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神奈川ビジネスUp To Date

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2月26日放送
産学・金融の連携と地域活性 新たな商品開発の現場

ゲスト
横浜銀行
 代表取締役頭取 川村健一さん
相模女子大学・相模女子大学短期大学部
 学長 風間誠史さん


「産学・金融の連携と地域活性の現場」を特集。大磯町で生産が盛んなみかん。これまでは成長促進のため一部廃棄されていた。有効活用のため、大磯町商工会の一人の女性がある商品開発プロジェクトを立ち上げた。相模女子大学・相模女子短期大学部の学生も参加し、産学連携を進めるこのプロジェクト。風間誠史学長に女性活躍や学生とのコラボレーションについて聞く。立ち上げから取り組みをサポートするのは横浜銀行。ビジネスマッチングやアドバイスなどを行っているという。川村健一頭取が考える地域金融としての役割、目指す姿とは。



柑橘類の生産が盛んな大磯町.町の特産であるみかんを使ったアロマオイルを開発しようと「マチ、カオル。Oiso」と名付けられたプロジェクトが発足した。プロジェクトの中心となったのは大磯町商工会の女性部。そして地方創生、地域資源の活用に向けてビジネスマッチングなどに注力する方針をとっている横浜銀行がプロジェクトの進行に合わせて、加工業者の紹介やアドバイスを行ってきたという。

内田
川村頭取にこの前お会いしてお話を聞いた時に、「地域の銀行として、現場に出て連携をしていく」という活動を開始して、トマトジュースを作ったというお話を聞きました。

川村
そうですね、はい。

内田
その後どんな風に展開が進んでいるのか、楽しみにしていたのですけども、今回は「みかん」でマッチングをしたという?

川村
はい、みかんです。これだからやろうという「決め」はないですけれども、各地域の皆さんが持っている地域資源というか、「うちはこういう良いものがあるよ」というのをお聞きしたり、地元の商工会の皆さんがそれを一生懸命商品化しようとしているという、そういうご相談をいただけば、それに合ったものを見つけていく。こちらから提案をして、「こういうものを作ったらどうですか」と言えればいいのですけども、やはり一番地元のことを、その地域の良いものを知っているのは地域の方なので、私どもはその地域の皆さんとの接点を多くして、そういう取り組みやニーズをお伺いして、ベストなサポートをさせていこうと。大磯はこれの前にもマーマレードを作ったというお話があったので、そういう中で皆さんがもっといろいろなものを作りたいという動きをお話いただいて、本当に商品ができるかはこれからの努力なんですけども、相模女子大さんと繋がってまずは良かったかなと。第1ステップを踏めたというところですね。


今後は販売に向けてスピードを上げるというプロジェクトの活動。ここからは産・学の連携を生むべく、相模女子大学・相模女子短期大学部の学生有志24人が参加。風間誠史学長に、学生とのコラボレーション、女性活躍について聞く。


内田
今回のみかんのアロマを作るというお話、これはどういうところからお話が入ってきているのですか?

風間
横浜銀行さん、大磯町さんの方からアプローチがあった企画です。本学園はいろいろな地域との連携をやっておりますので、じゃあ学生に声をかけてみようと。そうしたら大勢の学生が集まりまして。学生が「アロマ」というものに興味を持ってくれて、それで一緒にやっていこうということで立ち上がったプロジェクトになります。

内田
相模女子大は女性力といいますか、その取り組みに興味があって、キャッチコピーも「見つめる人になる。見つける人になる。」という。

風間
はい、そうですね。

内田
そこに女性ならではの力があるんじゃないかという前提のもとでこういう取り組みをしていると思うのですけれども、学長が考える女性の発想力というのは、もう少し具体的に言うと、どういうものになりますか?

風間
長年、女子教育ということで、女子の力を伸ばすということをずっとやってきたわけですけれども、日本の社会は依然として男性中心の社会ですから、男性の考えている常識の中で世の中の仕組みが動いていくという中で、そうではない柔軟な発想で取り組んでいくことが女性の可能性としてあるのではないかと。先ほどご紹介いただいたスローガンでしっかりと足下を見つめて、その中から新しいものを見つけていこうという形でやっています。具体的にはなかなか難しいのですけど、一つは女性が持っている「コミュニケーション能力の高さ」が発想に繋がっていく。こうやって地域連携が盛んになってきたのも我々大学の方が意図したというよりは、学生がいろいろな地域の方と交流することで、期待以上に、我々が考えている以上に連携が深まっていく。それはやはり女子学生が持っている「コミュニケーション能力の高さ」といいますか、いろいろな人と話が出来る、それを受け入れることが出来る、自分がそこで何かを見つけることが出来る、その辺りが女性ならではなのかなっていう風には感じています。

内田
今、学長がおっしゃった、「受け入れることが出来る」というのがポイントだと思うんですよね。既成の概念に囚われないで、今起こっている現象について素直に「そうなんだな」という風に受け入れて、それをどうしようかという、非常にリアリズムといいますか、そういうところが女性の力で、世の中が今、女性の力を必要としているからこその活躍であり、今回のような要請であると思うのですけれども、この日本社会の女性の力を求める変化というのはどういうところが根源だと思いますか?

風間
いや、男女共同参画とか散々言われてきているけれども、むしろ依然として変わらない部分の方が多い。

内田
日本社会は実は変わっていないと?

風間
はい。ですから依然として女子大学の存在意義、女性は男性の大学に行けないところからスタートして女子大学で、こうやって戦後、男女平等になって共学の大学が当たり前になりましたけど、その中で女性ならではの力を、女性だけが集まったところで伸ばしていくことがまだまだ必要な社会だという風に私は思っています。ですから今回の、女性がアロマを使って町を活性化する、これは男性には思い付かない発想ですよね。やはりこういうものが今後の可能性になるんじゃないかなと思います。

内田
今回の「みかんのアロマオイル」のプロジェクトですけども、いよいよ本格的に学生たちが参加して、これをどう商品化していくんだというところに入ってくるのですけども、どのような融合効果が生まれると期待しますか?

風間
最初は実際に地元の方といろいろな話をしたり、地元の方の苦労とか、いろいろなことを学んでもらって、その中から例えばパッケージデザインをしたり、どんなところにアロマが生かせるのかというようなところに我々が思いも付かないような何か新しい展開が出てくるかなと思っていますけども。

内田
学生たちにとって、こういった社会活動に参加する意義はどういうところにあると思いますか?

