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神奈川ビジネスUp To Date

神奈川ビジネスUp To Date

神奈川ビジネスUp To Date

9月25日放送分
3Dプリンタで挑む ものづくりの革新

ゲスト
株式会社コイワイ
代表取締役 小岩井豊己さん

1953年 長野県出身
1975年 有限会社小岩井鋳造所 入社
1983年 株式会社コイワイ 社長 就任
1995年 「3Dものづくり」開始
2012年 KOIWAI INDIA Pvt.Ltd. 代表取締役 就任
2016年 株式会社青木製作所 代表取締役会長 就任


小田原市の「コイワイ」を特集。長年鋳造技術でターボチャージャー、エンジンなどの精密部品を生み出してきたコイワイ。これまでにない造形を可能にした3Dプリンタを日本でもいち早く導入、革新的なものづくりで精密部品の試作を中心に事業を展開している。大きな先行投資を決断した小岩井豊己社長。国家プロジェクトへの参画も果たす中、コイワイが描くものづくりの未来を伺います。


内田
3Dプリンタが今、非常に話題になっているのですけれども、コイワイさんはそれを先駆けて取り入れてきた。この3Dプリンタの革新性というのはどこにあるのですか?

小岩井
従来の「ものづくり」の現場では、紙の図面を元にして「匠の技」を駆使してものづくりがされていました。1980年代になりますと「3Dデータ」と称しまして、コンピュータの中で設計データを作るようになりました。その3Dのデータ、立体データをものづくりの現場で具現化するには、そのまま一体造形というのはなかなか難しいものですから、いくつかのパーツに分けて、加工して組み付けるといったような工法が取り入れられていました。

内田
一回3Dで設計図を作り、それをバラバラにして組み合わせていくという?

小岩井
組み合わせざるを得なかった。それは残念ながら、金属を加工するいくつかの工法、例えば鋳造ですとか鍛造、プレス、あるいは切削加工といった工法を組み合わせないと、その3Dのデータで作られた一体のものというものは、なかなか作ることが難しかったわけです。そこを3Dプリンタが登場することによって、データさえできていれば、確実なデータができていれば、そのままの生のデータでものづくりができるようになったということです。

内田
ここに用意してある、この手鞠のような、こういうものは以前のものづくりではできなかったわけですね。

小岩井
そうですね。金属の粉末を電子ビームの熱を使って溶かして焼き付けるという技術で立体を作っていますので、3Dのデータでこの設計ができれば、装置の中でこの形状を造形することができます。

内田
すごい。

小岩井
私どもも初めてこの技術を見たときには、本当に目を疑いました。

内田
大変な、鋳造の世界でのイノベーション?

小岩井
そうですね、順序としては弊社の場合、砂型の導入があって、その後にこの金属に行き着くわけなのですが、砂型から金属というのはまさしくイノベーション以外の何物でもないと思います。

内田
ある意味、「超・鋳造」というか、それを超えていく、全く新しいものづくりの技術。

小岩井
ええ、まさしく言葉の通りだと思います。

内田
世の中のニーズとして、3Dプリンタで作られた部品がどういうところで使われているのか、どういうニーズがあるのかという、リアリティーのあるお話を聞きたいのですけども。

小岩井
鋳造の分野では木型ですとか金型といったような、金属を流し込む為のマスターの型が必要でした。事例としては、1500ccぐらいの小型車の自動車のエンジンで、一番中核となるエンジンのブロック、その鋳物製品を作る場合には従来は木型を作るだけで約1ヶ月。

内田
そんなにかかっていたんですか?

小岩井
自動車のエンジンというのは非常に複雑な構造をしておりまして、鋳物の分野でも難易度が高い部品の一つです。鋳造業界が、実は悲しいことに技術者の高齢化と、技術の継承がなかなか成し得ないという状況にありまして、木型も全く同様でした。したがって複雑になればなるほど工期がかかっていってしまって、お客様のニーズと相反するところがあったわけです。

内田
世の中スピード化で、早く納品してほしいというニーズがどんどん高まっているのに、複雑になればなるほど時間がかかるという、本当に真逆な現象が製造現場では起こっている。それを解決するのが3Dプリンタだと。

小岩井
これが全てのものに置き換わるということは、これからもないと思うのですが、私どものようなものづくりの現場では3Dプリンタが解決の一つの方法だったと思っています。


日本でも先進的な取り組みを行うコイワイ。3Dプリンタの導入により熟練エンジニアの経験・ノウハウと若手の感覚を融合させ、従来からの強みである砂型の技術を進化。次々と技術革新をもたらしています。しかし、3Dプリンタ1台あたりの価格は数千万〜数億とも言われる中、その導入には大きな経営判断があったといいます。


内田
コイワイさんの製造現場、工場を見させていただいて、非常に多様な3Dプリンタをかなり早い段階から購入したということで、経営の決断があったのだろうと思ったのですけれども、何故3Dプリンタを導入しようと思ったのですか?

小岩井
弊社は創業以来、主に自動車業界の試作、あるいは研究開発分野のものづくりをしてきました。その中でやはり3D-CADの登場というもので、私たちのものづくりを非常に、私たちが自ら変わらざるを得なくなってしまったということだと思います。

内田
まずCADが生まれて、その3Dの設計図というものができた。それをそのまま形にしてくれるだろうという風にメーカー側は考えるわけですよね。でも、そんなものを出されても作れない?

小岩井
まさしくその言葉通りですね。

内田
それで、「3Dには3Dを」と。

小岩井
そこまで単純にはいかなかったのですが。大変失礼な物言いかもしれませんが、お客様の、3Dで設計される方々というのは、非常に若い方々が携わっていらっしゃる場合が多くて、お客様もおそらくデザイン部門で「技術の伝承」がされていないんじゃないのかなという勝手な思いがあるんですね。そのために3Dが登場して、技術者の方々が従来の技術というものを踏襲しなくても複雑なものが作れるようになってしまった。複雑なものを作る際に、経験あるいは技術が高い方は、例えば鋳造という分野では、「この形は鋳造では無理だよな」という発想から、そこをモニファイして、鋳物屋さんが作りやすいようなデータあるいは図面を出してくださっていたのですね。ところが近年は経験がないといったら失礼ですが、経験の浅い方々が3Dデータで。

内田
勝手に作ってしまう?

