというのは手間暇がかかって、利益がそんなに出ないんじゃないかという、他人事ながら心配にもなるんですけれども、イベントを運営するというのはどういう妙味がありますか?

上松瀬
建物を建てることと比べると初期投資がかかる訳ではないので、小さい投資で大きく稼ぐという面もあるとは思うのですけども、ただあまり来客がなければ、来客数が足りなければ当然赤字イベントになりますので、特に新しくやるイベントというのは実績がない訳ですので、その読みが難しいと。

内田
「赤レンガ倉庫」というとあの美しい風景、建物があって、という風に思うのですけれども、人が喜んで集まってくるところというのは、建物ももちろん魅力的ですけど、あの「広場」ですよね。

上松瀬
そうですね、当施設の開業以来、イベントも大事な柱だと思っていますが、特にこの5年ぐらいは更に力を入れてそういうイベントの開催をやっていまして、それが徐々に認知されてきたという風には思っています。

内田
これからどんなイベントが待ち構えていますか?

上松瀬
直近ですと「ビバ・ラ・ファーム・ブリック・パラダイス」というイベントを、ちょっと(名前が)長いんですけども。

内田
何でしょう?

上松瀬
はい、やはりこの辺り暑いので、逆に暑いのを逆手に取ってですね、せっかくだから砂浜とか南国の風情を再現して暑さを満喫してもらおうというイベントを予定しております。

内田
もう暑いんだから、それを楽しんでしまおうと。

上松瀬
今年のテーマは「中南米」というテーマですので、砂浜とアマゾンみたいなイメージを作ってやっています。

内田
すごく楽しそうなチャレンジですね。(社長に)就任されてまだ間もないということですけども、これからの横浜赤レンガ倉庫のビジョン、どの様な施設運営をしていきたいですか?

上松瀬
当施設の売りは100年を超える歴史を持つ建物を活かして商業施設を運営しているということになりますので、その良さを消さずに、でも一方で常に時代というか環境に合わせて、新しいものを行っていく。館内のテナント構成もしかりですし、それから広場でやっているイベント、こちらもどんどん新しいものをやって、地元の皆さんも含めて「また来たい」、とにかく「あのエリアに行くと楽しい」「なんか楽しいことやってるよね」と思っていただける施設であり続けたいと。今まで以上に「また赤レンガ行きたいね」と思っていただける施設ということが、ちょっと抽象的なんですけども、目指すべきゾーンなのかなという風に考えています。



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7月18日放送分
「海と人をつなぐ水族館“ここだけ”への挑戦」

ゲスト
株式会社横浜八景島
代表取締役社長 布留川信行さん


【プロフィール】
1950年千葉県出身 中央大学卒
1972年西武不動産入社
1987年に横浜市「横浜八景島開発事業提案コンペ」に参画
1990年株式会社横浜八景島設立
常務取締役企画部長などを経て、2003年に代表取締役社長就任


「海」「島」「生きもの」を学ぶ「海育」や、釣った魚をその場で食べられるエリアなど、新しい水族館への挑戦を続ける横浜・八景島シーパラダイス。開業以来様々な事業を手がけてきた布留川信行社長にこれからの水族館経営について伺います。

内田
布留川社長は八景島の初期、(事業開発の)コンペの段階から関わっていらして今に至るということですが、この歴史の中で転機、思い出に残るエピソードはありますか?

布留川
いくつかあります。1993年にオープンしてすごく特徴的なエンターテインメント施設ができたということで大勢のお客さんが来ました。その後、10年くらい経ってだんだんお客さんが減ってきました。そうなった時が一つの転機だったと思っています。その時ドルフィンファンタジーという新しい施設を作りました。2004年なので約10年経った時です。やはり10年前から社会の状況は大きく変化していて、水族館というのは見たり学習するだけじゃなくて「癒し」をお客さんが求めるような社会状況になってきたと私たちは考えました。

内田
「癒し」ですか。

布留川
そこで海の底からイルカを見ることができるような「癒しの空間」を提供できるドルフィンファンタジーという施設を作りました。これは大変良い効果が出て、お客様がたくさん来て、業績も完全に回復しました。

内田
世の中の人々が何を求めているのかという、変化をきちんとキャッチして具現化するということですか?