風間
これは本当に語り尽くせないのですけども、大きな意味があります。特に「受け入れてもらう」ことの意義が大きいですね。学生、今の若い人たちが非常に弱いのは、いわゆる自己肯定力が弱いんですよね。それがいろいろな地域に出かけて行って、そうすると特に女子学生は非常に歓迎されます。女子学生は基本的にやはり真面目なところもありますし、人の話を聞いて真面目な取り組みをするので、どういう地域へ出かけて行っても非常に歓迎されて受け入れてもらえる、喜ばれるんですね。そうするとそれが、「自分の存在が役に立っている」「自分がそこで何か活動することで本当にその土地の人が喜んでくれるんだ」という、これが非常に大きいですね。これが無いと、それこそ勉強していても、何のために勉強してるのかというのが見えてこないとモチベーションにもならないわけです。こういう地域連携活動をやって、「自分が活動することで何か意味があるんだな」「これを喜んでくれる人がいるんだな」っていうのが本当に大きいですね、教育効果としては。

内田
そういうことに繋がるとがわかれば、勉強する意義も深まってくるということですね?

風間
そういうことです。我々としてはそれを繋げていきたいんですね。こういう地域連携の活動で、いわゆる学校の机の前に座ってする勉強ではないところで経験を積んで、自分が今学んでいることはどう活かせるのだろうというところで、勉強の方もしっかりやってもらいたい。そういうサイクルをうまく作っていきたいと思っているんです。


試作品の発表会は相模原市の相模女子大学・相模女子短期大学部のキャンパスで行った。今後は学生、女性の感性を生かしながら、商品化に向けて開発を進めるという。


内田
今回、報告会をしつらえた。これも珍しい形で、やはりそこに狙いというか目的もあると思うのですが。

川村
はい。こうやって報道の皆さんにもご覧頂いていますから、私どもの取り組みをご理解いただこうと。あるいはまだ接点のない地域の方が多いので、これを見て、聞いていただいて、「うちにもあるよ、横浜銀行で何かこういうのをしてくれない?」というお声がかかってくれればありがたいと思います。今回は相模女子大さんの学生の皆さんの励みになるというか、これまでもいろいろな産・学の取り組みをやられているのですけども、こんな形で世間の皆さんから関心が集まるということを学生の皆さんが感じることによって、「もっともっと積極的に取り組んでいきたい」という風になると思うので、そういう効果も今回はあります。

内田
大学も絡めて、というところで非常に進化した形になっていると思うのですけれども、地域経済をこれからもっともっと盛り上げていかないと厳しい状態になっていくという見通しがある。そこで「地域金融の雄」である横浜銀行が本気になって促していく、活性化させていくということはすごく期待するところです。ただ、いろいろな壁があって思うように新しい価値を生み出していくということは、そんなにスピードアップしていないようにも見える。川村頭取が見て、何が課題になっている?いろいろな側面があると思いますけれども、現状はどうでしょうか?

川村
難しいご質問ですけれども、やはりそれぞれの地域の皆さんが自分の地域の良さを誇りに思って外に出していこうという熱意、お一人お一人にはあるかもしれませんけど、今回も商工会議所女性部の皆さんが集まってやっているという、非常に力が結集できるスタイルだと思うんです。いいスタイルですよね。こういうものが各地で、「うちもこうだよね」って集まってパワーになっていけば、スピードはもっと出てくると思いますし、それぞれの地域の皆さんが自分の地域ではないもので新しいもの、出たものを見て、「新しいああいうものが出てきて良いね」と評価をし合うようなムードを作っていかないといけないかなと思います。

内田
「みかんを再利用していくんだ」という話って、とても良いじゃないですか?でも地域でやろうという動きを始めようとした時に、反対する人がいて、それを説得してまとめ上げるのに苦労したという風な話があった時に、「イノベーションしなきゃいけない」と我々は思いますよね。でもやはり躊躇する。経済の現場の方たちがいるというところは何か問題なのかという風にも見える。

川村
チャレンジですよね、やってみなければわからないという。ただ皆さんの中だけで話し合っている時には壁にぶち当たりましたけれども、横浜銀行にご相談をいただいて、「じゃあちょっと動いてみましょう」という、外の人と連携できたことが一歩前に出るきっかけになったと思います。そういう面で私どもの銀行が背中を押すというか、前に引っ張ってくるお役に立てたことはうれしいなと思います。


今回の「アロマオイル」開発プロジェクトを当初からサポートする横浜銀行。今後もこうした動きを増やしていきたいと語る川村頭取に、地方創生の可能性と、地域の金融機関としての思いを聞く。


内田
川村頭取がやりたいことを一つ具現化した。それでもっと行員の方たちが本気で動いていくことを求められているのだろうなと勝手に想像するのですが、頭取の思いとして、横浜銀行がそういった動きをどんどん加速していって、地域経済をもっと盛り上げていくために課題があるとしたら何ですか?

川村
各地域に私どもの支店があって、そこで行員が働いていますけれども、そこの支店にいる期間、銀行員は転勤しますので、3~4年ぐらいでまた別のところに行くのですけども、その期間にその地域の人たちと一緒になって、その地域を好きになる。そういう繋がりが出てくるといろいろなお話を聞けるようになる。単にお金を預けるとか、借りるとかというテーマだけではなくて、「今、我々はこんなこと考えている」というのは、やはり仲間に入れていただいて話が聞ける。そういう地域地域の皆さんとの関係が強化できれば、おそらくこういう話題はもっともっとたくさんのところから銀行へ入ってきて、「こちらでこんなことができますよ」という話は無尽蔵にあると思います。

内田
そういう受け入れ態勢、気持ちというのは万全にある、ウェルカムなんだというところはありますか?

川村
いろいろな地域のお祭りとかイベントがあるんですけども、それにどんどん参加していこうというのを取り組んでいます。私も去年の秋は伊勢原や秦野、箱根のいろいろなイベントに直接参加をしましたけれど、そうするとその支店の人たちがボランティアでゴミ拾いの係をやってとか、そういう繋がりも出て、行政の方や地域の振興をされている商工会の方々と準備をする段階から繋がりができます。そういうものが広がっていって、こういうご相談を頂けるようになるのだろうと、まさに地域に本当に密着するということはこういう形かと思います。

内田
これからもっともっと横浜銀行の行員の方たちを現場で見ることができると?