小岩井
非常に複雑なものが作れてしまう。それで、「この通り作りなさい」ということになりますと、ものづくりの現場では、単純に匠の技を利用しただけではものづくりができないといった状況に陥っていました。さらにはそこに開発スピードを高める、鋳物の品質というものも最高レベルのものを求められるといったような状況が。

内田
非現実的な設計図を作って、こう作ってほしいという注文が来ると、「いや、これできないですよ」と返すわけですけども、そこで何とかそれを作りたいと、実現したいという、ある意味根性といいますか、負けず嫌いな部分が小岩井社長にあったという風に何となく想像するのですけど。

小岩井
それは私でなくて、この事業を始めた先代だと思うのですが、何事にも固定観念にとらわれずに、お客様の期待に応えよう、あるいは一歩先に行こうと。

内田
先進的というか、マーケットインの発想ですね。それだからこそ、新しい3Dプリンタが世の中に出てきたときに「やってみよう」と。

小岩井
そうですね。

内田
本当にお客さんの求めているものは何かというと、やはり単純な単価ではない、とにかく「早く欲しい」というところと、もっとトータルでものづくりのコストを考えているという、時代も変わってきたというところも追い風になっている。御社で今、試作品というのは年間でどのぐらい受注しているのですか?

小岩井
昨年実績で言いますと、年間650種類くらい。点数で言いますと、1万点以上の試作品を作っています。

内田
それだけ作れるのですか?

小岩井
現在導入している装置が、主に動いているのが、砂型では4台の装置が動いています。金属においても4台の装置が動くということで。

内田
合計8台がずっと動きっぱなし。機械は24時間動いてくれる。

小岩井
幸いにも。

内田
これまでの伝統的な鋳造業というものは日本のものづくりを支えてきたわけですけども、この先どうなっていくと、どんな風に変化していくという風に小岩井さんはお考えになっていますか?

小岩井
これからも、ものづくりの底辺を支えるといいましょうか、素材産業として鋳造業というのは確実にこの地位を守っていきますし、ただそれだけでは終わらないと。鋳造から発展した、例えば金属粉末の積層工法もそうですけども、従来、鋳造というのは3Kの代表のように言われていまして、若い方々が好んで就職しようという、進もうという職種ではなかったと思うのですね。

内田
熱く溶けた金属をワーッと流し込んで、火花が散って危ない、熱い、そういう職場ですよね、イメージするのは。

小岩井
ですからその3Dプリンタの登場によって、今、お言葉にあったような内容というものは、装置の中で完結しますので、場合によれば、みなとみらいのオフィスビルの中に装置を置けば鋳造工程がそこでできてしまう。お客様のより近いところで開発のお手伝いができるという風に思っています


現在、3Dプリンタの生産はドイツなどの海外が中心。そうした状況を打破するべく、日本で今、大きなプロジェクトが動いています。少量多品種、高付加価値の製品・部品の製造に適した世界最高水準の次世代型産業用3Dプリンタと、超精密三次元造形システムの構築を目指す「TRAFAMトラファム」。コイワイは経済産業省が主導するこのプロジェクトに参画、新たなものづくり産業創出の実現に向けて活動しています。


内田
「3Dプリンタ」がこれからますます伸びてくるというのはわかるのですけど、御社で拝見させていただいた機械も、ヨーロッパのドイツ製が中心ということで、日本は非常に立ち遅れている。これはどうしてこうなったのでしょうか?

小岩井
一番大きな要因として私どもが思うのは、この技術を強力に推し進める大企業さんというのが日本にないということだと思うのですね。欧米ではこの技術を使って、特に航空宇宙関連で積極的な投資が行なわれています。数千億円という単位で行なわれていますので、ここの差というのは残念ながら縮めることは難しいのかなという風に思っています。

内田
何故、日本では3Dプリンタに投資をしようという機運が起こらなかったのでしょうか?

小岩井
あるドイツの企業さんと比べたときに思ったのですけど、同じ鋳造業で、自社のものの方が非常に高性能と言いましょうか、高精度のものができているのですね。でも彼らは、例えばその鋳物の形が少し崩れていたり、あるいは切削加工をした面に小さな欠陥があっても、全く意に介さないというか、「機能を満たしていればいい」と言われるのですね。日本ではよくいわれる「職人技」で、おそらく3Dプリンタがなくてもお客様の要求に応えることができていたのだろうという風に思います。

内田
3Dプリンタはドイツ製が主でということで、欧米が進んでいる。ここで「日本製がない」ということの危機感が国にもあって、プロジェクトが動き始めているということですね。

小岩井
2012、3年ぐらいから、国の方でも欧米の情勢を見ながら危機感を持ってくださったと思うのですね。私たちがこんな高い装置を、あるいは材料を買わざるを得ない、さらにそこから発生するいろいろな問題点について、国内では解消できないので結果的にその装置メーカーに問い合わせをする。「こうしたものを作ろうとしてうまくできないのだけど、どうしたらいいだろう」という相談をするということは、それイコール私たちが作ろうとしているものの技術が流出している。

内田
それは危機的な状況ですね。やはり日本製の3Dプリンタを持たなければ駄目だし、その材料、金属の粉末、そういうものも輸入し続けなければいけないという意味においては、どんどんコストが上がってきてしまう。

小岩井
ものづくりをすればするほど、欧米に日本の稼いだお金が出ていってしまう。

内田
それは駄目、ということで立ち上がったのが「トラファムプロジェクト」ということで、現状はどうなっていますか?

小岩井
5年間の計画の中で順調に進んでいます。その中間期といいましょうか、研究段階で、金属粉末あるいは砂型積層装置も、現在市場に出ている欧米のものに匹敵する機能、性能を持ったものができています。

内田
ここ数年であっという間にキャッチアップできている。

小岩井
まさしく日本の技術だという風に、製造業の端っこにいる者でも非常に誇りに感じる部分ですね。

内田
大企業が連なる中で、コイワイさんが入ったというのは、やはり先駆者として認められたというか、「評価の証」ですね。

小岩井
本当にありがたく思っていますし、実はそれだけ苦労してきたのですけど。

内田
リスクを取った?