布留川
やはり社会の状況の変化とか、お客様のニーズの先取りをしっかりしていって、そしてそれを形にして提供する。そういうことをしないと施設としてはだんだん劣化するのだと思いました。その後は3〜4年に1回新しい施設を作って今日まで新事業、新商品を作り上げて発展・成長してきたと考えています。

内田
他に大きな転機としてジンベエザメの飼育があったと聞いています。

布留川
実はジンベエザメは(開業の)最初から入れたい動物でした。

内田
初期の頃からですか。

布留川
ただ関東ではなかなかジンベエザメを捕獲することはできないので運んでくることは難しいだろうということで、断念しました。その後たまたま館山沖の定置網にジンベエザメが入りまして、これは身近にジンベエザメが来たなと思い、なんとかならないか、好機だろう思いました。その年は当社も景気も低迷していたり、夏の猛暑もあってお客様が減っていた年でもありました。そこにジンベエザメがやってきたという話で、これはなんとかしたいし、水族館としてもジンベエザメの展示は大きなテーマなので、ぜひやりたいと。それで社員にジンベエザメの展示がしたいと。しかし社員にテーマを与えても展示するスペースが思いつかなかったんです。それで私がショーを行うプールは大きいので、そこに入れたらどうかという話を、すごくいいアイディアだと思って持って行ったんですが、雰囲気があまり良くない。それで翌朝社員全員から「反対です」と言われました。

内田
なぜですか?

布留川
やはり自分たちのやっているショーに思い入れがすごくあって、ジンベエザメが来ることによってショーの構成とかイルカがうまく活動できなくなるとか、今いる生物に対する愛情とお客様に与えている魅力が低減するということを真剣に心配していました。ただ、ある意味で転機だと思ったのは、社員がちゃんと反対して、その後延々と議論を続けたことですね。こちらは飼育には素人ですけど、こんなのはどうだ、あんなのはどうだと。結局最後は社員が解決策を見つけてくれてジンベエザメとイルカの同居について色々やってくれました。それでジンベエザメがいる水槽でイルカがショーのシミュレーションをやったんですね。その時イルカが出てきて飛んだ時はちょっと涙が出ました。こんなに頑張ってくれたんだっていう社員の思いに感動したことを覚えています。

内田
ジンベエザメがやってきて効果はいかがでしたか。

布留川
効果はすごくておそらく25〜30%くらいお客様が増えたと思います。

内田
すごいですね、ジンベエザメ効果は。八景島シーパラダイスの顔になってくれているということで良かったと思いますが、日本はとても水族館が多い国だと聞いています。世界の水族館の20%が日本にあるということですが、その中で水族館の意義、もっと言うと横浜で水族館をやる意義はどこにありますか。

布留川
横浜も東京もそうなんですが、戦後の工業化が進んだ時、素晴らしい海が身近にあったのにそこが埋め立てられました。そこで海が人々から遠ざかってしまったと思います。

内田
簡単に海に遊びに行くということがし難くなったと思います。

布留川
それから砂浜というものがほとんどなくなってしまったと思います。その中でこの八景島は、実は横浜市が、横浜も埋め立てが進み工業化が進んだ中で、市民のために埋め立てをして、身近な海洋レクリエーションの場を提供した。そのために作った島でもあるんです。

内田
もともとそういう目的があるんですね、この島には。

布留川
ですからその目的に合うように、私たちも市民の皆様が本当の海の魅力をこの八景島に来たら感じてもらえるような、島全体をそのようにしていきたい。その象徴が水族館であると思います。


近年、横浜・八景島シーパラダイスが力を注ぐのが「海育(うみいく)」。イケスで泳ぐアジなどを釣って、その場で調理、唐揚げなどでいただく「うみファーム」は「水族館」と「食育」の組み合わせが大きな話題を呼び、人気のエリアになっています。

内田
「うみファーム」ですが、これはどういうきっかけで作ったんですか。

布留川
これは1993年にシーパラダイスがオープンしましたが、その時から生物を建物の中で見せるのではなく、自然の海に人々が入って行ってみるようなそんな水族館を作りたいとずっと思っていました。でも当時は東京湾の海はまだまだ汚れていて、そんなイメージもなかった。その後、環境問題や生物多様性がずいぶん言われるようになって、その中でも海の改善をして、そこで生物を見せるということをやってみたいという気持ちがすごく高まってきました。そして2011年に東日本大震災がありました。それは私にとってとてもとても大きな転機だったと思っています。やはり事業を通して社会にどう貢献するかということをもう一度考えさせられることがありました。海に対してまだやっていないことはたくさんある。それでまず海をきれいにして、環境を改善して、そこを見せるという施設を作りたいと思って取り組みました。

内田
最初から構想はあったけど、当時は海があまりキレイではなかったからできなかった。「うみファーム」をやるにあたっては、かなり環境改善に取り組まれてキレイにしたということですか。