川村
そうですね、はい、だと思います。青い法被を着て町を歩いてることがありますので、そういう時にはお声かけていただければ、本人たちもやる気が出ますので。



tvkのYouTube公式チャンネルの「見逃し配信」では取材VTRも含め、インタビュー全篇をご覧いただけます。(視聴無料です)

2月19日放送
「全日本製造業コマ大戦」 製造業の連帯がもたらす価値

ゲスト
株株式会社ミナロ
    代表取締役 緑川賢司さん


町工場の技術力とプライドを賭けて作られたコマを対戦させる「全日本製造業コマ大戦」。2012年の設立以来、横浜から全国へと盛り上がりを見せている。立ち上げの中心となったのは名誉顧問の緑川賢司氏。横浜市の木型製造企業「ミナロ」の経営者でもある緑川社長は、町工場のネットワークの必要性を伝えながら、全国に活動を広げてきた。立ち上げから6年、到達点はどこにあるのか。中小製造業の現状と「連携・連帯」可能性を探る。



内田
緑川さんは「コマ大戦」の仕掛人ということなんですけども、何故「コマ大戦」をやろうということになったのですか?

緑川
2012年から始まるんですけど、実はその前からストーリーがありまして。僕が2002年頃にリストラをされた経験がありまして、その時は職人だったんですけど、僕には職人としての技術しかないので、それでもう一回、新たな会社を起こそうと。その技術を元にね。それで作った会社がこのミナロという会社なんです。ただ作るのは簡単なんですけど、存続するのがすごく難しい。更にこの先、日本の状況を考えると、10年20年考えると、どう考えても製造業は減るしかないんですよ。

内田
はい。

緑川
その「減る」のを何とか食い止められないか。そのためには何をすればいいか?という時に、「じゃあみんなでモチベーションを持ってもらおう」、「みんなから、子どもたち、学生から憧れられるような職業にしてみたらどうだ」ということを思うようになって、いろいろ手を変え、品を変えてイベントをやったんですけど、その中でヒットしたのが「コマ大戦」です。

内田
いろいろな試行錯誤、イベントをやって。

緑川
やって、何とか「当たった」。

内田
「コマ大戦」が成功した理由はどこにあると思いますか?

緑川
いろいろな要素はありますけど、まず一つはSNSが普及していたこと。だからこういう思いがあるやつがポッと意見を出したときに、それこそ全国的に反応してくれるわけです。それで「イベントをやるぞ」って言ったら、その全国の人が集まってくれるという、そのツールとしてのSNSの使い方、普及があったのがまず一つの理由ですね。あともう一つは、心というかモチベーション、考え方として、町工場が疲弊するという状況は誰しもが感じている。それで何かしなきゃいけないと思っている。でも何をしていいのかわからないという人が大勢いて、その時に「コマ大戦」という旗ふり役が現れたわけです。何か面白そうだなと。乗っかれば仕事が増えるかもしれないし、何か将来良いことがあるかもしれない、じゃ乗っかろう、というような人たちが来てくれたのが「コマ大戦」が普及した理由だと思います。

内田
仲間を集めてみんなでやろうよという、コラボレーション、連携というものがベースにあると思うんですよね。今、企業同士のコラボレーション、連携というものがものすごく強く言われるようになってきて、ある意味、大企業では常識のように言われている。緑川さんの動きを見ると、そういう連携というものを主軸に置いてやっていらっしゃる。そこで疑問なのですけど、連帯をして中小企業に何かが起こるものなのか、その先に何が起こったのか、起こりつつあるのか、というところのリアルなところをお聞きしたいんですよね。

緑川
確かにムーブメントを起こすというか、連携、連帯で何かできそうだっていうのが夢です。でも夢だけでは飯食えないわけですよ、みんな。そこをどう繋げていくか、なんですけど、「コマ大戦」を例にとってみれば、「コマ大戦」をやることによって、それこそ本当に地方の職人さんたちにスポットライトが当たって、その会社に仕事が増えたりとか、「コマ大戦」をきっかけに自社商品を開発して、ブランド名まで付けて、そこでコマと文房具を超有名な書店で売ったりとか、超有名な百貨店で売ったりとか、それだけで売り上げ的にはその会社にとってはすごいわけです。

内田
そうですよね。

緑川
具体的な例というのが、「コマ大戦」をプラットホームとして使っている企業が現れています。あともう一つ、僕の中で掲げた目標の中で大成功したなと思うのは、学生が「コマ大戦」をきっかけに、「コマ大戦」に出場した企業に就職し始めたことです。

内田
最初の想定以上のものになったのかもしれませんけれども、今の「コマ大戦」が起こしている成果というのは何点ぐらいですか?100点満点で言うと。

緑川
もう多分120点ぐらい。もっとかもしれないですね。

内田
そうですか、非常に満足のいく、それ以上のものになってくれた、やって良かったと?

緑川
はい。掲げた目的が7個か8個あるんですけど、そのほぼ全てをクリアして、後はそれをどう膨らませるかの段階なので。

内田
そういうイベントにみんなが集って、技を競い合って、という場は、中小企業を盛り上げるには非常に有効だったと証明できた?

緑川
はい。僕の中ではそう思います。


全国の中小製造業が持ち前の技術力を賭けて戦う「全日本製造業コマ大戦」。一対一の真剣勝負が繰り広げられる土俵には、声援と情熱が注がれる。公式戦にて使用される「ケンカゴマ」は直径20.0mm以下、全長60.0mm以内。製造業のプライドをかけて設計、製作されたコマには、匠の技が凝縮されている。2012年のスタートから現在までに全国150ヶ所以上で開催し、参加チームも延べ3000チーム以上。2015年には「世界コマ大戦」を横浜で開催、7カ国の海外チームが参戦するなど、世界を巻き込む一大プロジェクト事業に発展してきた。


内田
「コマ大戦」の話は非常に大成功、でも引いて今の中小企業というものを見てみると、決して明るい状況ではなく、廃業、倒産件数がどんどん増えていくという状況にある。今、その技術を持ちながら、本当は頑張れば続けられる会社も廃業していく。そういうのはもったいないなと思いつつ、そういうのは仕方がないだろうという見方ですか?

緑川
仕方がないだけじゃ進まないような気がしています。「コマ大戦」をやったもう一つの理由というのが、日本というのはやはりものづくりをするから付加価値が生み出せる国であって、そのものづくりが無くなったら、国力が下がるわけです。じゃあその国力を誰が支えるんだ?君たちが簡単に辞めていったら国力が下がっていくんだよと。そういう責任を感じないの?って。でもやはりなかなか感じられるものじゃないですよ。でもそういうこと少しでも周りの人だったり、それこそどこかの中小企業団体が責任を持ってそういうことを言ってくれるようになれば良いとは思うんですけど。

内田
本当に緑川さんは、良い意味でですよ、勝手に使命感をしっかりと持って、中小企業が無くなったら大変なことになるじゃないかっていうところで、考え方次第でいくらだって活性化できるはずだというところを信じてやっていらっしゃる。そういう情熱を持って、それを伝播していこうと。でもまだ緑川さんも諦めている訳じゃないんですよね?火付け役を。

緑川
もう勝負なんでね。諦めるというか、もう癖みたいなものですよ。

内田
もう、やらずにはいられないというね。

緑川
はい。


本業は横浜市で木型・モックアップの製造を行う「ミナロ」。ケミカルウッドと呼ばれる材料の加工を中心に、船や自動車の模型など、繊細な3次元を生み出してきた。しかし木型・モックアップの製造は年々厳しい状況が続いている。そうした中で緑川社長が進めてきたのは、BtoC事業の創出。受注ありきでの仕事が進む業界において、経営の安定と事業の最初に始めたのは「ケミカルウッド」の販売。フィギュア製造や材料の販売など、現在では収益の柱として成長してきたという。


内田
先ほどおっしゃった連携、みんなでやるよというところの火付け役も重要ですけれども、一方で自分の会社をいかに成長させていくかということも、一方で重要ですよね?