小岩井
取りましたね。

内田
そこで今、国家プロジェクトの中に「あなたたちが必要」ということで参画していることは、達成感というか。

小岩井
そうですね。ただ達成感というか、これはゴールじゃないわけですから。実際にこれから世の中に国産機が登場する、さらにそこに海外勢も参入してくるでしょうし、それを上回るような、性能を高めたものを登場させるでしょうし。そういう中で、3Dプリンタというものづくりが、より活性化していくのが私の夢ですね。

内田
技術がこれから更に伸びていくという意味では、注目したいと思うのですけれども、今後、コイワイさんとしては、どんな会社にしていきたいと思いますか?

小岩井
事業規模の拡大ということを狙っているわけではないので、まず鋳造というこの技術を、私どもの理念にもありますが、新しい技術を取り入れて次の世代にしっかり伝えていくということをしなければいけませんし、その中で私どもが新たに取り組んだこの「3D」というものづくりが、日本のものづくりの中で、「こんな分野が一つできた」と、そういった位置づけになればいいなと思っています。ただ、国内市場だけを考えれば、残念ながらこの分野がどんどん拡大していくというのは難しい。私たちの技術が必要とされる場所があるのであれば、そういった国に自分たちから、自ら出て行って、そしてその技術を評価していただいて、それが私たちの企業の継続発展になれば、という風に思っています。



tvkのYouTube公式チャンネルの「見逃し配信」では取材VTRも含め、インタビュー全篇をご覧いただけます。(視聴無料です)

9月18日放送分
不毛の地で農業を実現 フィルム農法で描く未来

ゲスト
メビオール株式会社
代表取締役社長 森有一さん

1942年 東京都出身
1965年 早稲田大学理工学部応用物理学科 卒業、東レ 入社
1987年 テルモ 入社
1989年 米国W.R.Grace 入社
1995年 メビオール株式会社設立 代表取締役社長就任
1996年 早稲田大学客員教授 就任


平塚市のメビオールを特集。土を使わずに植物を栽培できる特殊フィルム「アイメック」を開発。ハイドロゲル技術を使い、農作物に必要な水分・養分だけを保持できるという。ドバイの砂漠や東日本大震災の被災地でも甘く付加価値の高いトマトの収穫に成功、医療分野の研究者から農業ベンチャーを起業した森有一社長は「黒字化したのはここ3年ほど」と語ります。


内田
本当に不思議ですね。このフィルムを使うと植物が育つという仕組みですけども、どういうことなんですか?  


「ハイドロゲル」という素材でできていまして、オムツのゲルと非常に近いんですけども、下に湿った布を置きまして、その上にこのフィルムを置きますと、オムツのゲルといっしょで水と肥料を吸い込みます。ただし、植物側には全く水も肥料も出さないんです。カラカラなんです

内田
本当ですね。全く水分を感じませんね。


植物はこのフィルムの中に水と肥料が入っていることわかるのです。それで一生懸命吸おうと思います。ですから落っこちません。根がこのフィルムの表面にくっついているんです。

内田
張り付いていますね。


張り付いている。中の水と肥料をとるために必死になってへばりついているんです。

内田
必死な姿なわけですね。しがみついている感じ。


必死な姿です。しがみついているんです。これが葉ものですけど、これも同じように根が見えますよね。真っ白なものすごく細い根がたくさん出ています。普通の水の中でやりますと太い根が1本か2本ですけど、めちゃくちゃ細い。

内田
確かに、一般的な水栽培というようなものだと、根っこがひゅうひゅうと伸びている感じですけど。


あれは吸いやすいから、あまり根っこの表面を増やす必要がないんです。こいつは吸いにくいので、表面積を増やすためにこういう細い根を張る。それと同時に、例えばトマトですと、糖分をたくさん使うと甘くなる。これですとビタミンが増えます。なぜかと言いますと、浸透圧をうまく利用して水をとろうとしているのです。糖分がたくさんできますと植物の細胞の中の浸透圧が上がる。そうすると水は浸透圧の低いところから高いところへ流れる。それで「ハイドロゲル」のフィルムの中より、トマトあるいは野菜の根の中の細胞の浸透圧の方が高いとみんなそうやって吸い込める。ですから、表面積をむちゃくちゃ増やしてピタッとくっつくと同時に、トマトは自分で甘くして浸透圧を上げて効率的に吸う。

内田
苦しい、お水がもっと欲しい、という状況ですね?


おっしゃる通り、苦痛であることは間違いないと思います。そうしますと、これは想像ですけども、彼らは自分の子孫はもっと暮らしやすいところに暮らさせてやりたい。こういう厳しい環境じゃない。

内田
ここでは発展は難しい、という風に植物が考えるであろうと?


そうするとどうするかというと、花を開くのです。早く付ける。これはヒマワリですけど、こんなに小さくてもつぼみがあります。

内田
そうですね。ヒマワリはもっと背が高くなってから花を開くものですから。


ところがこういう厳しい環境では早く花が開く。そうすると実がなる。実を早く作って鳥とか動物に食べさせて、移動したいという。自分が動けないものだから、昆虫とかそういう動物をうまく使っているのですね。あるいはおいしくする。

内田
おそらく植物も考えていると。


推測ですけどね。ただ私ももう10何年間これをやっているから、だいぶ植物の気持ちもわかるようになってきまして。


東レやテルモなどで先端医療に関わる研究に従事した後、55歳でメビオールを設立。独自のフィルム農法を生み出した技術力。森社長の研究キャリアとベンチャー経営のプロセスを伺いました。


内田
この「アイメック」の発明、ここに至るまでの森さんの研究者としてのキャリアに、非常に興味があるのですけれども。


早稲田大学の応用物理というところ卒業して、大学ではこういった高分子・プラスチック素材の研究開発をずっとやってきまして。最初に東レに入り、メディカルプラスチックを使った人工臓器の研究開発をずっと。

内田
人工臓器、人工血管というものの研究をされてきた。


その頃というのは「プラスチック最盛期」。ありとあらゆる天然のものが全部プラスチックに替わってしまった時代です。私は人工腎臓とか人工心臓、人工血管をプラスチックで作っていたわけで、ものすごい大量のブラスチックが使われた結果、石油製品ですから石油を加工して、すごい炭酸ガスも出るし、地球環境の破壊。それを軽減するのは植物しかない。例えば炭酸ガスを吸ってくれますよね。それから土とか水が無くて食料が無くなってくる。植物は食料そのものじゃないですか。それで、今まで人間に使ってきた技術で、高品質の植物を、土がなくてもで、水がなくても育てるような技術をやりたい。それからメディカルの研究というのはお金がものすごくいる。これは大企業にしかできない。植物を育てるって農業じゃないですか。農業の研究ってお金がほとんどかからない。ベンチャーにはピッタリなんです。研究費はおそらく数百分の一です。

内田
そのベンチャーを立ち上げてから、この「アイメック」を携えて仕事をして今年で22年が経ちました。今の会社の業績といいますか、成長をどう評価されますか?