布留川
この海の環境改善は生物がキレイにする。まず漁礁を作って、その漁礁には海藻がついて、その海藻が海をキレイにする。魚が集まってくるとその魚たちによっても海がキレイになる。ということで、海の環境を変えることによって、生物の力によって海の環境を大きく変える、また変わってきているということが言えると思います。

内田
そういう環境のことも学べる場であると。他にはどのようなことが学べますか。

布留川
「うみファーム」のコンセプトは「海育」。海を育てる、海に育てられているという意味を持っています。魚を釣って、そして捌いて魚の命がなくなってそれを眼の前で料理して食べる。このことによって魚の命をいただくというような文化も伝われば良いなと。日本人の、特に小さいお子様の魚離れは進んでいると思います。ですので魚の食育というのもどこかでしっかりとやっていく必要があるので、ここで取り組みたいと思いました。オープンしてすぐの頃に4歳の男の子のお母さんからインフォメーションにメッセージをいただきました。その子は4歳までお魚を食べたことがない、この子は一生食べられないと思っていたのだそうです。ところがその子が「うみファーム」で魚を釣って、これは僕のだよと魚を持っていって、その魚を食べた時「お母さん、美味しい!」って言ったそうです。私たちがこの「うみファーム」を作って、魚の食育をやった意味はあったんだと感じました。


2015年に相次いでオープンした「仙台うみの杜水族館」(宮城県)と「アクアパーク品川」(東京都港区)。横浜・八景島シーパラダイスがこの施設の運営・管理を担っています。シーパラのノウハウを展開し、各施設の集客力向上や、シナジーを生み出そうとするこの取り組みについて伺いました。

内田
水族館ビジネスの未来を伺いたいんですが、水族館というものはどのように進化しているものなんですか。

布留川
水族館の進化ということになると、社会の変化と技術の進化によります。昨年品川で「アクアパーク品川」という水族館をオープンしましたが、そこは水族館そのもの、水槽そのものの技術ではなく、水族館と先端技術をコレボレーションしました。映像や光などの技術はものすごく進んでいますので、そういう技術コラボレーションをしています。八景島シーパラダイスでも昨年から映像、特に3Dプロジェクションマッピングとのコラボレーションなどを行っています。人が求めるものが生物そのものの場合もありますが、生物以外のものとコラボレーションしてちょっと癒されるとか、感動するということを求めてきていると思います。先端の技術をできるだけ取り入れて、水族館を進化させていくということは重要なことだと思っています。

内田
アクアパーク品川のお話が出ましたが、横浜・八景島シーパラダイスとアクアパーク品川、あと仙台うみの杜水族館と水族館ビジネスの多角化をされていますが、どんなものがビジネスの核となり、多角化のシナジーを生み出していくのでしょうか。

布留川
水族館は作る場所によって違う水族館ができてくると思っています。それはなぜかというと、その立地特性、地域特性、社会環境は作る場所によって違うので、それにあわせて魅力的な水族館を作る、そのことによって市民に愛されることになるのではないかと。横浜・八景島シーパラダイスは島の周りが海ですし、アクアパーク品川は東京という国際都市にある。そこで最も魅力的な先端の水族館を作る。仙台は東日本大震災の復興の象徴となるような水族館にすると、そうなると全く違った水族館になると思います。ただそこにはその地域や社会と連携した形での展開が必要で、それぞれ地域の活性化にも貢献できる、そんな水族館を作っていきたいと思います。

内田
これからのシーパラダイスの課題として、例えば人口減少や少子化という問題も含めて、どのように運営をしていこうとお考えですか。

布留川
もうこの施設もオープンして23年経ちました。本当に技術的にも進んできた中で、お客様が求めるものに全て適応できているわけではない。ですから、まさに今変わろうという時代、時期を迎えていると思います。ですので、ここから新しい横浜・八景島シーパラダイスをしっかりと検証して、変わっていく必要があります。そんな時にどんな風に変わるかということだと思います。

内田
そうですね。

布留川
それは、島全体が水族館のような、そんなことを夢見ています。島を歩くと海辺には魚がたくさん群れていて、それを見るのも水族館。山の方へ行けば水が流れていて、そこにいる生物を見るという世界観。八景島全体がそんな自然があふれるような島になって、生物と身近にふれあえるような、そんな施設になってきたら良いなと、ぜひそのように変わっていきたいと思います。



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7月11日放送分
「廃棄物収集などを行う企業の新ビジネス」 ↑メニューへ戻る