緑川
ミナロという会社を始めた時に、連携と連帯、情報発信、もう一つはBtoC、この3つのキーワードで会社をやってこうと決めたんです。連携連帯は先ほど言っていただいた通り。情報発信は今はSNS。当時はブログとかを使っていました。それでもう1つがBtoCです。我々町工場はほとんどがBtoBで、相手もビジネス、我々もビジネス、言うなら下請けなわけです。そうすると仕事はほとんどの場合、値段も納期もお客さんが決めてくるわけで、それに応じなければ売り上げは0です。そんな時にやり方を切り替えようと。BtoBは確かにベースとなる仕事だけど、BtoCの部門も自分たちでやっていこう、町工場が作ったものをエンドユーザーに直接届ける商品も開発してこう、そうすれば値段も納期もこっちでコントロールしやすくなるだろうというので始めたのが、うちの場合は材料販売です。木型を作る材料が必ず最後は余るんです。今まではそれをお金を払って産業廃棄物で捨てていたんですね。ちょっともったいないと、ダメ元でヤフーオークションに出して。そしたら売れたんですよ。やっぱり欲しい人が来たって、また出したら売れて、結構売れるなと思って自社サイトにして、今ではECサイトにカート機能を付けて、代引きOKとか、クレジットカードOKみたいな感じでやっていったら、ミナロ全体の売り上げの、多い時は2割ぐらい。

内田
結構ありますね。

緑川
BtoCのさらに良いところは、毎月の売り上げが見込めるところです。ミナロのBtoB部門というのは、試作というか模型に近い部分なので、毎月の売り上げがすごく変動するわけです。でもそこにBtoCの材料販売の安定した収入があるというのは、非常に経営が楽になる。そのBtoC商品をどんどん増やしたいと思っていて、そんな時にうちの事務員さんが提案をくれたんです。事務職って普通お金を生まない部門じゃないですか。でもミナロがこういう状況で木型の仕事が減っていくと言ったら、事務の方が「自分の趣味なんですけど、これからハーバリウムというものが流行るかもしれない」と。これをミナロの仕事としてやりませんかと言ってくれたんです。


現在ミナロが注力しているのは「ハーバリウム」。インテリア性の高い植物標本として人気が高まっている。ミナロではデザインから完成まで、自社で丁寧に制作、百貨店や商業施設での販売や、ワークショップなどを展開している。


内田
ハーバリウムというものに今すごく力を入れていると。非連続の商品であり、ものづくりに対するある意味「諦め」みたいなもののようにも見える。ここはどう反論しますか?

緑川
多分、みんなそう見えると思います。「何を始めたんだ、あいつ」みたいな、「いよいよ木型を辞めたか」みたいな感じで言われるとは思うんですけど、実はこのハーバリウムも僕の中では繋がっていて。

内田
繋がっているんですね?

緑川
ハーバリウムという言葉はそこで初めて聞いたんですけど。「何だ?それ」と。でもネットで見たらすごく綺麗で、これは女性に売れるなと。今までミナロは男性ものばかりだったんですけど、「財布を持っている人」は女性、お金を出すのは女性なので、女性向けのBtoC商品もアリだなと。

内田
はい。

緑川
作れる人はいるわけだし、会社対会社で材料を仕入れれば普通に買うよりも安く調達できるわけです。それで綺麗なものを作って市場に出せば、これは十分仕事になるだろうと。

内田
直感でわかりました?これは良いと。

緑川
わかりました。それで「やろう」と。もう即決です。それが去年の8月から始まって、今、半年経っていますけども、その間にすでに大手百貨店で扱っていただいたり、ここでワークショップやりますよっていうと、近所のお姉さん、主婦の方がここまで来てくれるんです。工場の3階に。そういうような効果があったりとか。

内田
そのギャップが面白いですね。綺麗なお姉さんたちが町工場に来るというのは。なかなか得難いコミュニケーション?

緑川
でしょ?町工場がいい匂いするんですよ。

内田
すごいのは「ハーバリウムというのがあるんです」と言われた時に、そこで「あ、いいね、それやろう」という風にすぐにビビッと反応するところがすごいなと思いますよね、経営者として。

緑川
すごいというか、僕が提案する側だったら、そうであって欲しいと思うんです。だから提案をしてくれた時はもう、ほぼ、ほぼほぼやりますよね。

内田
あの綺麗なものをみんなで一生懸命作っている?緑川さんも?

緑川
結構、僕も作りますよ。あとデパートに売り子として立ちますからね。

内田
緑川さんが一生懸命作ったものが並んでいたりするわけですね。全然違うものですか?ものづくりという観点で、メイドインミナロとして何か共通のポリシーがあるんですか?

緑川
やっぱりミナロらしさを出そうとか、世に出ているハーバリウムとはちょっと違うものを入れたりとか。例えばうちでよく使うものは金属の糸、町工場で言うとキリコって言うんですけど、金属を削ったあとのこういうグチャグチャとなったやつ、あれを入れてみたりとか、ちょっと工夫というか味を出している、というのをやっています。

内田
いいですね。

緑川
売り上げの柱、経営の柱、収入の柱は何本もあっていいと思うんです。むしろいっぱいあった方がいいと思う。その中には、年によっては売り上げ下がるものもあるでしょう、でも他の部分がカバーしてくれれば会社が回る。そのためには町工場もBtoCの分野にチャレンジしたりとか、もっと異業種の仕事を取り入れてみたりとかいうのは全然アリだと思います。

内田
模型木型は辞めるつもりじゃないんだと?

緑川
この現場を無くしてしまったらそこで途絶えちゃうわけです。いかにしてその現場を残すかによって、その技術が残る。これが突き詰めれば国力になるわけです。それをどう残すか。残すためには売り上げも必要だし。現場を残すという感覚ですね。

内田
模型の新しいニーズを創出するということはなかなか難しいことなのですか?