農業の開発はやはり時間かかりますね、生き物なので。17~18年間は赤字続きでした。ただ、研究開発費がかからないので、何とか倒産せずにやってきました。今トマト、150区くらいの生産者がいるのですけども、大体面積で10万坪ぐらいに広がっています。最初はこれを持って、7~8年前ですけども、農家さんのところ行って、「これでトマト作って」、「こんなもんでトマト作れる?」と。

内田
そうだと思いますよ。皆さん、普通に土に、露地栽培で、トマトをおいしく作っている中で、「いや、これを敷けばいいんだ」と言われても、「一体何を言っているのだろう?」と思われますよね。


それで、ある程度好奇心の強い農家さんから始まって、そのトマトが有名なデパートのデパ地下なんかで売れるようになりましたら、口コミというのですかね、評判が良くなって、この3年ぐらいで急激に。

内田
ようやくビジネスとして成立してきたと。よく粘りましたね。


そうですね。やはり農業というのは非常に保守的ですよね。

内田
日本の農業は農協が仕切っていて、フィルムを敷いてトマトを育てるという、自由な発想というのが今まではなかなかなかったのではないか。ちょっと規格外な感じですものね。


規格外ですし、保証ができないですから。

内田
その中でずっと売り込んでこられたのですね?


実は途中から、これは農家向けの仕事ではないと。

内田
既存の農家ではニーズが無いと?


やはり、非農家さん、製造業ですとか、建設業とか。

内田
新規参入するということですね。


そうです。農業に新規参入したいというような、非農業の企業さん。そういうところに売り込みを始めたのですね。

内田
農業というものが今、改めて注目を集めています。新規参入というような形で規制も緩和されてきたというタイミング。ここでいよいよ本格的に攻めていこうと。


とはいえ、日本というのはやはり農業国で土も水が良い。

内田
恵まれている環境ということ?


うまく土をきちっと作って、水をきちっとコントロールすれば、美味しいトマトが出来るという、そういう技術もあるので、私は農業の無いところ、例えば土壌がすごく汚れて安全なものが作りにくいようなところ、例えば中国とか、それから究極は砂漠ですよね。


土壌汚染が危惧される中国・上海で安全性・おいしさをうたった「アイメック」のトマトが生産され大好評。さらに、ドバイの砂漠で生産したトマトは、甘さ、収穫量共に日本のものを上回ったと言います。不毛の地とされる砂漠ですが、実は、晴天率や光量に優れていて、植物生産地としての期待が高まっていると話す森社長。次世代のフィルム農法で目指す、未来の姿とは。



今上海で2万坪ぐらいやっていて、良いトマトができています。「豊洲状態」で、土がどうなのかわからないようなところですけども、皆さん農場まで来て買いに来る。

内田
特に富裕層は自分たちのところのものを信用していなくて、良いものをちゃんと確認してくる。


ですから農場で直接見て、インスペクションする。「本当に土を使っていない!」と。

内田
本当にこういう状態になっているのを見に来るわけですね。それでトマトが育っている。それを確認して買っていくわけですか?


買っていくわけです。それで美味しい。ですから日本より数倍の早さで広がっています。

内田
こういうフルーツトマトみたいなトマトというのは、それまで中国にはなかった?


日本にしかなかったのです。ただトマトマーケットは、日本は年間70万トンです。中国は5000万トンで70倍。トマトというのは、やはり世界的な産業ですね。

内田
更にそこに美味しいトマトを投入すれば人気が出るという可能性がある?


フルーツトマトというのは、日本の原産、言ってみれば寿司、あるいは和牛みたいなものです。寿司というのは世界に全くないものでもあれだけ今広がっていますよね。それから和牛、牛なんて向こうの方がたくさんいるのに今和牛がすごいブームですよね。トマトというのは世界にたくさんあるけど、フルーツトマトというのは無いので、私は和牛、寿司、日本の誇るべき「フルーツトマト」だと。

内田
面白いですね。


もっとチャレンジなのは砂漠でできなかということで、ドバイから車で1時間ぐらいのアルアインという砂漠の真ん中で、実は数年前から始めているのです。そこでトマトを作ると、ドバイのトマトの方が甘くて、量が獲れます。

内田
日本と同じシステムをドバイの砂漠の真ん中に作った。そうしたら過酷な環境なのに、たくさんできたのですね?


たくさんできるのと甘くなる。常に晴れているからなんです。だから植物に、この「アイメック」といえ、フィルム栽培といえ、やはり太陽光というのはものすごく大事なんですね。

内田
太陽の光を与えておくと、すくすくと。


すくすく伸びて、品質も高まる、栄養価も高まるんです。

内田
ただ砂漠にはお水がないから植物はできない。


水、土もないからできない。砂ですから。ただ砂漠の下に大量の石油があるということは、かつて太古の時代は、植物が繁茂していたわけです。実は「アイメック」も原料が石油。ですから原料は太古の植物です。それがこの未来の植物を育てているわけです。

内田
ちょっとロマンティックですね。


非常にロマンティックですけど、イスラム教の教えにあるらしいのです。「砂漠はいつか緑になる」。向こうの人がこれを見て「アラーが仰っていたのはこれか!」と言われたのは非常に、彼らはこの技術に対してアフィニティーを感じてくれました。

内田
農業が全くできないようなところで農業がやれる可能性がこのフィルムにあるということはすごいことだと思うのです。このフィルムがどんどん広がっていくために課題があるとしたら、何を克服していかなければなりませんか?