ゲスト
武松商事株式会社
代表取締役 金森和哉さん


廃棄物の収集やリサイクル事業などを手がける企業、武松商事を紹介。社会が成熟し、生活様式が変化する中、廃棄物を単なるゴミとして処理するだけではなく、循環型社会の橋渡しとしての役割とニーズに応える武松商事の新たなビジネス展開などについて伺います。

内田
廃棄物と言うと多岐に渡っていると思うのですが、武松商事が得意な分野というのはどこにあるのですか。

金森
一般廃棄物、産業廃棄物、全て廃棄物としては扱えるような努力はしています。その中でも、最近ですと一般廃棄物ですね。

内田
産業廃棄物だと工場とかそういう工業から出てくるもの・金属というイメージがあって、一般廃棄物から出てくるものは布とか紙・木であるというイメージです。

金森
飲食店とか小売業からも出てきますので、生ごみであるとか、古紙であったりとか、そういったあらゆるものが出てきますね。事務所とかオフィスとかから出てくるものは、ほとんど全てが一般廃棄物になってくるかと思います。

内田
それぞれ処理の方法が違うという意味では、なんでも処理できるというのは強みになってくるのですか。

金森
そうです。それがサービスの一つと考えていますので。廃棄物自体が年々、時代と共に変わってきていますので、それに合わせていかなくてはならないといところはありますね。

内田
どんな流れで、廃棄物というのは変わってきているのですか。

金森
洗濯機を想像していただけたら分かりやすいと思います。昔の洗濯機は洗濯層が鉄だったと思うんです。それがプラスティックに代わり、それがステンレスに代わって、今またプラスティックに戻りつつあると。複合材とかですね。それによってリサイクルの方法は変わってくるので、我々もこの先、何が廃棄物になるのか、そこを見極めて次のステップへ進まなくてはならないと思っています。

内田
県下で同じような廃棄物を扱うライセンスを取っている会社が1万件以上あると。それだけ競争が激しいと思うのですが、実態はいかがですか?

金森
本当にそれを本業としている会社というのは、10分の1以下になると思います。リフォーム会社でも何でも、廃棄物を運ぶにはそのライセンスが必要なんですね。それで取得されるという方もいらっしゃるので、今まで我々が扱ってきたものも異業種に行っているというのはあります。

内田
10分の1といっても、それでも多いですよね。この中で成長して来れた、同業他社から抜きん出て来たという成長の理由というのはどこにあるのですか?

金森
次に何がごみになってくるのか。お客さんが何を求めているのか。そのニーズを追いかけているのが一つです。昔と違って、廃棄物というと「処理してくれればいいよ」と。それから「安く処理してください」に変わって。その次に「適正に処理してください」。それから「リサイクルしてください」に変わってきている。それが今では「リサイクルしたものを戻して欲しい」というふうに変わってきているので、その先を読みながら少しでもニーズに応えられるような努力をしています。

内田
我々のごみに対する意識が本当に大きく変わってきたと思うんですね。私もいろいろな工場に取材に出かけるのですが、そうすると「うちはゼロエミッションです」「全くごみを出さない工場です」というようなものが凄く増えてきた。そうすると、ごみを預かってご商売をされている身としては、ごみがどんどん減ってしまうというのは、世の中的には嬉しいけれども、由々しき問題ですよね。こういう部分というのは、どうご覧になっているのですか?

金森
今、各社さんで努力されて、無駄を無くそうとされて、ISOだったり、エコ・アクションだったり、横浜だと3R夢(スリム)プランだったり、いろいろありますけれども、各社さんが努力して分けたものを我々がどう活かしていくか、そこを追っていけばビジネスチャンスはあるんじゃないかなと考えています。


日本の食卓が豊かになったその裏で、まだ食べられる多くの食品が捨てられています。こういった状況を少しでも減らすため、武松商事のリサイクル工場では、回収した食品残さを原料に飼料を製造、さらに製造した飼料を使って養豚も行い、食品リサイクルのループ化を確立させています。

内田
養豚までやるというのは、どういう動機から思いつかれたのですか。

金森
リサイクルしていく中で一番の問題は、出口が見つからないとリサイクルにならないものですから。当初は食品をリサイクルするにあたって堆肥とかを考えたのですが、一番良いのは何かと考えた時に飼料であれば毎日食べてくれる、毎日消費してくれると。これが出口になるんじゃないかということで、養豚からスタートしたんですね。これが確立されたので、食品リサイクル、食品残さの飼料化をはじめたということです。

内田
これはある意味、良い餌ですよという証明になっているわけですよね。

金森
常に研究していかなくてはならないと思っています。

内田
「この飼料は良いね」ということで評価に繋がってくると思うんですけれども、これは売っていらっしゃるんですか?