緑川
そうですね。難しいけどチャレンジはしています。

内田
どんな分野に可能性がありますか?

緑川
今、期待しているのは仏像とか。世界的な歴史で考えれば仏像とか彫刻というのはずっとあるわけですよね。それをミナロの木型の技術で、言うなれば最新の技術で仏像を作るお手伝いができないか。例えば日本でいうと欄干ってあるじゃないですか、その欄干もうちの機械で作れないかと。工業製品じゃない視点から、文化伝統に近いような、芸術に近いようなものにも、うちの技術が活かせないかというところでチャレンジしているところです。

内田
お話を聞いていると、中小企業これから活性化させていきたいんだという、その思いはなくならないと。まだまだ活動を?

緑川
そうですね。連携連帯。

内田
活性化を続けていくという意味で、ビジョンがおありなんですよね?

緑川
最終的には国とか経団連とか、そういうところに意見できる中小企業団体を作っていきたいと。いや作らなきゃダメだろうというぐらいの、また勝手に使命感ですけど。中小企業の比率が99.7%と言われています。約7割の労働者がその中小企業に勤めている。ということは、その中小企業が将来の夢とか、将来のビジョンを描けなかったら、この7割の人たちはつまらない人生を送るわけです。それがすごくもったいないだろうと、悔しいだろうと。この7割の人たちが夢を見られる時代を作る、国にするためには、今、国のルールを作っている政府とか大手団体に対抗できる意見を持ってかなければダメじゃないかと。

内田
はい。

緑川
この7割の人たちが動いたら、この人たちが「自分たちの将来は希望が持てるんだ」とか、「自分たちの未来は自分たちで作れるんだ」なんて思った日には、もう7割がイコール票になるわけです。その票を当てにしている政治家たちも放っておけなくなるわけですよ。そうなった時にようやく国と大手団体と中小企業の三者が合同で国のルールを議論して、来年はこのルールでいこう、こういう法律作ろうというような時代が来るんじゃないかなと。

内田
そういうムーブメントを、負けずに。

緑川
負けずにめげずに、火を付けまくって。

内田
着火して回っていただきたいなという風に思いますよね。これからどんな会社にしていきたいか?

緑川
自由な会社であって欲しいと。時代が変わるのは当たり前なことで、時代が変わったときに変化を恐れずに、常に新しい知識とか新しいやり方をチャレンジして社会に貢献する。貢献の仕方も自由でいいと思うんですよ。技術を提供する、場合によってはお金を提供する、時間を提供するでも、何でもいいと思います。社会に貢献して「あ、ミナロね、知ってるよ」と、「頑張ってるね」とか「応援したいね」って言われるような会社になって欲しいなと思います。



tvkのYouTube公式チャンネルの「見逃し配信」では取材VTRも含め、インタビュー全篇をご覧いただけます。(視聴無料です)

2月12日放送
綾瀬の基板工場 中小企業・事業承継の現場

ゲスト
株式会社ワイ・ケー電子
    代表取締役 井上幸雄さん


綾瀬市にあるワイ・ケー電子はプリント基板の試作を中心に発展。現在は「チームラボ」のプロダクト開発にも関わるなど、技術力と営業力で新規顧客の開拓を進めている。2017年には新社屋「&VILLAGE」をオープン、地元のオープンなコミュニティスペースとして活用が広がっている。この新社屋の建設を進めたのは井上雄亮常務。創業者・井上幸雄社長は次世代の経営者にどのような思いでプロジェクトを「任せた」のか。中小企業・事業承継の現場から製造業の可能性を探る。



内田
井上社長が綾瀬にいらっしゃったきっかけというのは何だったのですか?

井上
私が就職したのが目黒区にある基盤屋さんで、そこで知り合った技術屋さんが綾瀬の方だったんです。そんなことで一緒に事業を始めました。

内田
そもそもおやりになっていたプリント基板というものは、会社が生まれて間もない頃から取り組んでいらしたと。当時はどんな感じだったのですか?

井上
もう、アナログで、にかわを使ったり。化学薬品で今はやっていますけども、当時はそんなじゃなかったですね。

内田
時代がどんどんデジタルという形になっていって、井上社長のご商売もどんどん拡大していって、コンペティター、競争がとても激しかったと思うんですよね。その中で、今生き残っている理由というのはどこにあると思いますか?

井上
技術的なこともあるのでしょうけれども、私どもは1人とか2人という、今言えばベンチャー企業の方々や、1人で開発をしている方とお付き合いをして、その方が努力されて大きくなるところまで見られれば、お付き合いできればいいなと。その人たちの少しでも手助けになれば良いかなという思いで、それで喜んでいただけるような製品作りをしたいと、あまり深く考えないでやってきました。

内田
お客さんを喜ばせる、成長させるということは、お客さんもどんどん進化していく、その進化を助けるということで、ご自身たちの会社の技術力、設計力が進化していかなければ喜ばせることできませんよね?

井上
そうですけども、限界がありますよね?今、素晴らしい装置がたくさんありますけども、そういうものに一つ一つ応えていたら、本当にやっていけなくなって潰れてしまいます。ですから、うちはうちなりの形でやれることだけをやる。やれないことは他のところにお願いをする。協力会社さんにもお願いする、という手法です。

内田
なるほど。競争力を、敢えて言うなら「ネットワーク」ですか?

井上
そうですね、はい。


日本経済の大きな課題としてあげられる事業承継。人手不足や高齢化を背景に倒産や廃業を選ぶ企業が増加している。技術や資産をいかに継承・発展させていくのか。ワイ・ケー電子はこの課題に「新社屋建設プロジェクト」で挑んだ。2017年に完成した「&VILLAGE」。プロジェクトの中心を担ったのは井上社長の息子である井上雄亮常務。プロジェクト完成までの道のりの中で、井上社長は何を思い、何を託したのか。


内田
多くの中小企業が後継者不足ということで廃業している。綾瀬の中でもたくさんありますよね?その中で息子さんがしっかりと、跡継ぎとして今会社に入っておられる。この跡継ぎ、後継者を育成するというところは非常に成功されていると思うのですけども、どうですか?

井上
自分から跡を継ぎたいということがあったので、「じゃあ」ということで渡しましたけども、非常にわがままで。最初の頃はここを立てるにしても、やっぱりありましたが、「彼の夢は私どもの夢でもある」という風に考えると、後押しをしてやっていかなければならないということが段々と。まあ折れたというか、そんな風になってきましたね。

内田
いろいろ揉めたと。揉めたところというのは具体的に言うと、どこでしたか?