私どもは9人というベンチャー企業です。パテントは幸い、全世界130カ国ぐらいになっています。

内田
全部特許を取っていると。


取っています。ただ、やはり農業というのは腕力が必要なのです。パテントとか、頭脳とか、研究開発では駄目なのです。我々ベンチャーというのはそれがないわけです。パテントはある、そういう研究開発能力はあるのだけども、これを世界に広めていくためには、大きな企業さんといっしょに組まなければいけない。いくつかの大きな企業さんも今までは、こういう技術は嘘だろうというような話だったのですけども、国内でも認知ができてきて、日本から社会に貢献するような事業、実際には貧しい人たち、困っている人たちがこの技術で食べていけるようになるとこまでやらないと、あまり意味がない。そういうところへ、将来持っていきたいというのが私どもの夢です。



tvkのYouTube公式チャンネルの「見逃し配信」では取材VTRも含め、インタビュー全篇をご覧いただけます。(視聴無料です)

9月11日放送分
障がい者雇用のリアル チョーク製造で描く未来

ゲスト
日本理化学工業株式会社
代表取締役社長 大山隆久さん

1968年 東京都出身 大学卒業後、広告会社に勤務 アメリカの大学院へ留学
1993年 日本理化学工業 入社
2008年 代表取締役社長就任


川崎市の「日本理化学工業」を特集。創業から80年に渡りチョーク製造を続け、国内トップシェアを誇る同社。その製造現場を支えているのは、知的障がいのある社員。全83名のうち、障がい者雇用率は70%以上を実現している。大山隆久社長に、新たな商品展開と、50年以上継続している障がい者雇用のリアルな現場を伺います。


内田
御社の製造現場を担っているのは知的障がい者の方たちで、83名の社員の内の63名。これはかなりの率ですね。

大山
そうですね。うちは製造業ですから、ものづくりの現場は全て彼らが担ってくれています。

内田
長くお勤めの方というのは、どのくらいお勤めなんですか?

大山
60歳まで勤めてくださった方は10人を越えていますし、10何人いるんだろう?というぐらいです。

内田
やはり長く勤めていただくというのは、なかなか大変だと思うのですが、例えばどんな工夫があるのですか?

大山
一番大事にしていることは、障がいのある、なしは関係ないと思いますけど、「相手の理解力に合わせて伝えるとか段取りをする」ということ。伝わらなかったら、その先にはなかなかいけないと思うので、そこをどう伝えていけるかというのを、人に合わせて考えるということを大事にしています。

内田
今回、事前に取材に行かせていただき、彼らが非常にテキパキと決められたことをしっかりやるという、そういう力を持っているというのを目の当たりにしたのですけども、やはり雇用側がやることをしっかりと明確にして、しっかり教えていくという、ある意味生かすも殺すも雇用側次第というところが大きいのでしょうね。

大山
うちのような小さな会社は雇用に余裕があるわけではないので、1人採用したら、その人が一人前になって働いてくれることが力になっていくので、必死に伝えるし、その人にどうやったら伝わる、わかってくれるだろうということ。その人がやってくれないと回らないわけですから、そういう切羽詰まった感はあるので、それを長く続けてきた結果、良い形につながった部分も大きくあると思います。

内田
本当の意味での戦力として彼らを雇用しているから、やってもらわないと困ると。それで、しっかりと教えていくという、ある意味切羽詰り感が互いを真剣にさせるというところですか?

大山
まさにその通りだと思います

内田
そういう意味ではしっかりと個性を見極めてもらえて、大切にしてもらえている職場だと思うのですけど、今彼らが貰っている月給といいますか、お給料というのはどれぐらいになるのですか?

大山
神奈川県の最低賃金というのが今930円ということですので、大体7時間40分で20日から22日ぐらいは1ヶ月働くと思うのですが、そうすると、14万から15万円のレンジぐらいになると思います。あとは役職とか賞とかというのは、また別の話ですけど。

内田
そこに手当てとか、ボーナスであるとか、そういうものがONされていくということですか?

大山
まあ、多くはないですが、はい。

内田
しっかりと仕事を覚え、役職も付き、という風になってくると、「もうちょっと自分が働いて認められたい」とか、「お給料をもうちょっと増やしたい」というような、モチベーションといいますか、欲求というものは出てくるのですか?

大山
全ての人ではないと思います。お金に対してあまり興味がない人もいたりしますので。ただやはり「次のボーナスが入ったらこういうのを買いたい」とか、普通にいろいろな会話の中で聞く話ですし。

内田
そういう意味で言うと、本当に素直に楽しく仕事をやっている姿というのがあって、健常者とそんなに変わりがないというか、そういう風にも見えましたね。

大山
変わることは一つもないと思いますし、逆に純粋さとか、シンプルにやってくれる分、僕なんかより、僕なんか余計なことばかり考えていますから、本当に学ぶところが多いんじゃないかなって思うこともあります。

内田
一緒にやっていくことによって、彼らは間違いなく戦力になっていく。

大山
だからこそ、こうやって続けていけています

内田
63人もいらっしゃるということは、その証なのだろうと思うのですけども、チョークをみんなで作っているという意味でいうと、残念ながらチョークという物自体に、これから需要がどんどん増えていく、というようなところは、なかなか見出しにくい。

大山
まさに30年ぐらい前から、少子化というのは始まってきていて、ちょうどそれぐらいからホワイトボードが登場してきて、そうすると黒板からホワイトボードに代わり、少子化がどんどん進めば学校が減り、教室が減れば黒を使うシーンもどんどん減りますし、もうプロジェクターだ、最近では電子黒板とか、本当に書かないのですね。だから年々、ペースはありますけれども減っていくしかない市場なものですから、もう斜陽産業の筆頭のような商品だと思っています

内田
大山社長がこの会社に就任したとき、もっとチャレンジをしなければ駄目なんじゃないかと思った?