金森
はい、使っていただいているところも多いです。

内田
本当に見事にぐるっと…

金森
食品ループを描けています。

内田
肥料もそれで作っている。

金森
そうですね。養豚をしていますので、豚の下の敷き藁代わりに木くずを使っているんです。それと豚糞と菌を合わせて、それで堆肥を作っています。

内田
これは良いビジネスになっているのですか?

金森
まだまだこれからだと思います。

内田
今はまだ採算度外視といいますか、実験段階でやっていると。

金森
実験段階は過ぎていますが、次のステップに進めるのにブランド化するのか、もしくはいろんな展開をしていくのかということを考える時期なのかなと思います。

内田
我々が衝撃的だったのが、カレーのチェーン店のカツを本当は廃棄しなければならなかったものが横流しされてスーパーで売られていたという事件があって、こういうふうに捨てられたものが捨てられていなかったということがあるんだなと消費者は驚いたと思うのですけれども、金森社長はどうご覧になられましたか?

金森
非常に残念でした。我々の業界がまだそこの位置にいるのかという部分もありますし。お客様の信頼を裏切っているという部分では、我々に対しても同じ目で見られるんですね。努力している方々は辛いなと。

内田
世の中に対しての信頼をという部分で努力されている、企業努力といいますか、世の中にアピールされていることというのはありますか。

金森
先ほどの食品リサイクルをとっても、どうなっているというのを商店街で啓蒙活動をしたり、実際に豚汁を作ってみたりとか、ふるまってみたりとかしています。

内田
人を確保するというか、どこも人不足で大変なんですけれども、そういう部分にも非常に良い影響があると思うのですけれども。

金森
みなさん各社さん、いろんな形で人を大切にされていると思いますが我々としても…僕自身がこの業界に入った時にやっぱりゴミ屋だったんですね。それが恥ずかしい部分もあったので、それを払しょくするためにどうしたらいいかというのは常に考えていたものですから、そういった部分でどんどんアイディアを出して実行しています。

内田
社長から社員のみなさんに向かって「何でもアイディアを出せ」と。

金森
このビジネスって、アイディアビジネスだと思うんです。いらないごみを出す、いらない人が出すけれども欲しがっている人もいる、その橋渡しもできるんじゃないかと。ちょっと加工すれば、それが次に生まれ変わるんじゃないかという部分もありますので、アイディアは非常に大切だと思います。

内田
例えば社員の方からアイディア出てきて「これは良いねと言って」、それをやったという事例はありますか。

金森
食品リサイクルで作られた飼料というのは、3割が限度だろうと。後は配合飼料と混ぜながらと言われていたのですが、今我々のスタッフはそれを100%それで(豚を)育てられないかとか。そういったことを今努力してくれていたり、育てた豚を社内向けに販売できないかとか、そんなアイディアも少しずつではありますけれども、出始めています。


武松商事が「エコクル」と呼ぶ、一般市民向けの新たな事業。横浜市内を対象に行政で回収するゴミステーションに出せないような大きな粗大ごみや不用品の処分などを代行して行ってくれるというものです。また、横浜市金沢区のベイサイドマリーナ近くの古紙処理工場では一般からの古紙の買い取りを行っています。

内田
「エコクル」という、これは一般の方に対するビジネスということですよね。これまでは企業から出てくる廃棄物を扱っていたのが、これからは個人の方に向けてということになるんですよね。これは、なぜそういう方面に手を伸ばそうということになったのですか?

金森
企業は、だんだんごみが減ってくる。では我々が生き残っていくためには、どこにマーケットがあるのかといった時にやっぱり個人かなというところですね。高齢化社会になってきた中で、宅配でも何でもお宅に届けるサービスというのが多いと思うんですよ。ただ、出すというのは無いと思うんですね。一人では出せないごみとかもありますし、行政で回収できないものとか、そういったものを我々がサービスとしてもっと踏み込んで行けないのかなということと、あとは多く走るスピーカー業者とか、違法業者が沢山いるんですね。それをダメだということではなく、我々が受け皿を作っていかないとなかなか言えない部分もあるかと思いますので。

内田
本当におっしゃる通りで、家の中に不必要なもの、捨てたいものがいっぱいあるけれども、大きければ大きいほど、どうやって捨てたらいいか困ってしまって、誰も助けてくれない。そういう意味では。術がないんですよね。

金森
行政も、ご高齢の方に対しては運び出しするサービスをしているのですが、例えば、女性の一人暮らしの方が出すというのは大変だと思うんですね。そういったところに安心を与えるために、女性のスタッフを派遣したり、そういうサービスも行うようにしています。

内田
他には個人の方がごみを出したいという時のニーズというのはどんなものがあるんですか?