井上
この地に根付いていくために、ちょっと広めの工場を建てたいということがあったわけです。ただ、「それでいいのか」と問われた時に、「そうじゃない」ということをいろいろな方たちから聞きまして。「これからを担う若い人たちの考え方に同調する勇気も必要」と言われて、最初は反対しましたけども、こんなのでいいのかなって思いましたけども、これからのことを考えたときに、こういうものも必要だろうと。社会貢献とビジネスということを考えたら、この両立が今後会社として、製造業として必要なのではなかろうかという風に感じました。

内田
息子さんである常務に任せるという決断をしたことについては良かったと?

井上
良かったと思っています。


2017年に完成した「&VILLAGE(アンドビレッジ)」のコンセプトは「技術・人・ワイン」をつなげるスペース。1階は誰もが利用できるマルチスペースに、オフィスは2階に設置した。部屋は間仕切りで調整可能。パーティーや地域の集会、スマホ教室、パン教室などに活用されている。


内田
井上常務は、ワイ・ケー電子に入られる前は全く違う業界、ホテルマンですよね?なぜ会社を継ごうと思ったのですか?

井上
子どもの頃から父の背中を見ていて、やはり父の代で終わらせたくない、その思いですね。製造業というのは全く興味もなかったし、学んだこともなかった。純粋にうちの父と母を、このワイ・ケー電子をまた次世代に繋げられるんじゃないかと思って、思い切って。

内田
お父様は驚かれたんじゃないですか?

井上
本心はうれしかったと思いますけど。ただ正直、うちの父は継がせたくなかったんですよ。この業界がこれから10年後、20年後どうなっていくのか、父も肌で感じていた部分で心配があって、それを息子に背負わせるというのは、非常にリスクがあると。

内田
なるほど。

井上
しっかり仕事もしていたので、「お前がこっちに来るということは、相当の覚悟がないと駄目だよ」と。やっぱり本当は継がせたくなかった。それは本心ですよね。

内田
決意をして会社に入ってきたそのワイ・ケー電子というものを改めて見て、これから経営を担っていく人間として、自分の会社のどこが強みだろうか、どんな風に見えましたか?

井上
製造業って日本のものづくりの文化の中で、これから多分、衰退していくことは間違いないと思うんですよね。私は逆にその文化を、その製造業を盛り上げたい。そのためにこの「&VILLAGE」を建てた。ここからイノベーションが、製造業でも格好いいことができるんだとか、若い子たちがこのワイ・ケー電子に入りたいとか、興味を持ってもらえることを、この綾瀬で何か発信できたら良いなという思いです。

内田
そういう思いを込めて完成して、非常に満足がいっている空間になった。お父様は出来上がったものを見てどんな感想をおっしゃったんですか?

井上
出来上がったら格好いいので喜んでもらえましたけども、それに至るまでのお金の部分だとか、その辺は戦いでしたね。

内田
戦い?

井上
戦いです。親子ですけども、本当に胃に穴が開くんじゃないかっていうぐらい。

内田
確かに「プリント基板の事業と何の関係があるんだ」となりますよね?「これはどう収益に貢献するんだ」、「その投資分はどう回収するんだ」という風に普通のケースだと考えます。それはどう戦ったのですか?

井上
目先の利益を追求することをやっていたら、この製造業、ワイ・ケー電子は多分駄目だと思ったんですね。やはり未来に賭けなくちゃ製造業、ワイ・ケー電子は生き残れないと私は踏んだので。ものづくりで、ただ良い設備、ただ良い人材を入れているだけでは難しいだろうと。何か新しい製造業、意識を変えるぐらいの何かを変えないと生き残れない。その中でこの建物が建って、いろいろな人たちとコラボレーションをして、提案をして、今まで知り得なかった、関わり合うことがなかった主婦の方とか子どもとか、いろいろな方々がここに来て、その恩恵じゃないですけど、仕事が繋がるような形にもなってきています。

内田
成果として実感しているところはありますか?

井上
少しずつですけど。


1981年に設立。自動車やカメラ、医療分野など、電子機器に使用されるプリント基板の製作を中心に発展してきたワイ・ケー電子。電子機器の小型化が進む中で、高度な配線技術やデザインが必要とされてきたプリント基板製作のノウハウ。狭いスペースの中に、緻密に計算された回路が描かれている。IoTなどの登場でますますニーズが高まる電子部品開発。「綾瀬の基盤工場」の挑戦と可能性とは。


内田
ある意味、会社の体制といいますか、文化を井上常務が作り、再構築しているという段階にあると思うのですけども、ここからプリント基盤というものを軸にしていくビジネスの中で、強みというか競争力というか、強化していく部分は?

井上
私が営業をやる中で本当に感じたことは、「人間力を高める」。もうそれ一本だと思っています。ものづくりで非常に技術があるとか、「うちはこういう強みがある」というのは多分海外、特に中国とかがですね、どんどん真似をするんですよね。

内田
すでにそこはキャッチアップされてきて、行き着くところまで来ている?

井上
だから、今だったらAIだとかIotがどんどん進む中で、どこにお客さんのニーズ、ビジネスチャンスがあるかというのを、常に情報収集をして、やっぱりお客さん、ベンチャーで頑張る、個人で頑張る、大企業でもそうですけども、特にベンチャーで頑張っている人たちとコミュニケーションをとって、輪が広がっていって、今非常に、ちょっと手が回らないぐらい仕事が来ているのですけども、順調に仕事が来ています。

内田
手が回らないぐらい仕事が増えている。それは会社としてはもう非常に良い状態ですか?

井上
はい。

内田
そういう様々なネットワークで新しいお客さんと繋がっていくという部分で組んだのが「チームラボ」。とにかく今、プロジェクションマッピングであるとか、非常に話題になっているクリエイティブ集団ですよね。そことの仕事も始めたと。そこではどんな貢献があるのですか?

井上
彼らは元々ソフトをメインとしている会社だったのですけども、ハードのものづくりを立ち上げて、もうかれこれ5~6年になりまして。ちょうど彼らがそのものづくりを立ち上げた時に、ワイ・ケー電子を見つけていただいたという。

内田
向こうから見つけて下さったんですか?