大山
メインのチョークが「減っていく市場」だということは誰が見てもわかっていた話ですから、そこだけに集中するのではなくて、という意味で新しいチャレンジですね。


日本理化学工業が注力する新しい筆記具「キットパス」。ホワイトボードやガラス、プラスチックなど、つるつるしたところにもしっかりと描ける上、濡れた布などで簡単に消すことができます。さらにお風呂用、ボディペインティング用も開発するなど、「書く・消す」という機能のバリエーションを広げています。また、「インストラクター制度」を設けて、全国に1,500人以上の認定インストラクターがワークショップなどを展開。キットパス普及に向けて活動しています。


内田
「キットパス」、非常にユニークな筆記用具ですね。

大山
ガラスとかツルツルしたところに書いて消せる固形のマーカーと言うんですかね。水溶性なものですから、水で溶くと絵の具にもなるし。書くのはもうどこでも書けちゃうんですが、平滑面であればちゃんと消せるので、ガラスだったら、お子さんのお絵かきを、大きなキャンバスで描かせてあげられるし、お母さんも怒らずにちゃんと消せますから、そういうこともできる。だから「書く・消す」ということがチョークの定義だとしたら、「書く・消す」ができるところを「キットパス」で攻めていこう、使っていただく場面を作ろうということを考えています。

内田
なるほど、「キットパス」はチョークの進化系なのですね?

大山
そう思っていますし、そういう風に伝えていこうと思います。

内田
「インストラクター制度」というのがすごく面白くて。

大山
実際に子育てをされていらっしゃるお母さんだとか、日本理化学を応援したいと思ってくださっている方もそうですし、いろんな資格をお持ちの方での口コミから広がって、「面白そうだね」ということでインストラクターになっていただく方もいらっしゃいます。だから「キットパス」と会社のファンの方になっていただくことが多いかなと思います。

内田
このインストラクターの方がご自身でワークショップのようなものを開いて、お友達、知っている方をお招きし、「キットパス」の使い方を見せたりするわけで、気に入っていただいたら買っていただくという。そういう意味ではファンが「キットパス」を売ってくれる仕組みとも言えるわけですね?

大山
本当にみなさんの頑張りのおかげで、これだけ増えていただいて。だからこそ会社としても、この人たちと繋がっていけるかということを、もっともっと考えないといけないと思っています。

内田
大山社長が素晴らしいと思うのは、知的障がい者雇用が「社会的な存在として素晴らしい」ということで完結してしまっては駄目なんだと、存続していかなければ駄目なんだということで、「売り上げ目標10億円」と掲げているという力強さも一方であるというところが非常に印象的なのですけど。

大山
やはり成長していかないと継続していけないわけですから。うちには80何人かの社員がいて、多くは知的障がい者の社員ですけれども、彼らを路頭に迷わすことだけは僕の立場として一番やってはいけないことだし、日本理化学の使命、ちょっと偉そうなこと言いますけど、会社として成長して、その社員と働く幸せを実感するということが一つの目的ですけれども、僕らのもう一つの使命というのは、うちの社員がこれだけ頑張ってやってくれているからうちが続けていけているわけですので、出来る、出来ないはもちろんあるけれども、これだけすごいんだっていうことをちゃんと世の中に伝えていくこと。それができると、「じゃあうちも障がい者雇用をやってみようか」と、そういう風になっていく。それは絶対なるんだと僕は思っているから、そのために何が必要かと言ったら、強い経営ができていなかったら何の説得力にもならない。だからうちは経常利益率もこれだけ上げていくんだ、売り上げに対してもこういう風にやっていくんだということを、ちゃんと目標を掲げてやらなかったら、そういうことにならない。障がい者の方たちとか、社会にまだ参加ができていない多くの方もいらっしゃるだろうと思いますけど、多くの方が逆に活躍できるんだと思っているので、そういう一助になれたらというのが僕らの思いだし、それを勝手に一つの使命だと思っています。


社会として必要とされる障がい者雇用。就労支援と雇用をめぐる大きな変化が起きています。2018年4月からは身体・知的障がい者だけでなく、精神障がい者の「雇用義務化」がスタート。従業員50人以上の企業で2%という法定雇用率に満たない企業にはペナルティとして不足人数分1人あたり5万円の支払い、反対にこれを越えるとインセンティブが発生します。人材不足に悩む企業が増える中、具体的な準備、対応はどこまで進んでいるのでしょうか。


内田
障がい者の雇用義務が、より強化されていくという流れの中で、身体障がい者、知的障がい者に加えて、精神障がい者と、そういう枠が増えていくということは良いと思うのですが、一方で障がい者雇用に対する覚悟といいますか、簡単ではないというところがある。大山社長は企業が障がい者を雇用していくということをどう捉えていらっしゃいますか?

大山
確かに簡単に、「障がい者雇用をやってください」とは言えないと思っているし、もちろん大変なところもある。一方でちゃんと障がい者雇用ができると、特にうちのことですけど、人としてすごく優しくなれたりとか、人間らしくと言うか、そういう雰囲気は絶対出来ると思っているから、唯一それだけは、「一緒に働くとそういうことは絶対に感じると思います」ということだけは、お伝えはします。

内田
そういう意味ではダイバーシティ、本当の意味での様々な人が一緒に社会を形成して働いていくことは、やはり良いことですよね。

大山
「違いを認める」ということができたら、それだけいろいろな余裕も生まれるだろうし、いろいろなことを受け止めていける広さというのが出来だろうと思うので、そういうことが最終的な目標というか、目的になってくのかなっていうのは思います。

内田
そういうものにようやくみんなが気が付き始めて、世の中の変化というのを感じますか?

大山
「リーマンショック以降」というのは、働き方とか生き方を見つめ直す機会になったのだろうと思うので、障がい者雇用に対する見方というのも変わってきたし、受け入れてもらえる感覚が、ずいぶん変わったと思います。

内田
今後、会社を発展させていく未来の姿、理想の姿、ビジョンがあると思うのですけども、どんな会社にしていきたいと思いますか?