金森
捨てるというのは、我々の得意分野ですけれども、それ以外にリサイクルして欲しいとか、買い取って欲しいというサービスを我々が持つことによって、利用していただけるのかなというところで、今、買い取りサービスなども行っています。

内田
買い取るというのは、査定がとても難しいんですよね。 そういったものもしっかりと見られるようになっているのですか。

金森
専門スタッフが伺うようにしています。

内田
そういう一般向け、個人向けのBtoCのビジネスを始めるにあたって、しっかり人材も集めてきていると?

金森
そうですね。それと、運び出すというのは、我々廃棄物業者というのは苦手だったのですが、今、引っ越し部門、オフィスの引っ越し部門を持っています。物を運び出すエキスパートがいることによって、一般家庭の荷物も運び出せるようになった。今まではリサイクルショップ呼んで、運び出す人、廃棄物業者と、全て呼ばないといけなかったのですが、我々ができるようになれば1社で全てを任せていただいて、お客様には立ち合いをしていただいて、安心を与えていくと。

内田
ではBtoCの事業というのは、これから拡大していく、御社の中で比重を重く置いていくという分野になっていくのですか?

金森
あとは古紙の買い取りですね。古紙のリサイクルをしているのですが、今までは業者さんが集めてきたものを工場に集めてという形だったのですが、今は一般の方のものも受け入れて、業者の方と同じ価格で買い取りを行っています。

内田
なぜ、これをやろうと思ったんですか?

金森
(古紙のリサイクル)工場がベイサイドマリーナの前にありまして、車で行きかう人が非常に多かったので、これは看板を書いてみたらどうなのかといったところ、一般の方からの持ち込みが増えたと。

内田
古紙を一般の方に持ち込んでいただいて、それなりのお金をお支払いするというビジネスをしていて、それはちゃんと儲かるモデルになっているのですか?

金森
それはしっかりと…

内田
そういう意味で言うと、金森社長もアイディアマンですよね。

金森
好きですね。

内田
そういうアイディアは、どんな時に考えつくのですか。

金森
ふとした瞬間に湧き出てくるものがあるかと思います。先ほどの看板もそうですけれども、これだけ人がいるのにもったいないなというところからですね。いろんなところで、ちょっとした気づきを実践しているところです。

内田
金森社長がメッセージとして「社員が家族に誇れる会社に自分たちはなる」ということを打ち出していらっしゃるわけですけれども、この理念というのは素晴らしいと思います。これからどういった会社になって行きますか?

金森
我々の廃棄物業界は見方を変えますと、インフラだと思うんです。その担い手として我々が成長していくことで、家族に誇れる会社になるのではないかと。今まで私自身がこの業界に入った時には、あまり表には言えない業界だったんですね。それが「リサイクルをする会社」、なおかつ見える形をどんどん作っていくこと、またリサイクルの種類を増やしていくことによって、社員が家族に誇れるようになってくるだろうと。胸を張って、「お父さんの会社はこういったことをしているんだ」と言えるような会社を目指していきたいと思っています。



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7月4日放送分
「地銀再編と新頭取の誕生〜これからの地域密着型金融」 ↑メニューへ戻る

ゲスト
株式会社横浜銀行
代表取締役頭取 川村健一さん


【プロフィール】
1959年川崎市出身
横浜国立大学経済学部卒業
1982年横浜銀行入行
融資部長・綱島支店長・執行役員リスク統括部長・取締役常務執行役員などを経て2016年6月に代表取締役頭取就任


金融情勢の変化や東日本銀行との経営統合を経て迎える大きな転換期。地域経済発展のために期待される地域密着型金融の役割とは。同行で初めてプロパーとしてトップに就任した川村健一頭取に未来の姿を伺います。

内田
川村頭取は今回、横浜銀行初のプロパーの頭取ということで、おめでとうございます。これはやはりサプライズ、驚きの気持ちで迎えられたんですか?

