アナウンサーズマガジン

画面では決して見ることの出来ないアナの表情が満載!番組への意気込みや裏話も アナ本人の文章で紹介。

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3月11日の震災後tvkでの特別番組体制が少しだけ一段落した頃から、
日々の仕事や生活の中で、ずっと自問し続けてきました。
「もっと大切な事があるのでは?」と。

私は1995年阪神大震災の起こった年までIBC岩手放送
アナウンサーとして勤務していました。
20歳代の殆どを過ごした盛岡から車で2~3時間、
北上山地を越えたどり着く岩手県沿岸。

久慈、宮古、釜石、大船渡、陸前高田・・・
実況中継や公開番組、取材や深夜に及ぶ生放送で出逢った方々が、
半人前の私にどんな時も温かい心を向けてくださった地です。
控えめな柔らかい笑顔、差し出してくださった珈琲の温もり、
番組に頂いた御葉書の暖かい言葉、何時までも色あせる事のない宝物です。

「心優しき人達が困難に直面している。」
・・・力になりたいと思いながら、日々に追われ、
義援金や息子達が使っていたランドセルを被災地に
送る位しかできない事を歯がゆく感じていました。


そんな折、IBC岩手放送から
『5月28日土曜日正午から翌日午後2時まで、
ラジオ生放送で復興のお手伝いになればと、募金活動を行います。
東京での会場でOB,OGの力を貸していただけませんか?』
という連絡を頂きました。

「岩手のために少しでもお役に立てるなら」と上司の了承を得て、
時間を遣り繰りし、東京の東銀座にある岩手県のアンテナショップ“いわて銀河プラザ”へ。
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集った16年前の仲間と再会し、募金活動と生放送。
ラジオの情景描写の難しさを久しぶりに実感します。
柄にもなく照れながら募金箱を抱えていると、
数多くの方から善意と共に忘れられぬ思いを伝えて頂きました。
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私と同年齢くらいの男性は「まだ、親戚が見つかっていない・・・
でも、何かの役立てになれば。」と。

「良い食材が手に入るので、毎日の様に“いわて銀河プラザ”に
買い物に来ていましたが、震災直後は棚に並ぶものが減っていて、
本当に心が痛みました。」
と話してくださったのは近くで飲食店を営む女性。

若いカップルからは「地震の時は彼女の実家のある岩手県にいました。
不安で仕方ない時に地元の放送局が、正しい情報、安否、生活の糧を
発信し続けてくれた事を心から感謝します。」と

メッセージ…かつての職場の先輩や後輩達が
果たしてきた役割の大きさを、改めて胸に刻みました。

学生時代岩手でラジオ番組を聴いてくださった会社員、
岩手から東京に嫁ぎこの日はお嬢さんに募金を託したお母さんも。
そうそう、岩手出身で横浜在住、今は「tvkを見ていますよ!」と
いう女性にもお会いしました。

わずかな時間ではありましたが、果てのない不安と悲しみを秘めながら、
次の一歩の踏み出し方をしっかりと考えている人がたくさんいると知りました。


「何かできることがないか」と模索していた最中、
大切な機会を与えてくださった方達に心から感謝いたします。
決して簡単ではありませんが、これからも考え続け、
言葉にし、必要ならば行動します。

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