井上
そうなんです。それもネットで見つけていただいて。私もまだ30代の前半だったし、彼らもまだまだ若い20代前半だったので、意気投合したんですね。

内田
チームラボとの仕事というのは、これまでの仕事と全くやり方は違うんじゃないかと思うんですよ。

井上
全く違います。だから面白いところもあって、何か本当に雲のようなモヤモヤっとしたところからプロジェクトが始まって、モヤモヤを形に作っていくんですよね。そこをプリント基板に落とし込んで。

内田
彼らの様々な作品をお見受けしますけれども、それが遡って、プリント基板のところから始まるというのは、ちょっと想像しなかったというか。

井上
まあプリント基盤ってどんな装置にでも中に入っちゃいますからね。当然見えないところにあるので。

内田
見えないところで。

井上
そこの部分をワイ・ケー電子がお手伝いさせていただいて。

内田
そこの作り方の工夫であるとか、「これを実現するためにはこういうプリント基板じゃないと駄目ですよ」と。そんなことがわかるのですか?

井上
わかっちゃうんですね。

内田
そこがやはり強み?そういうものができるということが。設計図をもらって「はい、プリント、はい」っていう。

井上
じゃないですね。

内田
だけじゃない?そこはでも企業秘密だから言えない?

井上
はい、そういうことですね。



tvkのYouTube公式チャンネルの「見逃し配信」では取材VTRも含め、インタビュー全篇をご覧いただけます。(視聴無料です)

2月5日放送
発明をビジネスに変える思考法 キッチン便利グッズと知財戦略

ゲスト
株式会社レーベン販売
代表取締役社長 髙部篤さん

1951年 香川県出身
1951年 茨城県出身 茨城県立水戸工業高校卒業後、会社勤務をしながら東京デザイナー学院夜間部インテリアデザイン科・工芸工業デザイン科を卒業
1982年 株式会社レーベン設立
1989年 代表取締役 就任
2002年 生活用品販売部を分社・独立
     株式会社レーベン販売 代表取締役社長に就任


「知的財産活用企業」を特集。400万本売れた耳かきや130万本売れたピーラーなど、大ヒットを飛ばす「ののじ」シリーズ。開発しているのは横浜市に本社を置くレーベン販売。創業者の髙部篤社長は製品開発のほとんどを担ってきた。アイディア・発明をビジネスに結びつけるノウハウ。その裏側には特許や意匠をはじめとした「知的財産」の活用があった。キッチン用品やカトラリーなど、それまで当たり前だった道具、文化を変える挑戦。いかにして消費者に発信していったのか、そのプロセスに迫る。



内田
髙部社長は元々ソフトウェアの開発をされていて、今は食器具であるとか調理器具をお売りになっていらっしゃると。そのきっかけになったのが耳かきの大ヒットと?

髙部
元々プログラマと言いますか、ソフトウェアを作っていますと、考え事をして耳かきをしたくなるんですね。ある日「今日はない、やばい、やばい」と。それであちらこちら探していたら、たまたま銀の切れ端と言いますか、削って即、作っちゃったんです。

内田
その場で?

髙部
そうしましたら銀の優しさと言いますか、非常にかき心地が良かったものですから、「こんな良いものができちゃった」ということでホームページに載せたんです。それから「私も欲しい」という人がたくさん出てきまして、それで作ってみようかなということになったというのが始まりです。

内田
皆さん、これまでにあった耳かきでは満足していなかったということですかね?潜在的ニーズに思いっきりアクセスしたということですよね。

髙部
そうですね。

内田
今一番売れているのがピーラー?

髙部
ピーラーに関しましては、現在の主婦層の方も時短ということを考えますけど、その前にいろいろと数多くアイディアとして浮かびまして。それを便利に使っていただくことによって、今までできない、包丁でもできない、職人さんでもできないものができるということが受けていると思うんです。皮むき用以外のピーラーを作ったのはうちの文化みたいなものですね。それまでなかった。

内田
日本で多様なピーラーを作ったのはうちだと?

髙部
はい、そうです。

内田
今まではピーラーは皮むきです。そうじゃないんだというところでイノベーション、進化させたということですよね。でも敢えて聞きますけども、ピーラーで調理をするって時短で素晴らしく合理的ですけれども、一方でちょっと手抜きというか、主婦たるもの、女性たるものやはり包丁を使いこなせて一人前という、そういうプレッシャーもあるわけですよ、世の中には。

髙部
そうでしょうね。

内田
ピーラーを使って何かシャシャとやってしまうのはどこか後ろめたいという部分があるのですけども、今はどうですか?そういうユーザーの声というのはどんな感じですか?

髙部
包丁がないという家庭が、ハサミでチョッキンチョッキンと、葉野菜もハサミで切るとか、そういう家庭が増えているのも事実です。そこを逆に「ピーラーでやりましょう」という戻し方もあってもいいのかなという風にも考えますよね。やはり生のものをそのまま削って食べるというのが一番美味しく野菜を食べられるんじゃないかなという風に思います。

内田
「包丁を使うのは大変だからピーラーというものがあるよ、だから作ってみたらどうですか」という、そういう提案?

髙部
そうですね。包丁離れをしている主婦たちをまた家庭に戻して、家で美味しくと。手抜きをしているとは、きっと思わない時代になってきているのかなという風に思いますよね。今まで包丁が何本も家庭にあったものが、今度はピーラーが何種類かあって、今日はこれでこんな料理をしてみようというような流れになることを私は望んでおります。


多くのメーカーを悩ませてきたコピー商品、特に身近な生活関連商品は模倣されやすい。レーベン販売ではおよそ100件の特許を保有するなど、中小企業としてはまれな知財件数を誇っている。特許・意匠などの知的財産はオリジナル商品にどのように落とし込まれ、活用されているのか。アイディアをビジネスに結びつける思考法。開発主導型メーカーのノウハウに迫る。


内田
本当にピーラーが今すごく流行っているというか、これからどんどん使う方が増えてくるのかなと思うのですけども、そこで展開していくときに悩ましいのが類似品。折角良いものを作っても、自分たちの権利みたいなものが損なわれていってしまうということはよくある話ですが、ここはしっかり考えられていると?

髙部
ええ、知財に関しては非常に力を入れているところです。特に特許で押さえる、あとは意匠で押さえる。ですから今現在、意匠も700件取得しております。

内田
700件?

髙部
実際に「知財」といっても、本当に利用価値があるのかないのかは非常に難しいですよね。当初からそんなに用意していても、本当に損益分岐点のところが合うかどうかで、そこに至るまでにはかなり大変で、「特許貧乏」みたいになってしまうケースもありますので。それだけにやはり自分自身で、これは間違いなくいけるとか、そういう自覚を持ってお金をそこに投入してくという考え方をしないと。

内田
それは御社が成功してきた一つの大きなポイントだったと言えますか?