川村
実はコンコルディア・フィナンシャルグループという、今回横浜銀行と東日本銀行が経営統合してグループを作りました。持ち株会社というのが新たにでき、銀行がそれぞれある。合併しないでそれぞれの銀行を残してグループを作りました。これは何かというと、それぞれの銀行がホームマーケット、地元でしっかりと営業を続ける、ブランドを生かすんだと、そのために合併はしないということにしました。その場合、グループ全体を見る(コンコルディア・フィナンシャルグループ)社長と銀行のトップである頭取をあえて変えて、銀行はその地域のために責任、役割を果たす、持株会社の社長はグループの経営の役割果たす、分けていくということを議論しました。後は誰がなるかというところで、銀行のことをやるのであれば、地域のことも知っている、銀行の業務のことも知っている人間を責任者にした方がいいのではないかということで、プロパーで頭取を出すということになりました。私自身も指名を受けて、その役割を果たすんだという抱負、気概を持って頑張りたいと思います。

内田
川村頭取のご経歴を拝見すると、90年代終わりから銀行が非常に厳しくなり、バブル崩壊があって、その後に公的資金が注入された、不良債権の処理に追われていったという時にその最前線にいらっしゃった。またリーマンショックの時は融資部長として活躍されたということですが、そういうご経歴が今の頭取というポジションにつながったという分析はありますか。

川村
確かに難しい局面をいろいろ経験しましたので、それを今に生かす、という期待もあると思います。地元の中でということですが、公的資金を受け入れた当時は十何箇所の海外支店がありましたがそれを全部閉めて、東京都内の支店も半分にして、でも神奈川県内の店舗は減らさなかったんですね。そういう中で、地元のお客さんから「いろいろ不便になっている」と言われましたが、「地元から横浜銀行の青い看板がなくなるのはもっと困るので、できる範囲で応援もするし、しばらくの間は我慢するよ」というお声をいただきました。まさに神奈川に戻ってくる、「地元回帰」と言われましたが、こうした地域の方々の熱い愛情に支えられたということを経験できました。またリーマンショックの頃、たくさんの不動産会社が、上場会社でもどんどん潰れてしまいました。当時多額の不良債権、損失が発生したのであわや赤字決算という憂き目にあいましたが、その時にギリギリで踏みとどまれました。それは以前からやってきていた地元の個人向けのお取引、住宅ローンや投資型商品の販売で得られる収益、あるいは企業融資でも大きな融資ではなく非常に地元の方々のリテールの取引。そうしたところから上がっていた収益がきっちりあったので、そのショックに耐えられたわけです。まさに地域の方々一人ひとりの支援があって、お取引があってそういう大きなショックを乗り越えられたということですから、今マイナス金利という強い逆風が吹いていますが、そういう中でも過去の経験を踏まえてなんとか乗り切って地元の方に満足いただける金融サービスをしっかり提供していく。こう思えるのはそうした過去の経験が大きくあるからだと思います。

内田
そういう流れの中で東日本銀行との経営統合、合併ではなく統合だと仰いましたが、金融機関の統合は突き詰めて考えれば(銀行業務という意味で)同じことをやっているわけですよね。どのようなシナジーを出していけるのかということを伺いたいのですが。

川村
横浜銀行の法人のお客様、事業家のお客様への融資は2万5000社です。東日本銀行は東京や北関東を中心に1万8000社あります。ビジネスマッチングというのは今非常に重要なポイントですが、神奈川のお客様に東京でのいろいろなビジネスパートナーがいるとか、東京に支店を出したい、お店を出したいというニーズにきめ細かく対応していく。東日本銀行では、東京のお客様がこういうことを神奈川でしたいといったときにパートナーを紹介するということが増えていくなど、大きくマッチングの機会が増えます。両行合わせて4万社以上で、地方銀行でこれだけのお客様がいるということはダントツで大きいので、まさにここはこれから地元中小企業の皆様にも良かったなと言ってもらえるようなことを我々やっていきたいと思っています。


横浜銀行が積極的に支援する成長分野「地域再生」「環境・エネルギー」などの 業種に向けた貸出実行額は昨年度2710億円。さらにビジネスマッチングの件数は3012件と、地域経済の活性化に向け、様々な角度からビジネスチャンスの創出に取り組んでいます。茅ヶ崎市の農家が生産するトマトをジュースにして販売する事業では生産者と加工工場を結び、その背中を押しました。

内田
地域金融の役割というものが本当に単なる融資という世界からいろいろな広がりを持ってきていると思います。こういうビジネスマッチング、しっかりと企業というものを存続させていく、さらにバリューアップしていくというところはこれから一番力を入れていくということになるんですか。