大山
チョークに対しては、日本でトップシェアを持てるようなチョークに育ってくれたわけですが、やはり「キットパス」は世界でも通用していける商品になれると信じているので、世界ブランドにするということ。そういう商品を僕らが、障がいを持った社員たちを含めて作っているということ、ちゃんと良い影響が更に伝わっていく。いろいろな現場で障がいを持った人たちが普通に活躍していく社会というのは、うちの会長の言葉ですけど、「皆働社会」。皆が働くという漢字で「カイドウ」と読ませるのですが、本当に違いを認めて、その良さを確認しながら、受け入れながら、できる社会ができたら本当に幸せなのだろうと思うし、障がい者の方たちとやってきたことを、ちゃんと世の中に伝えて、社会の一助になること。「皆働社会の実現」というのをミッションに掲げているので、そのためにしっかり成長していくこと。規模もそうかもしれないですけれども、まずは商品が世界ブランドに認められるまで育て上げることが、今一番に思っているところです。



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9月4日放送分
横浜をクラフトビアシティへ 「場」を醸し出すビールの奥行き

ゲスト
横浜ベイブルーイング株式会社
代表取締役 鈴木真也さん

1981年 横浜市出身
2003年 拓殖大学工学部工業デザイン学科 卒業、株式会社サイクル急便 入社
2005年 株式会社横浜ビール 入社
2008年 チェコでの修行を経て醸造長に就任
2011年 BAY BREWING YOKOHAMA 開業
2013年 横浜ベイブルーイング株式会社 設立
2014年 GOLD BREWERS SEAL 2014 金賞受賞
2016年 戸塚工場 ビール免許・発泡酒免許取得


クラフトビールを醸造する「横浜ベイブルーイング」を特集。看板商品「ベイピルスナー」が本場チェコ最大の審査会でアジア勢初の金賞を受賞。また、横浜DeNAベイスターズとのコラボレーションで生まれた「ベイスターズエール」も大人気になるなど、高い評価を集めています。鈴木真也社長に、ビール造りにかける情熱と今後の展開について伺います。


内田
よろしくお願いします。

鈴木
はい、よろしくお願いします。乾杯。

内田
乾杯。美味しいですね。こういう形で番組が始まるのは初めてですけれども、私的にはウェルカムという感じ。今日、お持ちいただいたビールは何ですか?

鈴木
これが自分が一番こだわっている、「ベイピルスナー」という、チェコスタイルのビールですね。

内田
後味として、苦味というか。

鈴木
そうですね。苦味と麦の甘みが両方、強めに感じられると思うのですけど。

内田
これが一番、鈴木社長が作りたかったビール?

鈴木
僕はずっとこだわって作っていて、まだまだ納得できるレベルにいっていないので、もっと高いところ。

内田
目指している高みというのはどこにあるのですか?目標というのは。

鈴木
チェコで一番、元祖と言われている「ピルスナーウルケル」というビールがあるのですけど、そのビールを最初に自分が飲んで、これを越えるビールを作りたいと思ってから。それまでは大手のビールしか飲んだことがなかったのですけど、そこで感動して、それでいろいろなビールを飲み漁るようになって。

内田
でも「じゃあ、クラフトビールを作るぞ」となっても、どうやって始めたらいいのかというところからですよね?

鈴木
そうです。当時、全然求人とかがなかったので、「全国地ビール醸造所ガイド」みたいな本を買って、工場見学をさせてもらおうと。工場見学させてもらったついでに、履歴書を置いてこうと思って。そういう活動を19ヶ所ですね。

内田
19ヶ所まわって。それはなかなかの積極性というか、情熱というか。そこの中で「とりあえずお手伝いから」というので受け取ってくれたのが横浜ビールだった?

鈴木
受け取ってくれたというか、最初から優しくしてくれたというか。「イベントとか今度あるから、手伝いに来る?」みたいな。もう、「行きます、行きます」って。ビールを注がせてもらったり。


横浜ビールに就職し、4年後には醸造長を任されるなどビール造りに情熱を注いだ鈴木社長。醸造長就任前には、単身チェコに渡り、本場のビール造りを学んでいます。


内田
醸造長になる前に、チェコに勉強しに行こうと思って自腹で行って、自分の中の転機だった?

鈴木
チェコビールに憧れていたので。作り方が全くわからなかったんです。だから行って、僕の師匠のマルティ・マットゥシカさんという方に従事して、いろいろ教えてもらったのですけど。

内田
日本人の若者がポッと来て教えてくれるのですか?

鈴木
いや、なんかもう、強引に、そこもあの。

内田
やはり強引に。ある意味「技を盗んでやる」ぐらいの気持ちで?

鈴木
そうです。最初は会うだけの約束だったんですけど、「ちょっとここに3週間居座っていいですか?」と言って。というか「居座ります」みたいな。

内田
もう決めているんですね。「僕ここに居座りますから、よろしく」と。でも許してくださったのですね?

鈴木
根負けさせたというか、はい。

内田
やっぱり、情熱ですかね?そんなに言葉が得意なわけではなかったわけですよね?

鈴木
当時、英語も全然しゃべれなかったですし、チェコ語も全然わからない。

内田
でも、何か手応えも感じつつ、独立へと向かっていくわけですよね?

鈴木
はい。30代のうちに自分のビール工場を作るという目標があったので。その時29歳だったのですけど、最初はもうビール工場がバーンってできると思っていたんです。そうしたら全然甘くて。お金も何もかもが足りないという。

内田
で、どうしようかと。

鈴木
小さい規模の「ブルーパブ」という、ビール工場と飲食店がくっついた形の小さな工場で何とかスタートできるかなというので、お金を最初2000万円集めて。

内田
「やりたい」ということに共感してくれる人というのがいるのですね。

鈴木
途方もない計画に乗ってくれたので。はい。

内田
夢に、ロマンに乗ってくれた人がいて、無事にオープンということで、そこから偉業を達成するのですけど、チェコ最大のビール審査会「ゴールド・ブルワーズ・シールズ」で金賞を獲るのですね?これはどのぐらいの価値になるのですか?

鈴木
日本で言ったら、「日本酒のある一つのカテゴリーの中でチェコ人が勝つ」みたいなものなので。

内田
それはびっくりですよね。ここは自慢ですね。

鈴木
その時はあちらもパニックになりましたね。「日本が勝っちゃった」みたいな。

内田
そういうところから、この度、工場を戸塚に作るという。これは自分のイメージに近づいてきている?

鈴木
そうですね。念願叶って2016年の7月に免許が取れて、ビール工場ができて。それまでの小さい工場は発泡酒免許だったんですね。

内田
今回、ちゃんと設備も整って。

鈴木
大きい設備なので、今度はビール免許をもらえる。

内田
まず設備ありきで免許がおりる。でもその前にはある程度の資金調達も必要ですし、法人化も成し遂げると。

鈴木
工場を作るのがもう本当に大変ですから。

内田
その工場は自分の思うような、理想の工場ができましたか?