髙部
そうですね。どこでも作れると「安いもの競争」みたいになってしまいます。そういう意味で、自分のところで権利を持っていることによって、品質の高いものを維持して出し続けてくことができるというところが大きな特徴になると思いますので、知財の知識を身につけた方が良いと思います。例えば昔は街頭でモノマネの商品が置いてありましたけど、今は全然できない。それを売った人間は罰せられる。単に輸入しただけじゃなくて、売った人間もお店も、ということで、逆に言えば、特許が取れているとか意匠が取れているということは、どこに出してもセーフだということですよね。それを販売する側の人も、そういう権利があるということは安心して売れるというところがあると思います。

内田
発明をする、「これだ」という風に特許が取れるという、発明のポイントというか、どんな風にアイディアが降りてきて、「これだ」というところに結び付くのかという秘訣もちょっと聞いてみたいのですけども。

髙部
有名な雑誌社の方に説明したのですけども、その方は「皆さん良いもの作っています。おたくも良いけれど、皆さん良いものを作っています」と。何故、みんながたくさん作って、良いものを作っているのに、売れるものと売れないものが出るのかということをその時に気が付いたんです。結果的には「人に伝えきれていない」と言いますか、「表現できてない」と。だから表現できる、ちゃんと「ここがこういう風に良いんですよ」という表現ができるものだけを作る。折角良いものができても表現できなくて、それを買ってもらえなければ。そこが基準点ですね。

内田
「こういう風に伝えれば良い」「ここをきっと面白がってくれるだろう」という、お客さんの反応みたいなものがワッとイメージできるのですか?

髙部
そうです。ですからまずはパンフレットを作るんです。

内田
商品の前にパンフレットを作るんですか?

髙部
そうです。それでパンフレットを見せて、「みんなに伝わっているな」と思えばいいわけです。

内田
それで反応良いなというものから作る。面白いですね。

髙部
それも1点、2点、3点と。3点もあれば絶対大丈夫ですね。

内田
伝えること。伝えられなければ駄目?

髙部
まず伝えられるか。商品も伝えて初めての話ですから、伝えられるものを作るという考え方に徹していますね。

内田
徹しているんですね。ピーラーもそうですけど、あのしなり具合とか力の具合で「ああ、綺麗に剥ける」とか、「野菜ってこんなに美味しく食べられるんだ」という瑞々しさであるとかというのは、実際にやってもらえないとユーザーにはわからないじゃないですか。

髙部
それはあります。特許製品というのは、新規性があって進歩性がある。ですから今までないものです。それを伝えるのは非常にやっかいですよね。そういうことから、やはり実演というところが。

内田
やはり実演ですか。出ていって、使ってみる。これはもう変わらないわけですね。

髙部
それとPVを作るとか、そういうものを店で流すとか、そういうことをやるしかないのですが、もう一つにはパッケージをもっと分かりやすくするというところですね。ピーラーだったら、そこからベローンと出ているような、そういうデザイン的にもっとリアル感を出してとか、そういうことに気を付けています。やはり手に取る前に面白いなって思わないといけない。品物によって、これはどこを強調したいとか。それでパッケージ代も結構かかっているんです。

内田
そこはやはりお金をかけるところなんですね?

髙部
そうなんです。ですから皆さんに分かってしまえば、もっとパッケージを落としてもいいのかもしれませんけど、最初はしっかりパッケージで。

内田
いっぱい説明して、ビジュアルも付けると。

髙部
「糸そーめん削り」はここにパラパラというものがこう出ている。


昨年には「ののじ」ブランドの販売を担う部門を「ののじ」株式会社として分社化。現在「知財の見える化」に注力しているという。自社で保有する知的財産のノウハウを商品開発だけに活用するのではなく、販促や広報などにも展開していくという。特許庁の知財功労賞や横浜知財みらい企業を受賞してきたレーベン販売。高部社長が見据える今後の展開とは


髙部
レーベン販売では、いかにものの便利さとか、ものの本来あるべき姿は何なのかということを追求して作っている会社でございまして、「ののじ」の販売体制としましては、それをちゃんと翻訳してターゲットとなる主婦、ママさんに伝えることが大事です。例えばこのカボチャ切りの包丁とかですと、元々は堅いものが切りやすい、グリップが普通より太い包丁というのがコンセプトで作っておりましたけども、ベネフィットとして伝わり難かったので、「主婦のお困りごとは何なのか」といった時、カボチャがうまく切れない、刺さったまま切れないというような方が多かった。そこのベネフィットを伝えるような商品に設計して、ターゲットとしていた主婦の人にご購入いただけたというような例がございます

内田
お話をお伺いしていますと、本当に「カリスマ経営者」という、そういう存在だと思うんですよ。それはやはり会社が最初に大きくなっていくときには必要ですよね。ただ、更に広がりを持って会社が成長していく、展開していく時には、ある意味その「カリスマ経営者」というものが足枷になる場合もあるわけです。そういう意味で、社員の方たちがこれからどう成長していくかというところは課題なんじゃないかなと思うのですけど、いかがでしょうか?

髙部
おっしゃる通りだと思います。ある規模になると、やはりそれ以上は「カリスマ」ではいかない。実際、開発と販売を昨年の6月から分けて、会社を別々にしました。要するに自主性をもっと高めていかないと、これ以上ここから伸ばしていくにはなかなか難しいと思いますので。

内田
「知財の見える化プロジェクト」という、社内で知財をいかにプレゼンテーションするかということをやった。

髙部
初めての試み、これは横浜市だけじゃなくて、全国的にも珍しいケースじゃないかという評価は得ています。

内田
そうですね、初めて聞きました。更にここから社員育成という部分であるとか、会社の更なる展開という部分でどんな戦略をお持ちですか?

髙部
開発に関しては、今までもどちらかと言うと、意外に気まぐれで作っているみたいに、今はあっちこっちと統一性があまりないんです。今後もこれは面白そうだなとか、これはこういうアイディア出せそうだなというものにいろいろチャレンジしてくことには変わりはないと思います。

内田
やっぱり発想が自由なんですね。何か作りたい、何か作って、特許を取っていくと?

髙部
記憶の中には、過去と現在と未来の記憶があるんですけど、過去にずっと囚われている人というのは後悔が多いと言っていましたね。現在に囚われている人は忙しい。未来は?と言うと記憶がない。実は特許とかは未来を見るものですよね。今ないものを考えているんですから。それで、未来を考えている人はワクワクして生きている人、ということを教わりました。「私はワクワクなんだ」という風に思っています。

内田
それが会社の文化にもなっている?

髙部
そういう風になっていたら良いなという風に思います。これからの未来の新しいものを、「何かこんなものができたら」とだけ考えていれば、ずっとみんな楽しく生きられるんじゃないか、という風に教わったので、それを実践していければという風に思っています。



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