川村
地域の活力というのは人口が増えればいいのかというだけではなく、やはりいろいろなものを作ったりサービスを提供したりという産業、事業があって、そこで働く人がいて、生活があるという全体の構造だと思います。しかしビジネスマッチング以外にもいろいろと考えなくてはいけない部分があります。先日調査機関が集めたアンケートで神奈川県内の中小企業経営者の7割が新規の資金需要がないと答えていました。

内田
お金を借りる必要がないと。

川村
いろいろな理由、問題があると思いますが、その中の一つに中小企業の経営者の平均年齢が神奈川県で60歳くらいだと。かつ60〜70代の経営者がいる企業の3〜4割は後継者がいない、というアンケートもあります。横浜銀行ではこれまでもやってきて、これからもっと力を入れたいところが法人、中小企業の事業承継のサポートをする。そういう専門家を本部に配置し、中小企業の若返りを図る、一朝一夕にはできませんが、じっくり腰を据えてお手伝いをしていく。その上で、今どこの銀行も事業性評価というものを行っていますが、将来(中小企業が)成長するためにはどういう課題があるかということをいろいろと調べるという活動も力を入れています。

内田
それぞれの企業に伺って、その事業、企業がどこまで成長する余地があるだろうかと。

川村
何をすれば成長に向かっていくのかということまで一緒に考えます。そうしたプランを一緒に立てて、必要によって外部の専門家も連れてきてソリューションをする。その中で事業を大きくしていくという時に、いろいろな資金がようやく必要になってくる局面があると思います。事業を成長させていこう、拡大していこうという会社には、横浜銀行も事業内容を分かった上で対応するので、無担保であったり、保証人なしで対応するとか、返済方法も柔軟にやっていくという形で、まさに「適切なリスクテイク」をしていく。そういうことが地方創生の原動力になるのではないかと考えています。

内田
そうはいっても神奈川経済の産業構造の変化は進んできていて、これに対応していくということも一つの課題だと思います。ここはどのようにお考えですか。

川村
一口に神奈川の経済と言っても地区ごとに非常に違いがあります。そういう地区ごとの特質、強みがあって、それから様々な開発計画や観光資源、人口の動向があります。そういうことの状況に応じて、この地区は10年後に今より良くなっていくためにはどういうことをしていったらいいのか、どういう姿になっていこうかということを、横浜銀行としても主体的にビジョンを作り、そこに向かって継続的に、その間いろいろな環境変化はあると思いますが、その変化にブレずに、その地域に対してきちっとコミットし、サポート、応援していくということをしていきたいと思っています。今、横浜銀行では神奈川県内を地区ごとに分けるブロック制を敷いていまして、そこには執行役員の本部長がいます。彼らがその地域の将来像に対して責任を持ってやっていく。何年かしたら次のブロック本部長に代わりますが、そのビジョンをしっかり引き継いでもらい、変わらずに応援していくんだと。その地域、市町村の人々とも連携をしながらやっていくと。

内田
長期的な時間軸で。

川村
そうですね。いわゆるマッチングの話になりますが、例えば横浜銀行の店舗はほとんどが神奈川県にあります。転勤をしてもそれほど遠くには行かず、ずっとこの神奈川の地域の中のどこかで働いています。そうすると20年働いているだけで何百何千という方々にお会いしています。そういう経験から「このお客さんのニーズはこういうことなんだけど、あの人にきいてみよう」あるいは「あの人と取引している支店の担当者にきいてみよう」など、そういう人と人とのつながりの中で地域との接点を持っているということ。横浜銀行だからということで本当のことをお話しいただける関係があって、その中で動く私たちがいる。こういうことが実のあるビジネスマッチング、そうしたサポートにつながっているんだと思います。

内田
将来の姿ですが、どういう銀行にしていきたいとお考えですか。

川村
今までとちょっと違うのは、銀行のトップが銀行員(出身の頭取)になりました。これまで横浜銀行はいろいろな本部の部署が企画をあれやこれやと考えて、ほぼ完成形を作ってから頭取、役員会に諮り決めていくスタイルでした。私も銀行のことをいろいろとやってきていますから、できあがったものを見せに来るのはやめてくれ、最初に「こういうことを考えるんだ」というところから仲間に入れてくれと。アイディアを出すところから、頭取という立場ですがお互い意見を交換し議論をして作り上げていく。そうしてできあがったサービスが、お客様にとって「良くなったね」とか「本当のサービスがアップしましたね」というふうに思ってもらえたら一番良いなと。自分なりにできることは限られていますが、銀行の中のいろいろな知恵を集めて、精一杯サービス向上に努めたいと思います。



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