鈴木
いや、まだ完成していなくて。工場の敷地内の3分の1ぐらいがまだ空いていまして、そこに追加のタンクとか醸造の仕込みの釜とかも大きくできるように最初から作っているんですよ。

内田
拡張していける余地を残しつつ、これからはどんどんそこでビールを作って、売って、飲んでもらって、足りないぞと いう形でタンクを増やしていくという想定ですね。

鈴木
うん、そうですね。


横浜スタジアムで毎年恒例になった「ハマスタBAYビアガーデン」。その目玉となったのが球団オリジナルビールの販売でした。「BAYSTARS ALE」は爽やかなホップの香りに、柑橘系の香りをプラス。フルーティーさを活かし、女性にも好評です。


内田
会社としての大きな転機が横浜DeNAベイスターズとのコラボレーション。

鈴木
スタジアムでビール売るというのは夢として置いていたのですけど。ある時、球団の広報の方がベイブルーイングの店に飲みに来てくれて、「いろいろビールで何かやりたいと思っているんです」みたいなこと言って、「オリジナルビールでも何でも作るからやらせてください」とか言って、無理だろうなと思いながら。そうしたら何回か、その後来てくれるようになって、クラフトビールの世界をいろいろ話して。まあそれで、「ただ調べているんだろうな」と思ったら依頼が来てですね。

内田
一緒にやろうと。

鈴木
「夏にビールのイベントがあるので、オリジナルビール作りたいんですけど、やってくれますか」って言って。で、「来たっ!」と。本当に来たと思って。球団の方と選手にアンケートを取ったり、それがすごく難しい内容だったんですけど。アルコールは低くて、色が薄くて、苦味が少なくて、ちょっとフルーティー、みたいな。「うわ、難しいなって」。

内田
みんな勝手なこと言うわけですね。

鈴木
それが難しかったんですけど、多分、もう本当に1回だけだろうと思っていたので。

内田
じゃあ全力で作った。どうでした?出来は?

鈴木
本当に一発で考えて作って、途中段階とかも飲んでいたんですけど、どんどん不安になってきて、これで大丈夫かなっていう。それで球団の方のところに持っていって、すごく評判が良くてですね。

内田
1回きりだろうと思っていたイベントのときのためのビールを作ったら、その後、継続。

鈴木
そこですごく売れたんですよね。それで追加発注が来て、足りないからもっと作ってくれって言われて追加で作って、その2015年は終わったんです。それで「また来年も8月のビールイベントで是非作らせて下さい」と言っておいたんですけど。

内田
ご自身から。

鈴木
そうしたらそのイベント以上に、球場で売るという話が来て。横浜スタジアムTOBの時なので、それだからできるみたいなことを言われて。  

内田
当時の池田(横浜DeNAベイスターズ)社長もオリジナルのビールを売って、独自性ですよね、球場に来てこんなに楽しいことがあるんだよということを提供する。ものすごく集客に力を入れていた時期だった。そこでお互いの求めるものが一致した。そういうことで実績を積んだからこそ、今の「工場を作る」というところに繋がっているのではないですか?

鈴木
やはり金融機関への信頼度が大分、それで上がったので。そういう会社と取引しているという実績が、新工場を作る上で、スピード上げてくれたというか、それがなかったら、ちょっと遅れていたかもしれないなと。


今年7月には醸造所に近い戸塚に新店舗をオープン。毎年1月には大さん橋ホールで行われる「JAPAN BREWERS CUP」を主催するなど、クラフトビールのムーブメント醸成に向けて挑戦を続けています。そのコンセプトは、「横浜をクラフトビアシティへ」。鈴木社長が見据える未来の姿とは。


内田
今、お酒、ビールというところを見ると、市場全体としては右肩下がりというか、「酒離れ」なんていう言葉もありますよね。

鈴木
全体の飲む人口は減っているのですけど、その中でクラフトビールを飲む割合は増えているのかなと。ベイスターズさんの球場で飲んでもらう方は、ビールが飲めない方でも「ベイスターズエール」なら飲めるという方が結構いらっしゃるので、そこから入ってもらって、ビール好きになってもらって、いろいろなクラフトビールだったり、大手ビールだったり、飲んでもらえるようになれば、ビール全体が盛り上がると思っています。

内田
もっとこれからクラフトビールを盛り上げていこうということで、横浜という町自体を「クラフトビアシティ」と。

鈴木
「横浜をクラフトビアシティへ」とずっとスローガンで言ってきて、最初に自費出版で「横浜クラフトビアマップ」というのを作って。

内田
すごいですね、自費で。「ここはクラフトビアシティなんだ」と勝手に、ある意味決めているわけですよね。

鈴木
そうです。最初でも掲載12店舗ぐらいあったんですけど、今もう38店舗ぐらいになって、普通の大手ビールに交えて、クラフトビールを置くという店が増えてきて。すごく理想的です。

内田
追い風というか、流れが来ているということだと思うのですけども。自分で呼びかけて、皆さんにメッセージを送ったり、そこまでして「横浜という町をクラフトビアシティにしたい」という、その情熱というか思いはどこから来るのですか?

鈴木
日本でビール産業が最初に生まれたのが横浜なので。ウィリアム・コープランドさんという方が山手居留地に作ったのが最初で、そこから日本のビール文化がスタートして、その場所ってすごくロマン性があって、ここをまたビアシティに、当時そこから広がったみたいに、伝説みたいな場所にしたいんですよね。

内田
これからいろいろな思い、構想、ビジョンというものがあると思うのですけども、未来の姿というもの教えていただけますか。

鈴木
いつも事業計画というか、大体7年分ぐらい考えているのですけど、2020年目標に新工場設立という目標でやって、金額でいうと3億円ぐらいの規模と思っていますけど、港のところの場所で倉庫とかを借りて、ビール工場と大きいビアホールと海が見えるビアガーデンとビール醸造体験ができる小さい工場という「ビールの総合エンターテイメント」みたいなものを作りたいという野望はありますね。

内田
そういう中でこれからアプローチしていくこと、それを実現するためにはどんなことをやっていかなければいけないとお考えですか?

鈴木
単純に、どんどん事業規模を大きくして、ビールをいっぱい売って、たくさんの人に飲んでもらって、そうしたら横浜市が「この倉庫を使っていいよ」と言ってくれるじゃないかなと思って。



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